第23話 無駄にAgainstな黄金週間③
明朝八時。
久しぶりに遅起きした。
体を起こし、隣でスヤスヤ眠っているいつの間にか攻略済みだった瑠奈を見て、昨日の事を振り返る。
「昨日は結局母さんに止められたもんなぁ。まさか夕飯の支度中にも関わらず、影からこっそり監視、いや、覗き見していたとは……くっ、生殺しも良いところ!」
瑠奈を舐め回したい衝動に駆られるものの、ぐっと拳を握って耐える。
「いや、待て。ここは我慢だ。まだ凛子ルートが攻略……もしかして完了しているのか? まぁ確認くらいはしておかねば……それから美味しくいただくのも悪くは……。ハッ! ダメだ俺は何を言っている!? 若干手遅れな気はするが、健全な妹の育成に尽力を注ぐと誓ったはずだろう! 何より本当の兄妹間でナニがどうなってしまうのはまずい! 俺はこんなものか? こんなもので満足していいのか? 思ったより便利じゃないけど魔法もあるんだぞ! そうだ、俺は目指すんだ! 英雄王に、俺はなる!」
ふと、英雄色を好むという言葉を思い出し、英雄王になってしまえば、ハーレムだろうが、実の妹だろうが、世間から公認されるに違いないという身勝手にも程がある解釈を為した俺は、瑠奈の頬を二分ばかりふにふにと堪能して気を鎮め、朝一番の生理現象を絞り出すためにトイレに向かう。
この観月本家は一階のみの母屋と、小さなガーデニングができる程度の広さを持った庭を挟んだ二階建ての離れといった二つの建物がある。
食事や洗濯等は母屋で行い、離れは来客の寝所として使用されているようだ。
用を足し終えスッキリした俺は、一緒に寝ていたはずの玲や桜がいなかったことを思い出し、スリッパを履いて母屋に向かう。
欠伸して、眠たい眼を擦りながら、観月家一同が集っているに違いない、畳二つ分の大きさがある膝丈程度の古木テーブルと、四十型の薄型テレビが置いてある居間の襖を開けた。
「ふぁ~ぁ、おはよー……ございます」
眠気は居間の雰囲気に当てられて、夜になっても帰ってこないかもしれない場所まで吹き飛んだ。
正面で玲と桜が寝巻のまま、正座で頭を垂らしている。
その顔は苦しそうで、悔しそうで、先日電話があった時の表情と同じものだった。
そして二人の正面であり、俺の視界が捉えるプロレスラーのような背中。
座っている癖に身長が二メートルあると確信できる程の巨躯。
さらにスキンヘッドと青ジャージ。
その大男が威圧感を持って立ち上がり、振り向こうとする。
俺は表情を固めたまま、震える指先に鞭を打って魔法を描き、大男が振り向くと同時にThunder Lordを押し込んだ。
「誰じゃあ! 朝っぱらから不抜けた声で挨拶する戯けはぁ!? ぁん? 瑠璃か。婆さんから聞いたど。記憶喪失になってちったぁ行儀が良ぉなったらしいのぅ? ん? なんじゃ? なんか言いたいことがあるんなら……はっきり言うてみぃ!」
幅もあってか、俺との体格差は二倍や三倍どころではない。
プロレスラーというよりは熊と対峙している気分だ。
どちらかというと肝は座っているのだが、頭では冷静になれても体が恐怖を感じ、血の気が引いて震えがさらに大きくなる。
その上、遥か上の方から抑えつけられるように叫ばれたのだ。
普通の小学一年生であれば、それだけで泣き出したり、失神したりしてもおかしくはない。
俺は静かに息を吸い、ゆっくり吐いた。
「初めまして、観月瑠璃です。おじさんは、誰ですか?」
震える声を抑え込んで、端的に、簡潔に、最低限の情報を、作り笑顔で問いかける。
「ほぉ、確かに前よりマシになっとるのぉ。二カ月前とは大違いじゃ。ふんっ、つまらん」
二カ月前にも会っているのかと思ったが、それ以上の言葉に耳を貸すつもりはない。
俺は視線を上げ、モニターを読む。
『わしは莱道樋熊、玲の兄じゃ。そんなことも伝えとらんのか。玲め、どれだけわしを邪険にするつもりかのぉ。まぁ、三年前、莱道組組長の娘と婿養子になった時点で……世間の風当たりは余計と冷とぉなったもんじゃが。がっはっは!』
