第9話 無駄にRealな覚醒条件⑨

 帰りのバスの中。


 最後部に座る俺の目の光は瀕死の魚の如く弱かった。


 対照的に、俺の左腕に抱き付いている瑠奈の笑顔は後光が射す程に眩しい。


 体内の雷燃料は豊富に残っていると感じるのだが、回復魔法を使うためのThunder Lordを描く気力が削り取られていた。


 いつになったら昼休みが終わるのかと、全力で園児達と戯れ、和解に向けて励んでいたのだが、いつまで経っても終わる気配がない。


 先生に声を掛けられた時は、もう帰りのバスの時間だった。


 その時先生達の心を見て分かったこと。


 今日は一日掛けて観月瑠璃が本当に改心したかどうかを見極め、出来得ることなら恐怖心を刻み込まれている園児達のケアに充てよう、というものだった。


 普通であれば失った信頼を取り戻すのは困難の極みであるのだが、相手は子供ということで成果は上々。


 先生達にも笑顔が溢れていた。


 しかし俺は、さっさと心を見ておけばちゃんとペース配分できたのにと、バスのシートに沈み込み、ノックアウトされて白くなっていた。


 隣にいる瑠奈の輝かしい笑顔を見ても、回復するどころか溶けてしまいそうな錯覚に陥る。


 もっとも、瑠奈の上機嫌っぷりも理解できる。


 回復する気力は無いものの、先生の頭上に展開済みのモニターを移して心を見る気力はあったので、渾身の力を込めて指先を動かし、瑠奈の頭上にモニターを移動させて今日の出来事を簡単に読み取る。



 今日はイジメられなかった。それどころか、みんなが俺に注目してくれていて、有名人みたい、と俺がたくさんのちびっ子達と仲良くなっていくことを、自分のことのように喜んでいた。


 しかしそうでない者が隣にいた。


「おーい、凛子、大丈夫か?」

「え? あー……うん。だいじょーぶ。るー君、ホントに優しいるー君なんだね。良かったね、ルナちゃん」


 俺の右隣に、俺と同じように疲れた顔をしている凛子が座っていた。


「えへへ、凛ねぇも、るーにーに撫でてって言ったら、なでなでしてもらえるよっ? るーにー、ほっぺたプニプニしてっ」


 バスに乗り込むなり、俺に甘え続ける瑠奈。


 おねだりされたならしょうがない、と回復魔法を発動させた後、人目を全く気にせず瑠奈をつつき回す。


 瑠奈のとろけそうな笑顔を見ていると流血事件に発展しそうだったので、顔だけは凛子の方を向いて様子を窺う。

 凛子は疲れたような笑顔を浮かべるだけで何も言わなかった。


 俺の前では無駄なのに。

 瑠奈の頭上から凛子にモニターを移した。


『るー君に、ルナちゃんと同じことしてほしいな。でも、なでなでもしてほしいな。でも、るー君、わたしなんかにやってくれないだろうな。言いたくても、言えないなぁ。いつも通り、言えないなぁ』


