イリカと血の呪い

こばやし あき

第1話

一、 ある普通の日〈イリカ〉


 山羊のスズランに畑の雑草を食べさせていると、スズランが「メェエー」と鳴いた。蝶を追っていた黒柴犬のゴロも、林の方を向いてピタリと動かなくなった。二匹が真っすぐ見つめる先を見ると、林を抜けてモリ様とナオヤが現れた。三月にしては珍しく雲一つない晴れた日で、空が澄みいつもより高く見えた。

「おーい、イーリカー!」

 ナオヤが手を振り叫んだ。リュックに付いた熊除けの鈴がシャンシャン鳴るのが微かに聞こえた。

「こんにちはー」私も手を振り返した。

 ナオヤはもう一度手を振ると、モリ様に何か話しかけてからこちらに向かって走り出した。手押し車が後ろ手で引きずられデコボコ道で何度もはね上がるのを見て、中に割れ物が入っていないことをこっそり祈った。

 スズランを近くの木に繋いでいると、柔らかな若草を踏みならすように、鈴の音と共にナオヤがかけてきた。爽やかな草の香りが一段と強くなった。 

「今日は何持ってきてくれたの?」

 荒い息のナオヤに竹筒の水を差し出すと、私は言った。

 ゴロは嬉しそうにナオヤにかけ寄ると、クンクン匂いを嗅ぎ尻尾を振った。

 ナオヤはゴロの頭をなでると、竹筒を受け取りぐいっと水を飲んだ。

「ありがとう」ナオヤは竹筒を返しながら言った。

「りんご、じゃがいも、玉子それに――」

 そう言うとナオヤは肩掛けかばんをあさり、あずき色の布にくるまれた手のひら大の物を取り出した。

「じゃーん! 巣蜜!」

「やったー! 母様(かあさま)も喜ぶよ!」

 春になり甘いものが増えてきたけれど、蜂蜜の強烈な甘さは格別だ。

「こんにちは、イリカ」

 少し遅れてモリ様もやって来た。

 ゴロがハッハッ言いながら嬉しそうにモリ様の周りを回っている。

「イリカもゴロもスズランも、元気そうで何よりです」

 ゴロの体をなでながらモリ様が言った。

「こんにちは、モリ様」私は少しはにかんで言った。

 姪である私を小さな時から色々と気にかけてくれるモリ様のことは大好きなのだけど、最近は真っすぐ見られると何故かどぎまぎしてしまう。

「モリ様もお元気そうでよかったです。あとナオヤも」

「僕はおまけか!」そっぽを向いてナオヤが言った。

「まあまあ」モリ様が少し苦笑交じりに言った。

「まあまあ」私も真似して軽く言ってみた。

 モリ様はいつもと同じ服装だった。落ち着いた緑色のつばのない帽子を被り、帽子と同じ色の腰まであるケープをまとい、分厚い大豆色のズボンをはいている。背中には大きなリュックを背負いだいぶ重そうだ。

 ナオヤは、ミツカイに支給される短めの黒のケープに、モリ様と似たような大豆色のズボンをはいている。大きな黄緑色のリュックを背負い、同じような色の肩掛けかばんをかけている。そして配給時いつも使っている小さ目の手押し車を、手押し車のはずだけど引きずっている。

「リカさんいますか?」モリ様が言った。

 リカは私の母様だ。モリ様の異父姉でもあるのに、ヤシキの外や血縁者以外がいる時は、母様のことをこう名前で呼ぶ。前、母様に他人行儀な呼び方でさみしくないか聞いたことがある。母様は少し笑って、「『モリ』というヒノメ神様に仕えるお役目につくためのけじめとして、必要なことだから」と言っていた。

