第16話 無駄にErosな診察遊戯⑥

 俺の目の前に現れた流川詠亜は距離を置き、腰に左手を当てて悠然と立っていた。


「そんな邪険にしなくてもぉ。でも、瑠璃君なら許せちゃう。ここに来たのは用事があるから。それくらい、瑠璃君はすぐに分かるわよね? あぁん、瑠奈ちゃん……そんな怖い目で見なくても……せんせー、もう心を入れ替えたのよん」


 詠亜は屈託ない笑顔を、瑠奈と凛子に向けている。俺のことは無視だ。


 しかし、瑠奈は俺の背中に隠れ、覗き込むように詠亜を睨み、警戒していた。


 凛子も俺達の詠亜に対する敵意を感じ取り、瑠奈の背中から離れないようにしている。


「るー君? ルナちゃん? あの人だーれ? せんせーなの? せんせーなのに怖いの?」


 震える凛子の声。

 凛子は必要以上に怖がっているようだ。


「瑠奈、簡単にで良いから詠亜が誰なのか、凛子に教えてやってくれ」


 凛子のことは瑠奈に任せ、その間に詠亜の目的を探る。

 よって、瑠奈と凛子の頭から、詠亜の頭にモニターを移して統合する。


『はぁ、んうっ、るりくぅん。瑠璃君が見てるぅ。私に穴が開いちゃいそうな熱い目で……いやん、イイッ。瑠璃君が、いっぱい、見てるっ! はいてないし、つけてないのに、瑠璃君が、私の全部を見てるぅ!』


 何も読み取れなかったことにして砕くように消した。

 詠亜はわざと読心魔法を使わせたかったようだな。


「凛ねぇ! えっとね! あのせんせーはねっ! 詠亜せんせーでねっ! るーにーのお医者さんのせんせーなんだけどねっ! なんかねっ、ダメなのっ! あんな風にっ、るーにーを、じーっと見てるだけで、おもらしする人なのっ!」


 瑠奈が指差す先には、膝をガタガタ震わせて今にも昇天しそうな詠亜がいた。


 詠亜は瑠奈に指摘されたところでハッと我に返り、足元の砂が濡れていることに気付く。


「瑠奈ちゃん! それは誤解よ! これはお漏らしじゃなくて、せんせーの涎! 瑠璃君があまりにも可愛かったから美味しく見えちゃったの! 美味しいモノを見たら、お口から涎が出ちゃうでしょ? それと一緒よん。でへへぇ」


 誤解だと叫びながらも普通の人間が出せる涎にしては明らかにおかしい量の涎を垂れ流している。


「るー君を、食べちゃダメぇ!」


 凛子は詠亜の発言を真に受けたらしく、俺の腕を掴み取って、詠亜から守ろうと抱き寄せてくれる。


 もっともそれは凛子の主観であって、誰がどう見ても怖くて俺に抱き付いただけだ。


 結局は瑠奈と凛子を面白半分に怖がらせているだけの詠亜。


 警戒しつつも、敵意の感じられない詠亜からさっさと用件を聞き出すことにした。


「で、用事はなんだって?」


 単刀直入に尋ねると、詠亜の表情が引き締まった。


「用事は二つ。どちらにせよ、少し長い話になるわ。ここで話せる内容でもないの。だから、是非ともせんせーのお家に招待したいのだけれど、どうかしら? 瑠奈ちゃんや、えーっと、凛子ちゃんもどう?」