他の情報は組内の話や地上げ、みかじめ料、借金の話がほとんどで、有益な情報には成り得ないと判断する。
速度を上げ始めたモニターから目を外し、名前通りの体格をしている樋熊の頭上に表示させているモニターを分割する。
そして現状を把握するために玲と桜の上に移動させるのだ。
『昼まで来なかったんじゃないのか! なぜ七時に起きた時点でここにいる!? くそっ、瑠璃も起きていたのか。ダメだ、瑠璃、ここに来るな! 瑠奈を連れて、どこか遊びに行っていろ! 頼む、頼む!』
玲は怒りの感情を爆発させていた。しかし顔を上げて俺を視界に入れた瞬間から、縋るような悲痛な思いで俺に願いを掛けている。
『あぁ、なぜ私がお義母さんに合わせて四時に起きないといけないの? 六時に起きて手伝ったことは怒られなければならないことなの? どうして私は手伝っていないことになっているの? のんびりお茶を啜っているお義母さん? 私は嫁としての務めをどこまで果たせばいいの? どうしてそのことをお義兄さんに告げ口するように言い付けるの!?』
桜の方はすでに心が真っ二つに折れていた。
俺の存在に全く気付かないまま、時折玲の母に目を泳がせ、打ちひしがれていた。
モニターが読める状態か心配だったが、どうやら感情が一点に集中しているためか大丈夫だった。
おかげで現状に至るまでの経緯は把握できた。
しかし肝心の現状が分からない。
二人の心を読む限りでは、いちゃもんを付けられて理不尽な怒りをぶつけられていることまでしか分からない。
いかに相手が暴力団関係者だろうが、相手も無為な暴力を振るうことはない。暴言の嵐も身と心を潜めていれば過ぎ去るものだ。
玲と桜も、それは知識として存在はするはずであり、樋熊も無駄な暴力を振るう程怒り心頭している訳ではない。
それは心を読んだ結果明らかである。
ではなぜ、二人の心はこれほどまでに恐怖に染まっているのだろうか。
俺が視線を固定し、仁王立ちしたまま考えていると、樋熊は腕に巻かれている高級そうな腕時計に目を落とし、再び玲と桜に向き直る。
「さて、今日は予定が入ってしもうてのぅ。あんまり時間はないんじゃ。さっさと話を進めるど。で……少しでいいんじゃ。また、工面してくれんか?」
先程までとは打って変わって下手に出る樋熊に対し、玲は睨みながら、しかし声を震わせながら問い返す。
「な、何をだ?」
「仕事の契約でのぉ。前金がちぃとばかり足らんのじゃ」
「はぁ? 二カ月前に貸した百万はどうした? その前に貸した五十万はどうした? 言ったはずだ。その金を返すまで、もう金は貸さないと!」
「その金が用意できるあてがついとるけぇこぉして頼んどるんじゃろぉが!」
玲の断固とした意思表示は、樋熊の暴風のような音声の前に掻き消される。
「くっ……」
「おぉ、すまんのぉ。わしゃ金を借りる立場じゃった。じゃが、ちゃーんと約束できるど。この仕事の報酬は十分入る。きっちり利子付けて返したるけぇの」
恐らくこのやり取りは茶飯事なのだろう。玲は頭を抑えたまま問う。
「いくらだ?」
「二百万じゃな」
「二百万だと!?」
「ちょっと待ってください! そんなお金どこにも――」
「今わしゃ玲と話しよぉるんじゃ! 女は黙っとれぇ!」
「あ……ぅ……」
樋熊が少しだけ静かになったので、桜も気を保てるようになったらしく、思わず思ったことを口に出してしまうのだが、理不尽な返し刀で再び心を斬り捨てられる。
玲は桜の肩を抱いて自身に寄せた。
「兄さんこそ何を言っている! 家計に関わることだ! 桜も口出しするに決まっているだろう! 兄さんには悪いが――」
「車を二台も乗り回す金がある癖に何を言よぉるんじゃか……。樋熊は玲の兄じゃろ。兄の頼みくらい聞いてやれんのかぃ? そんな息子に育てた覚えはないよ!」
玲が言葉を紡ぎ終える前に、樋熊の母が敵意に満ちた声を響かせる。
「ほぉじゃ、わしゃこんなに困っとるんじゃ。ほれ、こうして頭も下げる。玲にだけじゃ、こんな風に頭を下げるんはのぉ」
「実の兄に頭まで下げさせて、それを無碍にするような子に育てた覚えは……」
頭を下げる樋熊と機械人形のように言葉を発する玲の母。