「母様、今機織りしていると思います」

「そうですか、在宅でよかった」

 モリ様とナオヤがヤシキに向かうのに合わせ、私もスズランを連れて歩き出した。ゴロも草を跳び越すようにぴょんぴょんと、後に先に付いてくる。

「今日お昼食べたら空いている?」ナオヤが弾んだ声で言った。

「見せたいものがあるんだ!」

 私はナオヤの午後のミツカイの仕事はいいのかなぁと思い、モリ様の方を見上げた。

「ちゃんとモリ様の許可はとってるよ」すかさずナオヤが言った。

「ええ、ナオヤにはここのところずっと頑張ってもらっているので、今日はリカさんの次のヤシキに荷を届けたらお休みです」

「そうなんですね」

 私はそう言うと、今日の予定を思い返した。畑の手入れは終わったし、山羊の世話はまた帰ってきてからやればいいし、多分大丈夫だ。

「母様に聞いてみないとだけど、多分大丈夫だと思う」

「じゃあ、お昼済んだ頃にまた来るよ」

 何か企んでいるような少し悪い笑顔で、ナオヤが言った。

「もう変なキノコとかじゃ見に行かないからね」

「ずっとすごいのだよ! 絶対に驚くね」

 自信満々にナオヤは言った。

 私がちらりとモリ様を見上げると、モリ様も検討がつかないのか、私を見て小首をかしげた。

 ナオヤも私も、もう十三歳。あと二年で大人になるって歳なのに、ナオヤはどうも子どもっぽい。背も私とほとんど変わらないし。あと少しで誰かと夫婦になることもできるっていうのに。

「そう言えば」

 モリ様が歩きながらリュックから何かを取り出し言った。

「これをどうぞ」

 モリ様から渡されたのは、桜色の生地に鶯色の守りの刺繍がされたきれいな髪紐だった。桜餅みたいな色合いでとっても可愛い!    

モリ様はよく小さな贈り物をくれる。髪紐やハンカチや飴とか細やかだけど私の好みに合ったもらって嬉しい物だ。……ケンジさん、お父さんだってこんなに良くしてくれないのに。ケンジさんなんて、ヤシキに来ても母様と話してばかりで、私なんていないように扱うのに。……モリ様が本当のお父さんだったら良かったのに。

「ありがとうございます。どうしたんですか、これ?」

 暗い気持ちを吹き払うように言った。

「布が余っていたんで、作ってみました。なかなかよくできているでしょう?」

 にっこり笑ってモリ様が言った。

「とっても可愛いです」

 私は早速髪紐を使うことにした。もう高い位置で一括りに結ってあるから、その結い紐の上にもらった髪紐を付けようと思った。少してこずっていると、モリ様が代わりに結んでくれた。

「うん、良く似合いますね」

「モリ様、いくら姪だからってひいきはダメなんじゃなかったでしたっけ?」

 面白くなさそうにナオヤが言った。

「ご自分で言ってましたよ『モリは公平じゃなくてはいけない』って」

 ナオヤ感じ悪い! 確か今モリ様について次期モリ候補者として色々教わっていると言っていたっけ。まだ正式に候補と認められた訳じゃなくて、他にも候補がいるみたいだけど。

「モリとしてではなく、個人としてだからいいんです」

 モリ様は私にはよく理解できない事をさらっと言った。へりくつ?

「そうなんですか?」

 あきれた様にナオヤが言った。

「そんなんでいいんですか!?」

「いいんです」

 にこやかにモリ様が言った。

 ナオヤは納得できないような渋い顔をしていたけど、笑顔のモリ様にそれ以上言い返すことはなかった。

 畑はヤシキの側にあるからすぐにヤシキに着いた。茅葺き屋根にはびっしり苔が生え、緑のツタが外壁をおおい、ヤシキは今にも緑に飲み込まれ林の一部になってしまいそうだ。

 こぢんまりとした我が家は、子を育て養っていくヤシキにしてはだいぶ小さい。これは母様が分家としてヤシキを構えた時、他にちょうどいい家がなかったからだと母様が言っていた。「それに、誰も私のためにヤシキを建ててくれなかったしね」と母様は笑って言った。母様の夫となった人達の中に、家を作れる人がいなかったらしい。それでも、母様も私もこのヤシキが大好きだ。

 モリ様とナオヤは直接母屋へ、私は隣の山羊小屋へスズランを戻しに行った。ゴロは私ではなくモリ様の方に嬉しそうに付いて行ってしまった。

 スズランはまだ草を食べ足りなかったのか、不満気にメーメー鳴き、小屋に入りたがらなかった。

「あとで緑の草たくさん持ってきてあげるから」

 そう言うと急に大人しくなったから、まるで言葉が分かっているみたいでおかしくて、少し笑ってしまった。

 母屋に行くと、母様がモリ様とナオヤにお茶を入れていた。モリ様とナオヤは縁側に座り、荷の配給品を取り出していた。母様はお茶と干しイチジクを二人の前に置くと、縁側近くの板の間に腰を下ろした。私も「ただいまー」と言いながら土間の桶で手を洗うと、あがりかまちに腰かけ草履を脱ぎ、母様の隣に座った。

