第10話 無駄にRealな覚醒条件⑩

 俺と瑠奈と凛子が仲良く揃ってバスを降りるなり、血相を変えた凛子の母が、俺から引き剥がすように凛子の手を取った。


 安心して子供を預けておけない幼稚園になぜ行かせるのか?


 そもそもPTA的な圧力か何かで以前の瑠璃を退園させることはできなかったのか?


 それが不可能なら自分の子くらい他の幼稚園に転入させれば良いのではないか等々の疑問が頭によぎる俺だったが、波風を立たせたくない日本人の気質上、簡単に変な行動を起こしたくないのだろう、と無駄に保守的な思考の結果、何も守れていないという矛盾の結末が訪れている事態を嘆かわしく思う。


「母さん、俺が記憶喪失って言う説明は? ……してるか。まぁ実物を見ない限り信用できませんよねー」


 送迎バスの迎えに来てくれた桜に現状を問おうとしたが、自らが問い掛けておきながら、桜の堂々とした立ち振る舞いと、やりきった表情を見て大まかな事情を把握する。


 母親達が二十名程集うこの送迎場に顔を出すだけで勇気ある行動なのだ。


 そこで桜はちゃんと説明したのだろう。凛子から桜にモニターを移して心を見ても、やるべきことはやった、と満足げな文章が緩やかに流れて昇っている。


 まさに母は強し。


「凛子、ちょっとおいで」


 ならばと俺は、手招きして凛子を呼ぶ。


 凛子は母親の腕から、一瞬だけ早く飛び出して、凛子としては全速力の、歩くようなスピードで俺の下に駆けてきた。


 そして凛子の頭に手を置く。


「良い子だ、凛子。でもゴメンな。今日はやっぱり遊べそうにないや。凛子のお母さんが、凛子のこと、心配だって」


「心配? るー君のこと?」


 凛子は不安そうに俺を見つめていた。


「そう、だから、今日は俺がどれだけ良い子になったかを、ゆっくりでいい……凛子がお母さんにお話してくれないか? そうすれば、きっと明日から、いっぱい遊べるようになるからさ。凛子、できる?」


「うん、できるよー。わたし、がんばるね」


 凛子は笑顔を弾けさせ、母親のところまで、蟻が走るような速度で戻っていった。


「お母さん、早く帰ろ。今日のるー君のこと、いっぱいお話してあげるから」


 凛子は母の手を引いて、亀が泳ぐようなスピードで帰って行った。


 その光景は、送迎に来ていた全ての親が見ていた。


 そして全員、俺を見る。


 俺は無邪気に見える笑顔を作り、それらの視線に応えた。

 

 親達はそれぞれの子を連れて、チラチラと振り返りながら、それぞれの家路に着く。


 桜はここに来て、肩の重荷が取れたかのように息を吐いた。


「ふぅ。さすが瑠璃ね。これで一歩前進かしら? お母さん、瑠璃が退院してから元気いっぱいよ。瑠璃、今日の晩御飯、何が良い? 今日も御馳走よ」


 快活な笑みを見せる桜は、病室で初めて会った時とは比べ物にならない程元気だった。


 きっとこれが本来の桜なのだろう。元気な桜を見て、瑠奈も、もっと元気になる。


「おかーさん! るな、ハンバーグがいいっ!」

「瑠奈に聞いてるんじゃないんだけどなぁ、ふふっ。瑠璃はどう?」


 桜の苦笑いにも、幸せと嬉しさが見える。

 微笑ましい光景に思わず吹き出しそうになってしまうが、咳払いして耐える。


「こほん、ハンバーグでいいよ。ただし野菜はニンジンとピーマンで」

「えーーーっ!? るーにー! なんでぇっ!?」

「瑠奈の好き嫌いをなくすためよねー。さすがお兄ちゃん、分かってるわぁ」


 この世の終わりが来たかのように叫ぶ瑠奈を余所に、ねーっ、と首を傾け合う俺と桜だった。

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