第7話 無駄にRealな覚醒条件⑦

 玄関扉を開ける。


「おかえり、瑠奈。幼稚園もう終わったのか?」


 目の前には幼稚園の制服である水色のブラウスに白のカーディガンとプリーツスカートをヒラヒラさせている瑠奈がいた。


 背が小さい上に扉に接近していたから見えなかっただけである。


「うんっ! えとねっ、るーにーがね、今日からおうちに帰ってくるって、せんせーといっぱいおしゃべりしたら、ちょっと早いけど帰っていいって!」


 幼稚園に関しての情報は桜にそれとなく尋ね、読み取っているから把握している。しかし、送迎はバスのはずであり、どうやって帰って来たのかと、手を背中に回して魔法を描き、発動させて心を覗く。


『るーにーが開けてくれた。びっくりした。るーにーが目の前にいる。るーにーがおかえりって言ってくれた。るーにーとおしゃべりしてる』


 瑠奈は同じ文章の主観情報を綴るだけ。

 役立たずもいいところである。


「瑠奈、どうやって帰って来たの? バスは?」


「えんちょーせんせーのくるまっ!」


 仕方ないので直接聞いてみたところ、園長の外出ついでに瑠奈を送ったのだろう推察した。


 となると、玲か桜にも当然連絡が行き届いているため、そろそろ二人のどちらかが帰ってくるだろう。


「え、えとねっ、るーにー。えっとねぇ……」


 ここで突然、瑠奈がモジモジと手と足を擦り合わせ、恥ずかしそうに俯いた。


 言いたい事があるならはっきり言え、という前に理解できる可能性を秘めた魔法を使うことができる俺は、今度こそ役に立ちますように、と念じながら今一度瑠奈の頭上に目をやる。


『おしっこ、もれちゃう。おしっこもれちゃう』


 モニターに所狭しと埋まる文章。玄関前で立ち話をし過ぎたようだ。


 俺は平静を装いつつも、心底焦りながら、内股の瑠奈の手を引いて、素早くトイレに誘導した。


 予想に反して全く帰って来ない玲と桜。


 瑠奈が帰宅して、彼此二時間は経過する。


 しかし、それだけの時間があれば十分だった。


 二時間もの間、美少女ならぬ美幼女と二人っきり。


 もう、足腰が立たない状態に陥っていた。


「あぁもう、瑠奈は可愛いなぁ。よしよし、こうやって撫でられるのがいいのかぁ?」

「ふにゃあ。るーにー優しいなっ。優しいるーにー大好きっ! えへへ~」


 というより、俺がメロメロだった。


 眼下で、赤いリボンとそこから飛び出している髪が波間に浮かぶ船のように揺れ、女の子特有の甘く香る匂いが鼻腔を擽る。


 瑠奈は俺の胸に飛び込むように抱き付いて、二時間ずっと撫でられていた。


 二時間前まで、心を鬼にし、全力で俺好みの妹にしてやろうと意気込んでいたのだが、瑠奈の一挙一動……特に上目遣いの笑顔と子猫のような甘いボイスのコンビネーションには想定外の破壊力が秘められており、外道精神は見事に駆逐されてしまった。


 ゆえに、健やかな兄想いの妹に育ててやろう、というどこにでもいそうなただのシスコン兄貴と化したのだ。


『るーにー、そこダメッ、くすぐったぁい。でもるーにーだからいいもん。るーにー、笑ってぇ? るーにー、大好きっ。るなのるーにー。えへへへ~』


 緩やかにスクロールする瑠奈の心の声も、見ているだけで悶死しそうだったので、モニターはそっと閉じておく。


 調子に乗って心を覗いていると、いつか鼻血の海を見ることになりそうだったので、必要な時にだけ覗くことにしようと心に決めた。


 瑠奈は俺の妹なのだが、歳の差が一年もない。


 俺が四月生まれで、瑠奈が三月生まれということらしい。つまり学年が一緒。


 幼稚園では同じ年長組。

 そして瑠璃お兄ちゃん。

 だから、るーにー。


 この答えを導く頃には陽の半分が西へ沈んでいた。


「ハッ、俺はこんな時間までいったい何を?」


「むにゃ? どーしたのっ? るーにー?」


「ん~、あぁそうだ。瑠奈、これ以上昼寝したら夜に眠れなくなるぞ」


 壁に掛かっている時計を確認してみれば、午後五時半ば。

 夢の世界と夢見心地を行ったり来たりしていた理想の妹と、こんな時間まで時を忘れて戯れていた。


 瑠奈の顎を指で撫でてやると、うにゅーと発して目を細める。

 そんな瑠奈を見た瞬間、鼻から色んなモノが噴火しそうだったので慌てて天を仰ぎみる。


「だからこんなことをやってる場合じゃない。まずは冷静になれ。円周率を数えて落ち着くんだ。さんてんいちよんいちごーきゅうにぃろくごーさんごーはちきゅうなな……」


 如何に言ってもそろそろ両親が帰宅する頃合いだ。兄妹のじゃれ合いを超えるようなことは行っていないつもりだが、一騒動あったかのような二人の乱れている服装を見られたら、まず間違いなく誤解されるだろう。


 普通の子供だったら問題ないのだろうが、俺は普通ではない。そして普通ではないということを両親も知っている。


 ゆえに、円周率を四十桁程呟いて落ち着きを取り戻した俺は、眠そうに目を擦る瑠奈を起立させて乱れた服を整えてやる。


 すると玄関前に気配が二つ。

 そして鍵が開いた。

 俺は玄関まで走り始めた瑠奈を追い、帰宅してきた両親に向け、瑠奈と声を合わせて言った。


「おかえりなさーい」


 返事が中々聞こえてこない。


 玲と桜の目には涙が浮かんでいた。


 不思議に思い、こっそり魔法を描き、二人の心を見た。


 『あぁ、ただいま。桜、どうしようか? 嬉しくて、声が、出てこない』

『玲も、同じなのね。ただいま、瑠璃、瑠奈。ダメ、まだ、声を出せないわ』


 この後は、ひたすら昇る高速スクロールの文章でしかなかった。

 

 心を読んでも事情が把握できないとはどういうことだと、魔法というのも存外大したことがないとがっかりするのだが、それは追々考えることにしよう。


 まずは明日からの身の振り方を定めるために、退院祝いの特注ケーキがテーブルのど真ん中に聳え立つ楽しいディナーの中で、怪しまれない程度に質問し、ひたすら情報収集を行うのだ。

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