「お帰り、イリカ」

 母様が言った。

 母様とモリ様は父親は違うけど姉弟だけあって、顔や雰囲気がよく似ている。

切れ長で下がり気味の目じりといつもにっこりしている口の形が優しそうで、実際二人はとても優しい。ただ、母様は女性にしては大きめのがっしりした体つきだけれど、モリ様は瘦せていて背が高く、細長い印象だ。私も歳の割には背が高くて、頭や目の形が母様にそっくりだとよく言われる。

「母様、お昼の後ナオヤと遊んでいい?」

「いいけど、どこ行くの?」

 私もどこだろうとナオヤを見た。

「えーと、ヤシロ湖近くの林です。菜の花やつくしがたくさん出ていたので見せたくて」

「そうなの。じゃあ、夜ご飯用に摘んできてね」菜の花好きな母様は嬉しそうに言った。

「二人とも、暗くなる前に帰ってくるのよ」

「はい」「はーい」

 ナオヤは短く、私は長く返事をした。

 モリ様は荷物の山を差し、「これはいつもの、皆からの配給です」と言った。多分布袋には米、小麦粉、じゃがいもなどの主食が入っているのだと思う。

「こちらは贈り物です」ナオヤが自分の手押し車から出した山を手のひらで示し言った。「りんごはハイザワマコトさん、玉子はハイザワアキラさん」ナオヤは何故か誇らしげに贈り物と贈り主を言っていった。「そして、この巣蜜、カリノケンジさんからです」

「まぁ、巣蜜なんてありがたい」

 母様が柔らかな笑顔を私に向けて言った。

「私もこの子も甘いものに目がないから」

 そう言って母様は私の頭をなでるから、恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。二人の前でそんな子ども扱いしなくてもいいのに!

「ケンジさん、元気だった?」

 母様がモリ様に聞いた。

 ケンジさんは私とお兄ちゃん、リンタの父で、母様と五年間夫婦をしていた人だ。私も三歳までは一緒に暮らしていたらしいけれど、お父さんと呼ぶほどケンジさんと暮らした時のことは覚えていない。たまに会っても母様とばかり話して私の事を邪魔そうにするから少し苦手だ。

「リンタも一緒におやしろに来ていたのですが、二人共元気そうでしたよ」とモリ様。

「立派になって、そろそろリンタ一人で狩りに行かせてもらえるとはりきっていました」

「そう、リンタが」

 母様は嬉しそうに言った。

「もう少し頻繁にヤシキに顔を見せるように伝えてね。あ、あと、息子達全員に近々春の宴の前にヤシキに来るよう伝えて頂戴な。渡したい物があるから」

「分かりました。配給品を納めに来た時にでも伝えておきますよ」モリ様が言った。  

 母様には六人子どもがいる。私の父とは違う人達との間に四人、父のケンジさんとの間に二人、リンタお兄ちゃんと私だ。父の違う四人の兄達は、私が生まれた時にはすでにヤシキを出ていて一緒に暮らしていないせいか、あまり兄と言う実感がわかない。私が兄と思うのは十歳でヤシキを出るまで一緒に育った、リンタお兄ちゃんだけだ。

「よろしくね。あと、贈り物くれた方皆さんに『ありがとうございます』と伝えてね」

 そう言うと、母様はモリ様とナオヤに丁寧にお辞儀をした。私もそれにならい、座ったまま頭を深く下げ「ありがとうございました」と言った。

 『配給』は、村の皆が作ったり獲ってくれた作物や畜産物、海産物の内ヒノメ様に捧げられた物を、モリ様やミツカイ達が各ヤシキに分け、持ってきてくれる物だ。

『贈り物』は、母様と仲が良い人や仲良くなりたい人が母様宛てに特別にモリ様に委ねる物だ。今日の贈り主は、全員母様の夫だった人達だ。

 今度会ったらお礼を言おう、私はそう思いくれた人を覚えようと贈り物を目に焼き付けた。

 モリ様があごに手を当て母様をじっと見て、そして思い出したかの様に言った。 

「そう言えばイリカ、スズランの子は元気ですか? ナオヤはまだ見てなかったでしょう。見せてもらったらどうですか、可愛いらしいですよ」

 ナオヤは干しイチジクをちびりちびりと噛みしめ味わっている最中だった。急に話を振られ、慌てて残りのイチジクを口に詰め込むと、無言でこくこく首を上下に振った。

 そう言えばまだナオヤにハクを見せていなかったと思い当たり、私はナオヤを山羊小屋へ連れて行くことになった。モリ様は私達に聞かれたくない話を母様にするのかなぁと思いながら。

