第11話 無駄にErosな診察遊戯①

 観月瑠璃の幼稚園や御近所における汚名返上作戦は順調に進み、一週間が経過した。


 本日の午後四時。


 観月家に帰還した俺は不安の真っ只中に浮いていた。


「これってフラグだよな、へぅ。この一週間でフラグ立て過ぎたのかな、んぅ。もう回収ってどうなのよ、あぅ。これが世間一般に言う死亡フラグなのかな、はぅん」


 俺は敷かれた布団の上で昼寝の体勢を取りながら、甘い吐息を吐いていた。


 寝転がっているだけで寝る気は毛頭なかった。


 今寝てしまったら、確実に天に向けて赤黒い死亡フラグが突き立ってしまう。


 子供と言えど恐らく関係ない。


 それは俺が普通の子供でないことを考えれば至極当然。


 現在、俺の右には観月瑠奈、左には美波凛子が、俺の耳に向けて寝息を吹き掛けながら爆睡している。


 この状況で何も反応しない奴は、悟りの境地に達した紳士ではない。


 この事態をどのように乗り切ってやろうかと、脳内議事堂に集い始める閣僚達に牛歩戦術でやってくるよう指示を出した俺だったが、母である観月桜が戸を僅かに開けて覗き見ていることに気付き、体をびくっと震わせた後、慌てて閣僚達を招集して着席させる。


「あらあら、瑠璃、素敵な思いをしてるわねぇ。妻妾同衾なんてあと五年は早いわよ。お母さんこれから買い物に行ってくるけど、変なことは程々にね。二人をベタベタにしちゃダメよ。あ、ティッシュの箱は押入れの下だからね。一箱くらいにしておきなさいよ。それじゃ、行ってきまーす」


 ピンク色の笑みを浮かべ、母親らしからぬ言葉を残して出かけて行った。


「助けろよ。俺じゃなくて自分と他所様の娘を助けろよ。それに何があと五年早いだ。五年経ってもレッドカードだろぉが。あと何をどう頑張ってもティッシュ一箱も使えんわ」


 俺はからかわれていたと理解する事もできず、このまま桜の言う通りに行動を起こすのは癪だった上に、桜がいない内にやっておきたいことがあったので、尺取り虫のように足の方から脱出する。


 「さらば、俺の幸せよ。五年後とは言わず、十年後にこうありたいものだな。さーて、お仕事お仕事」


 儚い未来の夢を呟きながら、押入れから毛布を引っ張り出して丸め、元居た場所にゆっくりと挿入する。


 瑠奈が真ん中に向けて何かを探るように手を伸ばし、凛子が啜り泣き始めたものの、毛布が突っ込まれるや否や、すぐに二人とも夢列車の平常運行に戻った……かのように思われた。


 俺が背を向けると同時、一層激しくなった二人の寝息と共に、代わりに入った毛布が変な挙動を取っているのは気にしてはいけない。


 俺は振り向くことなく玲と桜の寝室に向かった。


 布団が畳んで置いてあり、化粧台や箪笥、パソコンが置いてある六畳の一室。


 目的であるパソコンの電源を入れた。


「記憶の整理をしたは良いけど、結局思い出せないのは名前だけ……いや、それだけじゃなくて、前の家族の名前とか友達の名前と顔も全部忘れてやんの。なんだこの中途半端な記憶喪失は? あんまり一人になれないからテレビも勝手に弄れないし、新聞は廃品回収で出されちゃったし、最近の新聞には記事にすらなってないし、そうなるとネットだけ。一週間ちょい前の大事故なんだから当然あるはずだけど……」


 この体に移る前の自分の正体を知りたくて、立ち上がったパソコンを操作してインターネットで検索する。


「タンクローリー、事故、被害者、高校生……あった。一発で……。これが俺の名前」


 ガソリンを積んだタンクローリーの事故。


 左前輪タイヤのバーストにより、縁石に乗り上げ、通学途中だった高校生一名を撥ね飛ばし、電柱に激突。

 後に爆発。

 これにより、タンクローリー運転手は意識不明の重体。タンクローリーの運転手は電柱激突時に外に放り出されて物陰に落下したようで、爆発には運良く巻き込まれなかったらしい。


