第3話 無駄にRealな覚醒条件③

 目覚めた時、そこはベッドの上だった。


 女医と看護師の顔が視界に大きく映る。


 茜色の陽が浅く部屋に射し、険しい顔をする女医の姿に、思わず縮こまる。


「ようやくお目覚めみたいね、瑠璃君。さぁ、先生とお話しましょう」


 狸寝入りはすでに手遅れだ。


 左目を薄く開けてみれば、この場にいるのは女医と看護師だけではない。


 瑠璃と呼ばれる少年の両親らしき者、そして瑠奈がいる。


 薄目だろうが注視されているためにバレバレで、逃げ道はすでに無い。


「まぁ、お話するにしても、ある程度の情報はあげないとね。記憶喪失みたいだし。とりあえずはいこれ、カルテよん。自分が誰だか忘れちゃってるみたいだから、名前くらい自分で確認しなさい。これが君よ。あと、今日は三月二日だからね」


 女医は考える暇を与えてくれない。


 看護師から、瑠璃と呼ばれる少年の診療録を受け取る。

 そこに書いてある個人情報を読み取る。


 肝心な年齢が書いていなかったが、生年月日から察すれば簡単なこと。


 名前も振り仮名が掠れているが、読み取るには容易な漢字。


「観月瑠璃、みづきるり……六歳か」


 二度呟いて、自らの存在を確認する。


 名前には全く聞き覚えがない。


 しかし俺は、未だこの事態がどういうものかを理解していない。


「そーなのよねー。君は観月瑠璃君、六歳なのよねー。瑠璃君にとっては、自分の漢字を読むくらい、自分の歳を生年月日から計算するくらい……簡単だったかー。御両親から聞く限りでは、前の瑠璃君はそんなこと……できなかったらしいんだけどねん」


 嵌められた。


 女医の顔は、まるで世界を自分が中心になって回しているかのような自信に満ちた意地汚い笑顔。


「せ、せんせーは、何を……言っているの?」


 辛うじてこの言葉を絞り出すが、声が震える。


 これでは俺が怪しいと自白するも同然。


 いったい何がどうなって、俺は観月瑠璃の中に生存しているのか?


 そんなの知る訳が無い。


 それでも分かることはある。


 ここでは、俺が観月瑠璃ではないということを隠さなければならない。


 ただの記憶喪失ならまだ良い。


 しかし、こんな転生染みた超常現象であると判明すればどうなる?


 最悪ロクでもない施設に連行され、命が尽きるまで体を弄繰り回される。


 そんな事態は本能が拒んだが、時すでに遅し。


「いやいや、近頃の子は成長が早いから、御両親が知らないってだけで出来る可能性もあるのよん。私だって六歳の時には九九が言えるようになったわ。でも……なんでそんなに怯えているのかしらん? せんせーそんなに怖い?」


 女医は俺に顔を近付け、他の誰にも顔を見せないように見下して薄い笑みを浮かべる。


 俺は諦めざるを得なかった。絶対に勘付かれている。


 唇をきつく閉じ、歯を食い縛り、女医から視線を外して混乱している頭に鞭を打つが、もうダメだ、以外の結論は出てこない。


  少なくとも観月瑠璃の両親には警戒され、忌み嫌われるだろう。観月瑠璃という少年の体を乗っ取り、こうして生きていることは事実なのだから。


 そう思い、両親と思わしき男女を見た。


  疑問に思わざるを得なかった。


 二人の顔には怪しいという色は残っているものの、警戒心は見当たらず、むしろ喜ばしいことであるかのように、口角が上がっていた。


 意味が分からない。

 かと言って、余計なことは聞けない、喋りたくない、それが原因でボロを出したくない。


 あぁもう面倒臭い。


 心が読めれば良いのに。


 俺の願いは、世界に聞き入れられたらしい。


 そんな大袈裟なものではなかったが、目の前に、靄がかった横文字が羅列された。


 俺は疲れ、考えることを放棄し、女医に屈服するのも止む無しという思いで顔を上げたのだ。


 目の前にアルファベットがいくつか浮かんでいる。


 何も考えず、呆けたまま右手を伸ばし、何が記されているのか気になって、なぞり始めた。


「るーり君? 何をしているのかな?」


 睨むように手付きを見る女医の言葉を無視して描く。


 大文字のT、あとは小文字。

 h、u、n、d、e、r、空白程度の間、L、o、r、d。


 描き終えたその文字達を押し込んだ。


 俺が無反応になり、長い沈黙が続く。


「瑠璃君、怖がらなくてもいいわよん。あぁそっかー。せんせー自己紹介してなかったわねぇ。せんせーの名前は流川詠亜るかわえいあ。えいあ先生でも、えいちゃんでも、詠亜様でもなんでも呼んじゃっていいからね! ハァハァ……」

「先生、それ以上ふざけるようなら院長に言いますよ」


 鼻息荒く迫ってくる詠亜の首根っこを掴んで叱りつける看護師。

 詠亜としては怯えるか、睨まれるか、ノッてくるかを期待していたのだろうが、俺の反応は予想外だったようだ。


 うわの空だった。


 ただし、詠亜の上の空、天井をじっと見つめていた。


 俺も何がどうなっているのか、突然異世界に召喚されてしまったかのようにさっぱりだった。


 なぞった文字列は淡い光を放っていた。

 空間に描き終えて押し込むと同時、輝く文字は光を放ちながら分解した。

 さらに再結合して光の線となり、詠亜の頭上に薄緑色の半透明なモニターとして組み変わる。


 そのモニターには黒のゴシック体で描かれた文章が、日本語で綴られていた。


『予想外の反応ね。瑠璃君には是非とも詠亜様と呼んでもらいたいわ。あ、でもそうなったら私、のた打ち回ってその辺で悶死するわね。今すぐにでも瑠璃君とペロペロ合戦やりたいわぁ、はふぅ』


 全てを読み切った後、詠亜を薄目で睨み、露骨に嫌そうな顔を作って上半身を遠退かせたのだった。  

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