「くっ……茶番が……」
玲の声は新たな発生した声のおかげで誰の耳にも届かない。
「ねぇクマー、もうお金貰ったー? お金貰わないと何にも始まんないしー。今夜のパーティ代早く~。それにもう帰って寝たいんだけどぉ。徹夜なんだからお肌にお休みあげなくちゃ……あっ」
胸元が大きく開いたサイズの合っていない黒のスパンコールドレスに、たいそうな値が付きそうな毛皮のコートを羽織った女が、タバコを咥え、黒のピンヒールを履いたまま土足で家に上がり込んでいた。
「お嬢、車の中におれと言うたじゃろ」
「あら、まだ取り込み中だったの? ってかクマー、あたしの旦那なんだからお嬢っていうのいい加減やめてくんない? 確かに歳の差あるけどさぁ」
『十七と三十二だもんねぇ。でも、あたしは気にしない。あ~ん、あたしのクマー。一生あたしを離さないでぇ~。ついでに早くお金もぶんどっちゃってぇ。今夜も新入りのみんなに奢る約束しちゃったんだから~』
俺は女の言葉を聞くと同時に、玲と桜の頭上のモニターを、樋熊と樋熊の妻らしき女の頭上に移し、何とか読み取れる速度で上昇する文章を目で追う。
「お嬢はいつまで経ってもお嬢じゃ。もう少し辛抱して待っとれ」
『ちぃとばかり成長しきらん娘じゃが、この娘のおかげで部下も増え、わしの将来は安泰よぉ。出費は痛いがのぉ、がっはっは!』
「あ~ん、クマかっこいい。それじゃここで待つ。あ、灰皿持ってくるの忘れちゃった。まぁ、踏んどけば大丈夫よね」
未成年の癖にタバコを吸っている樋熊の妻は、口からタバコを離し、畳に落ちたところで踏み躙る。
「玲や、あとで畳代出しぃ」
その光景を見た家主である玲の母は、樋熊に求めず、玲に請求を行った。
ガリッ。
錆びた歯車を動かしたような音が、一度だけ部屋に反響する。
玲の歯軋りだった。
俺は樋熊の妻から、玲へとモニターを移す。 心を読むことはできなかった。
玲の怒りが、モニターに表示されるはずの文字を、紙を燃やすような勢いで消し飛ばす。
俺は言葉を忘れて呆れ果てていた。
これは確かに帰省したくない訳だ。
しかし何をそんなに怯えることがあるのだろうか。
確かに見た目には恐怖を覚えるが、下手に暴力を振るってくる訳でも無く、物言いは他人様が聞けば理不尽極まりない。
突っぱねれば何も問題もないはずだ。
玲はともかく、桜がここまで黙っているのもおかしな話だ。
恐らくこの問題には何か別の根幹が存在すると推測する。
そのために樋熊のモニターに目を向けるが、何の質問もしていない状況では、滝昇りしていく情報を読み取ることはできない。
しかし樋熊は不気味に微笑み、玲と桜に顔を近付ける。
それと同時に、高速でスクロールしていく樋熊のモニターが緩やかに表示されるようになり、再び言葉が見え始めた。
「わしゃ穏便に行きたいんじゃ。二カ月前を、繰り返しとぉないじゃろ?」
樋熊の言葉に冷酷な殺気を感じ取った俺は、モニターから目を外す。
そして玲と桜の姿を見た。
樋熊の一言で、爆発寸前の玲と、玲の腕の中で落ち着きを取り戻していた桜は、真冬の吹雪の中に全裸で放り出されたかのように震え上がった。
「あら、君が噂の瑠璃君なのね? 話は聞いてるわ。とっても面白い子だって。実は君って――」
俺は樋熊の妻が口を開いたところで玲から再びモニターを樋熊の妻に移動させる。
「言うな! 分かった……金は用意する! だからそれだけは……」
しかし文字が表示される前に、必死な玲の叫びによって、俺を振り向かせる。
玲の顔は、何を失ってでも守らねばならないものがあると言わんばかりに、惨めで、何もかもを諦めたかのような、ボロボロの、涙と鼻水に塗れた汚いモノだった。
その顔を見て、満足そうな下衆の笑みを浮かべる樋熊とその妻。
もう十分と見なした樋熊は脅迫まがいの交渉を成立させるために、玲に手を伸ばす。
――そんなこと、させる訳がないだろう?
俺は樋熊の手を払ったのだった。
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