 肝心な情報は、呆気なく手に入った。


 被害者の高校生、建御来(たけみらい)葉(は)、十八歳、全身火傷により、病院に搬送された後、死亡。


 俺は検索履歴を消去し、パソコンの電源を落とした。

 そして台所へ行き、コップに一杯の水を入れ、一気に飲み干した。

 そのままコップを握りしめ、胸に強く当てる。


 分かっていたことだったが、やはり現実を直視すると辛かった。


 家族や友達の顔も名前も思い出せない。


 たくさんの愛情を込めて育てられて、たくさん遊んで、たくさん怒られて、思い出だって数え切れない。


 記憶のスナップ写真には、はっきり映る背景と、ピンボケの人の顔。


 建御来葉の家族は、どんな思いで焼けた自分の姿と対面し、葬式を行ったのだろう。


 俺は染みだらけの天井を見上げた。


 誰の顔も思い出せない悔しさと謝罪の気持ちが、目から溢れ出ないように。


 桜が帰ってきた頃には、平然とした顔でスナック菓子を食べていた。


 コップには俺の小さな指の太さ程度の水が溜まっていた。


 翌日。

 ようやく園児プレイに慣れてきたものの、残り一週間よ早く過ぎ去れと念じざるを得ない。


 この幼稚園生活の一日の終わりが、現在乗り合わせている送迎バスだ。


 今日は不思議なことに、普段とは別のルートを走行している。


 どういうことかと先生達の心を覗こうと魔法を描き始めたところで、引率の女の先生に声を掛けられる。


「観月君、今日は診察の日なんでしょう? 病院の先生から連絡があったから、送ることにしたの。病院の先生が瑠璃君のお父さんとお母さんにはもう連絡してあって、お父さんに確認したら、病院まで迎えにいってくれるそうよ。お母さんは瑠奈ちゃんを待ってるって。瑠璃君一人で行ける?」


 直後にバスが病院前で止まった。


 一人での診察は全く問題無いが、別の意味で問題がある。


「やだーっ! るなもっ、るーにーといっしょ! そうじゃないと詠亜せんせー、るーにーに、あーんなこととか、こーんなこととか、いっぱいしちゃうっ!」


 問題その一、甘えん坊な瑠奈の暴走。

 形容し難いジェスチャーを伴った瑠奈の発言を聞いた先生の引き攣った顔を見る限り、すでに詠亜の医者生命が黄色信号である。


「るー君、わたしも、行きたいなー」


 瑠奈が言い出せば凛子も芋づる式について来るのが問題その二。


「瑠奈は一緒で問題ないけど、凛子はダメだ。凛子の母さんが心配するからな。先生達にも迷惑掛けちゃうぞ」


 もっとも、問題その一はさっさと解決したのだが、瑠璃が簡潔に言い過ぎた結果、問題その二が深刻化する。


「るー君、ルナちゃんはよくて……わたし、ダメなの?」


 うるんだ瞳で見つめられ、即座に視線を逸らす。そして考え、俺は行動に移すのだ。


「あぁ、今回はな。これで我慢してくれ」


 そして俺は凛子を、先生の目を気にせず、きゅっと抱き締める。


 ふっ、惚れたガキなんぞこれで一発……そう考えていた時期が俺にもありました。


「るー君、もっと」

「え? こう?」


 凛子に言われるがまま、もうちょっと強く抱き締める。


「るー君、もっと、背中、撫でて」

「えーっと、こんな感じ?」


 言われた通り、凛子の背中を優しく撫でる。


「はふぅ、るー君。次はね、頭をなでなでしながらね、んっ、ちゅーとか、おし――」


 凛子の頭上にモニターを移動させて心を速読した。


 こんなところでそんなことできる訳がなかろうて。


 俺は心に綴る。

 凛子のお父さん、お母さんへ。

 昨晩、目撃されておりますよ。それをこんな昼間から再現させないでください。


 と言う訳で、俺は凛子を離し、頭を二度撫でてから、首を傾ける瑠奈を引き連れ、顔を真っ赤にして目を覆いつつもしっかり指の隙間から鑑賞していたむっつり先生と、頬を膨らませる凛子と、大量の園児を抱えるバスから全力で逃げたのだった。

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