 母屋を出ると、番犬の見本みたいにゴロが戸口のすぐわきで伏せていた。私たちが出ていっても「お役目中ですから」と言った感じで、ぱたぱた尻尾を振るだけでついては来なかった。

「仔山羊何匹産まれた?」

 ナオヤが道すがら聞いてきた。

「一匹だけ。メスでハクって名付けたよ、真っ白だから」

 タンポポの柔らかい若草を摘みながら言った。

 小屋に着くと、ハクはスズランのお乳を飲んでいるところだった。乳首をくわえながら大きな乳房をグイグイ口で突くようなハクの動きに、スズランはよく痛がらないなぁと感心した。山羊小屋は十匹は飼える位の広さだけれど、今うちにはスズランとハクの二匹しかいないので、がらんとして物さみしい感じがする。

 タンポポをスズランの近くに持って行くと、待っていましたとばかりに唇をめくり上げ歯をむき出しにして食いついてきた。残りを足元に置くとメーと嬉しそうに鳴くので、私はスズランの頭を軽くなでた。

 ナオヤはしばらくハクの様子を一心に眺めていた。時折ハクが不審気に横目でちらちら見ていたけど、乳首をくわえたまま離さなかった。

「ハク、可愛いなー」

 ため息交じりにナオヤが言った。

「可愛いでしょ。一週間ぐらい前に産まれたの」

「ハクのお父さんは?」

「ニシノヤシキのオス山羊のどれか。秋にスズランを一週間ぐらい預けていたの」

「ふーん」

 興味なさそうにナオヤが言った。自分で聞いてきたくせに。

「ハクに触ってもいいかな?」

「少しだけね。動きの邪魔をしないように」

 私はお手本を見せるように、そっとハクの背中に手のひらを一瞬置き、戻した。ハクは一瞬びくっとしたけれど、嫌がってはいなかった。ナオヤも同じように軽くなでた。「柔らかい、ふわっふわだぁ」感動したように声をもらした。

「何の話しているのかな、モリ様? 何か聞いてない?」

 私は気になっていたことをナオヤに訊いてみた。

「春の宴が近いから、その話じゃない?」

 ナオヤが私の方を向いて言った。

「まぁそうだよね……」

 私は少し不安な気持ちで言った。

母様ここ何年かは夫を採らなかったけれど、今年はどうするのかなぁ。怖い人が夫としてヤシキに来たらすっごく嫌だな。

「そろそろ戻ろうか。早くしないと遊びに行く時間なくなっちゃうし」

 ナオヤが言った。

「そうだね」

 気持ちを切り替えようと、はっきりした声で私は言った。

 母屋に戻ると、モリ様は立ち上がり、帰り支度をしているところだった。私達に気付くと「仔山羊可愛かったでしょう?」とにこにこしながら言った。下がり気味の細い目がとても優しげだ。

「はい、すごく可愛かったです!」

 ナオヤが力強く言った。

 モリ様は、うなずきながら「赤ちゃんは、どんな生き物でも可愛いですよね」と言った。

「そろそろおいとましますよ」モリ様はナオヤに向かって言うと、次に母様の方を向いて「リカさん、では行きますね」と言った。

 ナオヤは縁側に置いた自分のリュックを慌てて背負い、手押し車に手をかけた。「失礼します」ナオヤは母様に軽くお辞儀をして、「じゃあ、お昼食べたら迎えに来るから」と私に言った。

「分かった、気を付けて」

 そう言うと、私はバイバイと軽く手を振った。

「気を付けて帰ってね」

 母様もそう言うと、同様に手を振った。

 二人は背を向けると、来た時同様熊よけの鈴をシャンシャン鳴らしながら歩き出した。

 母様はすぐにヤシキに入ってしまったけれど、私とゴロはしばらく二人の背中を見続けていた。

畑を超えた所で一瞬ナオヤが振り返り、つられたモリ様も振り返った。私は大きく手を振った。ゴロもぱたぱた尻尾を振った。二人も一度大きく手を振ると背を向け、そのまま林の中に消えて行った。

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