第4話 無駄にRealな覚醒条件④
もう一度、詠亜の頭上に表示されているモニターを見上げてみる。
『ああっ! その目、イイ! 瑠璃君もっと私に素敵な視線を! はうぅんっ! ハッ、ダメよ。それどころじゃない! 早くこの子の正体暴かないと。これは私の夢を実現できる可能性を秘めた金の卵だわ。な……に……が……どう転ぶにしてもね!』
これは何だ? 誰も見えていないのか?
僕は心内で驚くものの、表面は平静のまま読み終えた。そして確信する。
これは詠亜の言葉ではない。 詠亜の心の言葉。
しかしノイズがある。心の言葉なのに何がと来た。
文章の特定の部分だけ、雑音が視覚化されたかのように網が掛かり、何がという文字に変換された。つまりその部分を認識できないということ。
さらに、文章を読み終えた途端、文字が溢れ、雨降る景色を逆再生するが如く上にスクロールして消えていく。
いくら目を凝らしても、僕の動体視力では読み取ることはできない。
結局は何も理解できないままだが、あんな死に方をした上に、こんな場所で、見知らぬ少年の体の中にいる以上に驚くことはない。
詠亜の欲に塗れた誘導尋問のおかげで、今、何をすべきか考えられる程度の冷静さを取り戻すことができた。
だから俺は、今ある手持ちのカードを、相手に悟らせぬように全力で使う。
「詠亜先生。僕はいつから、なんで入院してるの?」
口調に困ったが、後々のことを踏まえ、見た目に合わせて問い掛ける。
「あら? やっとお話してくれる気になったのかしら? もちろん教えてあげるわ。その代わりせんせーの質問にも答えてね。むしろ先に答えてもらおうかしら? 何を聞こうかな? うっふん」
賞味期限スレスレのウィンクを全力で避ける。
そして詠亜の頭上に映し出されるモニターを見た時、文字の昇流は一時的に流れを緩やかにした。
『昨日の朝八時頃、一般道でトラックに撥ねられて緊急搬送。内臓破裂諸々の目も当てられない状態だったらしいんだけど、レントゲン、CT検査しても右第一肋骨骨折以外の形跡無し。しかし脳波パターンに異常が見られなかったにも関わらず昏睡状態が継続。しかも今日になって骨折完治。正直謎だらけなのよねん。まぁ意識も戻ったことだから、二日間の検査入院としばらくの通院ってところかしら。それにしても、面白い子ね、ぬっふっふぅ』
再び文章の流速は俺の目に捉えられないスピードになる。
しかし、予想以上の情報量に思わず笑ってしまいそうだった。 噛み締めて堪えながら、観月瑠璃の両親に顔を向ける。
「ごめんなさい。僕が記憶喪失であることは間違いないです。あなた達が、父さんと、母さんなんですか?」
あくまで知性の高い少年を装った。
突然の問いに、両親は困惑したのだろう。どう言葉を掛けてよいか迷っている。
僕がモニターに目配せすると、詠亜から二人の頭上に移動し、分割表示される。
『確かに……父……親……観月玲だ。瑠璃は本当に記憶喪失なのか? だが、いつもの……がない。だが、それでいい。ああ、神か仏か知らないが、感謝だ。これは、奇跡だ』
『私は瑠璃の……母……親……観月桜だけれど、本当に変わったの? でも、瑠奈がまだ……されていない。やっと戻れるのかしら。いえ、これから始まるのかしら? でも、これはどうしようもないこと。お願い、瑠璃。このままでいて』
心に記される文章は、緩急を付けながらモニター上部に消えていった。中途半端にしか表示されないモニターに苛立つが、まだ平静を装う。
そして、俺は勘違いしていたことに気付く。
「ねぇ瑠璃君。君がどこまで賢い子なのか、せんせーに教えてくれないかな? 包み隠さず、正直に。そうすれば瑠璃君の欲しい情報をぜーんぶ教えてあげるわよん」
詠亜の言葉を無視し、観月瑠璃の両親の反応について、とある仮定を導き出す。
仮定? そんなもの必要ない。だって見れば分かるのだ。
俺の目で見ても分かるのだ。
観月瑠璃の両親は、息子の記憶喪失という事態を嘆いていなかった。
むしろ、誰がどう見ても喜んでいた。
狂ってやがる。息子が息子じゃなくなって、喜ぶ顔を見せる親がどこにいるのだろうか?