 緩急を付けて流れる凛子の心。

 緩やかな部分だけを読み取り、ニヤニヤしながら瑠奈から手を離し、凛子の頭をくしゃくしゃっと撫でた。


 その後、頬をぷにぷにして優しく頬を撫でてやる。


 そして何も言わずに膨れっ面になっていた瑠奈の頬を両手で挟み、瑠奈の相手を再開する。


 凛子は頬に手を当て、俺の顔に穴を開けそうな程、熱い視線を向けていた。


 顔はニヤけている俺なのだが、内心は困惑していた。


 先生達と瑠奈、凛子の心を確認したところ、凛子は俺や瑠奈と入園当初から、俺と全てクラスが一緒だった幼馴染であり、バスの下車先も同じ。


 そして観月瑠璃の一番のイジメ相手であり、ハサミで服を裂いた園児でもあった。


 凛子と瑠奈の仲が良いのは、接点が多いということと、互いが以前の瑠璃に虐められ、お互い励まし合っていた。


 いつしか友達に、瑠奈が凛姉とまで呼ぶ関係とまでなった、ということだ。


 瑠奈と凛子は互いが唯一の友達であり、親友であり、他にはいない。


 問題は、そんな酷いイジメを行っていた観月瑠璃に対し、凛子の心が開けっ放しであることだ。


 これは俺の推測だが、凛子は観月瑠璃に対し、以前も今も接し方は同じなのではないかと考えている。


『るー君、もうわたしをイジメないのかな? 叩かないのかな? 蹴らないのかな? イジメてくれないのかな? 叩いてくれないのかな? 蹴ってくれないのかな?』


 そうでなければ、凛子のモニターにこんな文章が羅列される訳がない。


 原因は凛子にもあった。


 観月瑠璃程ではないが、凛子も問題児扱いされている。


 性格に難がある訳でも、精神的な病に掛かっている訳でもないのに。


 俺は凛子の目を見て言った。


「凛子、じゃんけんしようか」

「え? あ……うん。じゃん、けん……ポン」


 俺はチョキを出した。

 凛子はまだ、小さく振り上げた手を振り下ろしていない。

 ゆっくりと、手を開き、パーを出した。


「凛子……、後出しで負けるなよ。はい、罰ゲーム」

「ご、ごめんね、るー君。わたし、とろいから……ふがふが」


 俺はチョキのまま凛子の鼻の穴に指をちょっとだけ突っ込んだ。


 凛子の問題点は行動が異常に遅い。何をするにしても、とにかく遅いことだ。


 しかも人見知りらしく、俺や瑠奈以外と滅多に話さない。


 だから友達がいない。


 関わると面倒なので、構ってくれる人もおらず、観月瑠璃だけがイジメという形で構っていた。


 凛子は誰かが手を引いてやればちゃんと普通の速度で行動できる。


 観月瑠璃は今日も、今までも、良くも悪くも凛子のお守役だった。


 先生達も人手不足で、凛子一人に付き沿う暇はない。

 ゆえに今までは、観月瑠璃の暴力をある程度は止む無しとして無視していた。


 その結果が、これだ。


『るー君、わたしをイジメてくれた。叩いてくれなかったけど、イジメてくれた。ハサミで切られた時は怖かったけど、痛いのはイヤだけど、るー君、もっと、わたしをイジメて。それでずっと傍にいて。それで一緒に遊ぼ、ずっと、ずーっと……ずっとずっとずっと』


 こんな壊れた想いを心の中で繰り返しながら、満足そうに微笑むようになっていた。


 以前の観月瑠璃だけではない。


 原因は、凛子に関わる者全てに対し、均等にある。


 これで俺が少しでも外道だったら、数日で凛子を外道の果てまで誘うことができるのだが、瑠奈を健やかな妹に教育していくと決めた以上、凛子もまた王道の幼馴染へと導いてやるのが筋である。


 ゆえに、凛子が異常な子供になってしまったきっかけとなった過去の瑠璃を心の中で一発ぶん殴り、凛子の肩を優しく掴んだ。


 「凛子、俺は凛子をイジメなくてもずっと傍にいてやる。だから、イジメてくれなんて考えるな。それでも不安なら、俺の傍にずっと居ろ。ずーっと、ついてこい。いつも待ってやる訳じゃないけど、時々なら、待ってやるから」


 耳元で小さく、はっきりと、フラグを立てるつもりで囁いた。


 どうせ子供、心の声に返事をしたなどとは思うまい。


『るー君、わたしの思ってること、分かるの? どうして? どうして?』


 冷や汗が止まらなくなった。


 腕の中から離れた凛子は、不思議そうで疑惑に満ちた顔と視線を俺の網膜に突き刺す。


 子供は予想外の事を考え、女の勘は鋭い。


 凛子はどちらにも当てはまっていた。


「でも、いっか。るー君、ありがとぉ。るー君は優しいね」

『でも、いっか。るー君、ありがとぉ。るー君は優しいね。大好きに、なっちゃった』


 俺は凛子の声を聞いてホッとした。

 そして心の声を見てポッとなった。

 上目遣いのはにかんだ笑顔が、この上なく可愛かった。


「えへへ、凛ねぇも、るなといっしょ。家に帰ったら、遊ぼうねっ。るーにーもだよっ」


「はいはい、面倒な事が全部片付いたらな」


 瑠奈の眠たそうな笑顔が俺の肩に乗せられる平和な今の内に、逆にフラグを立てられたのではないかという無駄な心配を投げ捨てるために、二人の頭を一生懸命撫で続けた。


 バスを降車したところで、早速平和にヒビが入るのは言うまでも無いことである。

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