「誰が行くか」

「ぜったい、やっ!」

「知らない人にはついていっちゃいけないので、ダメです!」


「そりゃそうよねぇ」


 三人三様の断り方に、予めリアクションを用意していたかのように肩を竦める。


「だったら最終手段よ! これでも喰らいなさい!」


 詠亜はスカートの後ろポケットに素早く手を入れ、何かを取り出そうとした。


 俺は腰を浅く落として構え、再び魔法を展開し、詠亜の頭上にモニターを表示させる。


『瑠璃君が、私だけを、見てくれているわ! 今、服をたくし上げたら――』


 何もなかったことにして撃ち抜くように消した。


 そのタイムロスが詠亜に事を為すための隙を与えることとなった。


 詠亜は何かを握り、俺達の前に突き出す。


「はーい、瑠奈ちゃん。ただ今大人気、売り切れ御礼、口の中に入れるだけですぐに溶けちゃう限定チョコレート、あげちゃうわよん」


 その手にあったものは、ただのお菓子。

 それも三つ。

 呆気に取られたと言うか、開いた口が塞がらなかった。

 しかし首を振って現実に返る。


「おいこら詠亜。さすがに瑠奈もそこまでお子様じゃ――」

「わーい、生とろチョコだーっ!」


 瑠奈は全力で詠亜の下に駆けて行った。


「待てぇ! 何で釣られるんだよ!? ってか走るな! コケるぞ!」


 しかも俺が心配した通り、詠亜の手前で転びそうになる。

 詠亜が瑠奈を支えてくれたおかげで、大事には至っていない。


「はーい、瑠璃君の言う通りよ。急がなくてもちゃんとあげるわ。はい、どーぞ。それでね、瑠奈ちゃん」


「わーいっ! 詠亜せんせー、ありがとーっ! あっ」


 詠亜は瑠奈を左腋に抱え、高らかに叫んだ。


「幼女が一人、釣れましたぁ! さぁ瑠璃君! 瑠奈ちゃんを返してほしかったら、大人しくせんせーの言う事を聞きなさい!」


「うぇーん! るーにー! 助けてぇっ! あ、おいちぃ」


 大人気ないどころか子供のように笑う詠亜と、一瞬だけ泣き叫んだものの、チョコを食べて目を細め、御満悦の瑠奈。


 俺は本気で悩む。


 このまま家に帰っても、問題ないのではなかろうか、と。


 しかし、そうは問屋が卸さないとはよく言ったものである。


「だ、ダメぇ! ルナちゃんを……ルナちゃんを返して! わたし、なんでもするから!」


 涙目で懸命に叫ぶ凛子が、この場を一層混沌としたものに変えていく。


「何でも、幼女が何でも……ハッ! ダメよ流川詠亜! 健気な幼女をあらぬ方向に誘導していくなんて! でも、こんなチャンス一生に一度あるかどうか。あ、そうね。まずは手順を踏んでいくことにしましょう。だったら凛子ちゃん! こっちにおいでなさい! そうすれば瑠奈ちゃんを解放してあげるわ! 人質交換ってやつね!」


 空いた手で鼻を抑える詠亜は、あくまで平静を装った声で凛子に交換条件を突き付ける。


「ひと……じちこう……かん? よくわからないけど! ルナちゃん、今助けてあげるからね!」


 凛子は台風並みの向かい風を掻き分けて進むような速度で走る。


 「幼女二人目フィーッシュ! そしてキャッチ&キープよ! リリースなんてもったいないこと絶対やらないわ!」


 詠亜の下に辿り着くなり、凛子も詠亜に掴まって、右腋に抱えられた。


「あーっ! 詠亜せんせー嘘ついたぁ! るーにー! 早くたすけてぇ! んと、りんねぇ、詠亜せんせーからもらったチョコ、おいしいよっ。あーん。るなも、もう一個」


「せんせー嘘つき! ふぇえん! るー君、ゴメンね。わたしも捕まっちゃったぁ! チョコ? あーん、はむ。んっ、おいしーね。せんせー、ありがとー」


「どういたしまして。喜んでもらえて良かったわん。さぁ、瑠璃君! 二人を返してほしかったら大人しくせんせーについてきなさい!」


 瑠奈も凛子も詠亜も、怒って泣いて笑ってと、忙しく表情を巡らせていた。


 俺はすでに諦めていた。


「はぁ~。はいはい、分かりましたよーだ!」


 肺が空になりそうな溜息を吐き、詠亜に従うことにしたのだった。

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