目の前にいやがった。
どんな事情があるにせよ、俺は観月瑠璃の人生に同情した。
そして、最終確認を行う。
「ごめんなさい。多分だけど、瑠璃くんはもう帰ってきません。本当に……ごめんなさい」
ベッドから体を起こしたまま、彼の両親に向けて深々と頭を下げた。
「そ、そうか。だけど、気にしないで良い。瑠璃は瑠璃じゃなくなっても、瑠璃のままだし、僕や母さんの息子だ」
「そうよ。だから、瑠璃は何も心配する必要はないわ。早く治してお父さんと、私と、瑠奈と、みんなで美味しいご飯、食べましょ」
とても優しい言葉だった。
暖かさと明るさを塗りたくった言葉。
そして、喜びを抑えて押し殺した言葉。
なぜ喜んでいるのか?
理解不能だよ。
心を見れば簡単なことだけど、どうやら何もかもを見透かせる訳ではないらしい。
両親共に軽度のパニックに陥っているためか、情報量が多く、目で追えない。
心を読み切る前に、勝手にスクロールして消えていく。
質問して情報を絞れば、読み取れる速度にまで落ちるのだろうが、踏み入った質問をすれば事態が悪化する恐れがある。
この流川詠亜が典型的だ。
俺は沈黙して思案するが、やはり喜ばしいことだった。
受け入れられていた。こんなにも不気味で、不確かな存在なのに。
再び頭を下げ、顔を上げることができなかった。
笑いが止まらない。
座高が低いので、下を向いていれば表情は見られない。
身の振り方はともかく、落ち着ける場所を手に入れることができたのはまさに僥倖。
今はこれ以上求めまい。
だから俺は、なんとか口を横一文字に結び、詠亜を眼中に入れないよう顔を上げ、両親に感謝の意を伝えようとした。
「るーにーは、るーにーじゃ、なくなっちゃったの?」
その前に、事情を理解できるはずもない幼い瑠奈が、涙目のまま僕を見上げ、袖を引っ張り、悲しそうな声を、手を震わせながら絞り出す。
相手は子供。答えは簡単だった。
「あぁ、ごめんな。お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなくなって。瑠奈のこと、全部忘れちゃった。でも、お兄ちゃん、瑠奈といっぱい楽しいことして遊びたいから、頑張って早く治すからな」
瑠奈の頭を、髪を梳くように撫でて笑った。
すると瑠奈は、向日葵が雲に隠れていた太陽を見つけたかのように元気になって俺に飛び付く。
両親の顔も、抑える必要がなくなったかのように、喜びに染まる。
俺は仕上げの言葉を人形のような笑顔と共に飾った。
「父さん、母さん、瑠奈、ただいま」
心を読まなくても分かる。
「あぁ……おかえり、瑠璃」
「えぇ……おかえりなさい、瑠璃」
歓迎されていた。
俺にはモットーがある。楽しいことがなくては生きていけない。人生楽しんでなんぼである。その楽しみの一つが、目の前にあった。
「うん! るーにー! おかえりっ! 早く元気になってねっ!」
この可愛らしい幼女の笑顔が、俺のさじ加減一つだと思うと気持ちは昂った。
そして観月瑠璃として生きることを決めた俺は、両親と瑠奈の心に綴られる喜びの濁流を、読み取れないながらも目で追い続けたのだった。
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