第19話 無駄にErosな診察遊戯⑨

 そのまま時は過ぎ去って、弥生の暮れに咲いた桜は満開のまま卯月を迎え、桜吹雪と花道を視界いっぱいに広げてくれていた。


 そこを歩くのは、黒の制服に短パン、黒のランドセルがお似合いの俺。


 もちろん一人で歩いている訳ではない。


 右隣にはセーラー服に着られている瑠奈が、桜や俺と手を繋いで歩いている。


 左隣では手は繋いでいないものの、歩けばそれだけで触れそうな距離で嬉しそうに歩く凛子がいる。


 凛子は一歩前を歩く母親に連れられて、同じペースで歩いていた。


 周囲を見渡せば、他にも似たような家族が大勢、古びた校門の向こうへ進んでいる。


 そう、今日は入学式。


 それなりに規律のある場所に行きたくてしょうがなかった俺にとって、待望の小学校。


 と、思っていた。


 入学式で校長の長い話を聞かされた後、保護者に連れられたピッカピカの一年生一同は、上級生によって鮮やか彩られた教室へと案内される。


 色付きの塵紙で作られた花やら、折り紙を丸くして作った鎖やらが飾られ、黒板に書かれた入学おめでとうの文字。


 全体的に年季を感じさせる教室であるが、それを誤魔化すかのように新品の机と椅子が綺麗に並べられていた。


 新たな環境に緊張していた同級生達は、照れながら、もしくは元気良く、もしくは見栄を張るように、それぞれ個性的な自己紹介をしていく。


 そこまでは良かった。


 むしろどこにでもある普通の入学式の光景。


 この三十名弱のクラスメイトは一カ月前まで幼稚園か保育園に通っていた子供である。


 きっかけは自己紹介時、あまりにも緊張してしまったのだろう。

 凛子は人見知りだが能天気である。

 ゆえに緊張こそするものの、滞りなく行えた。


 しかし最後から三番目くらいの男の子が、全員の視線に耐えられなくなって泣き始めてしまったのだ。


 そこから始まる負の大連鎖。


 釣られて泣き始める子もいれば、何がどうなっているのかを周囲に聞いて騒ぎ立てる子もおり、不安になって親の下へ駆け出す子もいれば、先生に助けを求める子も出てくる。


 それだけで終わらないのが近頃の世代らしく、泣き始めた男の子を中々宥められない若い女性教師に業を煮やして、母親達が出勤してしまった。


 五分後、校長や教頭を含む先生達五名が教室に入り乱れ、廊下にも数名の教師が隣のクラスの保護者に説明しており、教室の中のちびっ子たちも、親の目を気にすることなく賑やかに遊び、お喋りに勤しんでいた。


 俺は机に両肘を突いて頭を抱えていた。


「おかしいな。俺が小学生の時はこんな無法地帯じゃなかったはずなんだけど。入学式からコレって……。下手すると幼稚園より酷いんじゃないか? せめて日常生活くらいは平和を満喫させてくれよ」


 俺は自己紹介前に配布されたプリントで折られた紙飛行機が飛ぶ教室の天井を見上げた。


「るー君、だいじょーぶ?」


 俺があまりにも憔悴していたからか、真後ろに座る凛子が席を立ち、上から覗きこんでくる。


 凛子の髪が掛かってくすぐったかったが、そのままの体勢で凛子の頬を撫でた。


「俺はまぁ大丈夫だ。大丈夫じゃないのは……モンスター化してない母さん達だろうな」


 俺と同様に、小学校の現状を目の当たりにして唖然としている常識に満ち溢れた十名にも満たない保護者達に目を向けた。


 正午前には余裕を持って帰宅できるはずだったのに、正午になってようやく学校から脱出できた俺と桜と凛子ママは、六年間も無事に過ごせるのかと不安いっぱいの溜息を吐きながら、笑顔の凛子と、隣のクラスで事情をあまり分かっていない瑠奈に連れられて家路に着いた。


