第26話 無駄にAgainstな黄金週間⑥

 スポーツカーから男が出てきた。


 つばの広い黒帽子にサングラス、ポンチョにジャージに裸足スリッパという訳の分からない服装をしている男だった。


「あー、こりゃひでぇ有様ですなぁ。さすがの俺っちでもどうにかなるかは分かりゃんせ」


 謎の男は瑠璃を見るなり、一歩後退するものの、軽い口調で、顔を顰めることなく歩み寄る。


「上手く剥がれるかの? あー、ベリベリ言うてる~。あー、これはグロ~い。体の方も……あー、あーっ! あぁーっ! あぁ……よしよし、よぉ頑張ったな、ぼーず君」


 訛った口調で無駄に叫びながら、瑠璃の潰れた左手を抓み上げてアスファルトから引き剥がし、体も首の後ろと腰を抱き上げるようにして剥がす。


「きみ、は? 誰……だ?」


 玲は口を抑えながら何とか言葉を発し、声からして若そうな謎の男に問い掛ける。


「俺っちは通りすがりの珍獣ですさぁ。本当にただ、たまたまここを通っただけなんす。この子はまだ生きている。いや、生きているというのはあまりにも受動的ですなぁ。この子は生きる、そのために今、必死こいて、抗って、戦ってるんですさ。とても良い医者知っとります。ただ現実問題、そこまで一時間掛かりますさ。その間に事切れるかもしれんす。されど、体は綺麗になりんす。旦那、どうされるかの? 少なくとも、少なくとも……旦那と嫁と嬢ちゃんに、損な話はありゃせんす」


 玲は出会ったばかりの謎の男の言う事を信じることにした。


 男の目は、光に満ちていた。

 その目が眩しくて、その目が希望に見えて、玲は口を腕で拭い、立ち上がった。


「分かった。二分で良い。待ってくれ」


「了解ですさー。あー、俺っちの車、二人乗りなんで、旦那はあとから付いて来てくんなまし。準備できたらプップー鳴らしてくれりゃんせぇ」


 謎の男は瑠璃を抱えてスポーツカーに乗り込んだ。


 玲は荷物を手早くまとめ、桜と瑠奈を車に乗せ、クラクションを鳴らす。


 それを合図として、スポーツカーは風を切り、猛スピードで田舎から都会への道を突き進む。


 目の前を車が走っていようものなら、追い越し禁止の場所でも容赦はしない。


 玲も食らいつくように追走したが、それは玲の意思とは関係無しだ。

 むしろ追走させられていたというのが正しい。


 スポーツカーから発生するダウンフォースが玲の乗る車を包み込み、スポーツカーの後を自動で追尾させていた。


 自宅周辺の病院まで、普段の半分の時間で着いた時、瑠璃はエントランスに迎えに出ていた医師と看護師に担架へ乗せられて、検査のために運ばれた。


 手術室ではなく、検査のために運ばれた。


 瑠璃の傷は、潰されていた皮膚と体は、何事もなかったかのように復元されていた。


 謎の男の姿は、すでに車ごと消えていた。


 瑠璃が無事だった理由は玲にも分からないままだった。


 そして、検査で分かったこと。


 それは瑠璃が、肋骨一本のみが折れるまでに回復していたことだった――。


 玲の頭上に自伝のように表示された回想シーンを読み終え、御丁寧にもその間、事実と食い違った出来事を片っ端から並べていた樋熊。


 要は玲が、瑠璃の本当の親を見殺しにした。


 そして会社を奪い取って私腹を肥やし、そんな瑠璃が将来酷い目に遭わされないようにするために、玲から金を取れるだけふんだくっている、との事だった。


 樋熊は卑しい性格だけでなく口も達者なようで、俺と同じ目線に合わせるために腰を落とし、優しく見える微笑みを俺に向けながら、良いように言い包めてくる。


 もっとも、今の俺にとっては無駄な精神攻撃だ。


 桜と玲のモニターに顔を向ける。


 桜のモニターは全く読み取れなかったが、錯乱状態に陥りながらも、首を必死に左右に振り続けている。


『全てを包み隠さず、瑠璃に伝えよう、そうすれば必ず、今の瑠璃は分かってくれる良い子だ。いや、良い子でなくてもいい。瑠璃は僕らの息子なんだ。多少のヤンチャ坊主でも、息子なんだ。例えどんな子でも……僕らの息子なら、分かってくれる。分かってくれるまで、僕らは頑張るよ。だから瑠璃、そんな奴の話だけは、信じないでくれ』


 玲のモニターに表示される言葉を目に焼き付け、信じようとしてくれる玲のために、目を閉じた。


 息を吸って、吐いて、もう一度吸って、俺は目を開けたんだ。


「で、長々と喋ってるけどなんなの? それがどうしたの? 言ったでしょ? 知ってるでしょ? 俺が記憶喪失だって。父さんと母さんは覚えてるよね。あの日、俺が言ったこと」


 あの日。それは建御来葉が、観月瑠璃の体に転生し、観月瑠璃として生きると決めた日。


「そして俺は言いました。ただいまって言いました。父さんと母さんは、俺に言ってくれました。おかえりって、言ってくれました。俺には、俺の帰る場所がある。帰る場所にいる人達……例え血が繋がっていなくても、その人達が家族であることに……変わりないんだよぉ!」


 俺は改めて怒りをぶつける。


「つーか問題はお前らだ。幼気なちびっ子に不安ばっかり吹き込みやがって。そりゃ気を紛らわすために悪戯するわな。自分を主張するために、より派手に、より多くの人に、自分を認めてもらうために悪戯するわな! それでも不安だから、もっとエスカレートして、とんでもない悪戯もするわな!」


 一度撤回した同情を激昂しながら呼び戻した。


 俺にも何となくだが気持ちが分かる。


 死んで、観月瑠璃という少年の体に転生した。


 直後、自分が誰だか分からなかった。


 知らない体、すぐには思い出せなかった自分。


 自分の存在が不確かなことに恐怖した。


 そんな恐怖を、以前の瑠璃は常に感じていたのだろう。


 自分の存在を守るために、忌み嫌われてでもいい。


 誰かにずっと見ていて欲しくて暴れ続けた。


 俺はそう理解する。


 それが正解と言わんばかりに、俺の意思と関係なく、二つの目から涙が伝う。


 以前の瑠璃が魂を宿していた体から熱い意思が伝う。


 俺は涙を汲み取って叫んだ。


「よーするに、全部お前らのせいだろ? おい、熊。俺をヤるって言ったよな? 上等だ。言うからには、ヤられる覚悟はあるんだよな? 言っとくが、俺はあの世なんて生温い場所には送ってやらねぇからな。無駄にグレートな地獄っつーのを……教えてやるから覚悟しな!」


 俺はテーブルの上から、同じ目線で話しかけてきた樋熊を、沸騰する激情を抑えつけながら睨み下すのだった。

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