 小学校生活二日目。


 凛子は意気込んでいた。


 俺は鼻息の荒い凛子に何があったか探るため、Thunder Lordを空に綴って押し込んだ。


 凛子の頭上に表示された文章を読み終えたのだが、一緒の教室で勉強したいと駄々を捏ねる瑠奈を宥めるために朝から体力を使い果たしてしまったので、行く末を黙って見守る。


 今日は、凛子の友達百人できるかな作戦の初日である。


 ホームルーム朝の会まで残り十五分。


 ファーストコンタクトを取るには十分過ぎる時間だ。


 凛子が最初に目を付けたのは、左舷前方の席に座っているボブカットの白い髪と白い肌が特徴の人形みたいな女の子。


 どう見ても日本人らしからぬ見た目。


 なぜかは知らないが、どの学校の、どの学年にも一人は絶対いるタイプの子である。


 もっとも、その子はほぼ日本人のクォーターであり、日本生まれの日本育ち。


 いわゆる隔世遺伝というヤツだ。昨日の自己紹介時に心を読んだ結果である。


 そして昨日も現在も、彼女の心にはブリザードが吹き荒れていた。


 有り体な話だが、奇異の視線が嫌いなようだった。


 俺は相手の嫌がることをしたい訳ではないので、昨日の自己紹介の時はモニターをチラッと見ただけで視線を外し、人差し指と中指を弾いてモニターを消し飛ばしていた。


 初見にしてはレベルの高過ぎる女の子に煌きの視線を釘付けにする凛子。


「おはよー、えっと、はじめまして、みなみりんこです。きれーな白い髪だねっ。外国の人?」


「近寄らないで、うっとおしい」


 早速声を掛けるのだが、いきなり本人が気にしていることをストレートに言ってしまえば、鋭い刃のような声で一刀両断されるに決まっている。


 その女の子は凛子を眼中に入れることなく、ランドセルからブックカバー付きの小説を取り出して、黙って読み始めた。


「ひっく、るー君、ひっくっ」


 出鼻を挫かれた凛子は、下唇を吊り上げながら、早速泣き付いてくる。


「待て凛子! ここは幼稚園じゃない! 小学校だ! いきなり抱き付くな! この光景を見られる訳には……ハッ」


 胸に飛び込んでくる凛子を、大事に至る前に引き放そうと試みるが、タイミング悪く昨日形成された女子のグループが教室に入ってくる。


「……ヒソヒソ……ヒソヒソ……」


 案の定、俺と凛子が目に入るなり、ワザとらしく遠目で内緒話を始める女子グループ。


 一年生とは言えこの娘達は女である。


 俺と凛子が朝っぱらから抱き合う光景を見て、ナニあの子調子に乗り過ぎぃなんてことを思われない訳がない。


 授業後の休憩、凛子が友達作戦を敢行するために全速力で女子達に歩み寄る。


「カレシとなかよくしてればイイじゃん」


 大抵の女子からはこのようにあしらわれ、まだ恋愛や嫉妬感情の乏しい女の子達の中に混ざったかと思えば、持ち前の行動の遅さが祟ったらしく、昼休憩の時点で置いてけぼりにされていた。


「るー君、うぇーん」


 結局俺に再び泣き付かれてしまう。


「一人でトイレに行くの……こわいから来て。もう……うぅ……がまんできないよぉ」


「いや、凛子。トイレくらい一人で行けるようにならないと」


「ダメぇ、はぅ……まに……あぁっ……わないも……んっ、あ……はぁぅ」


「あぁもう、分かったから絶対漏らすなよ! はぁ~」


 小学校にいる間、お世話係の任を解かれることは無いかもしれない、とトイレの窓の向こうに見える空を見つめるのだった。


 一週間後のホームルーム。俺は決めたんだ。


 手を挙げ、立ち上がる。


「先生、俺、保健委員になります。是非、お願いします」


 正直言って耐えられなかった。


「え? 観月くん、一年生で委員会は――」


 トイレに付き添うくらいはまだ良しとしよう。


 どうせ小学校のトイレは男女同じ場所だ。

 男女別のトイレも増えているが、全てではない。


「保健委員でよろしくお願いします!」


 しかし体育の着替えまで手伝わされるのはまずい。


「だから委員会は四年生になって……」


 教室でそんな光景を一年生達に見せるのは教育上よろしくない。


 相手は所詮お子様で気にすることはないだろうと思い、一度普通に着替えさせてみたのだが、女子達のヒソヒソが騒音レベルにまで跳ね上がり、男子達もこの光景は耳を真っ赤にしながら見なかったことにしてくれている。


 かと言って人目を気にしないためにトイレで着替えさせると、何故か凛子のドジっ子属性が開放されてしまい、小学校のトイレから発生しないはずの桃色音声が溢れ返ってしまうのでダメだ。


 もう二度とダメだ。


「保健室の先生と話をさせてくれるだけでいいですから!」


 ならば担任や保健室の先生に頼めばいいだけなのだが、幼稚園時代の先生達の苦労を考えるとすぐには無理だろうし、何より凛子が拒む。


 仕方ないので、せめて保健室という場所くらいは確保したい。


 その願いを込めて全力で、まずは担任に頼み込む。


「あ、はい……伝えておきます」


 俺は願いが通ると同時、椅子に座って灰になった。


 小学生になり、環境が変われば良い変化が訪れるかと期待したが、何も起こらないどころか悪化した気さえする。


 一体どうすれば収拾が付くのだろうかと、疑問を投げかけてみた。


 しかし、その相手が間違っていたのだった。

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