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「……御力を制御できるようになったのは、そのせいですか。あなたのそばでも唯一中毒にならずに動けるからと、その男を牢から出したのが間違いだった。……! あなたは……あなたという方は、血の繋がった兄と、何ということを! おぞましい!」

「その俺の兄に――たったひとりの俺の家族に、お前たちは何をしてきた?」


 聞いているこちらが身震いするほど冷たい声音で、暁斗は問いかけた。


「便所。生贄。性奴隷。口に出すのもおぞましい言葉を、お前が送り込んだ女がぺらぺらと吐いていた」


 その言葉に、一気に血の気が引いていく。

 村を焼いたのが暁斗だということより、私たちが血の繋がった兄弟なのだという事実より、暁斗に己の汚らしさを知られてしまったことの方が、よほど私にとっては身に堪えた。冷たくなった私の腕を、暁斗は宥めるように優しくさする。


「大丈夫だよ、止水。何も心配しなくていい」


 場違いなほど穏やかな微笑みは、いつもと変わらず美しい。けれどその美しさは、私には割れる寸前の薄氷のようにしか見えなかった。

 清秋に向き直った暁斗は、「これは罰だ」と厳かに告げる。

 

「お前たちの所業は、許されることではない」

「私たちは掟に従っただけです。は受けて当然の報いを受けただけだ! 病を祓う貴方様と異なり、その男は病を持ち込み、周囲に不幸しかもたらさない! 役立たずの悪鬼ひとりのために、このような仕打ちを受ける謂れはありません!」

「――悪鬼はお前らの方だろうが!」


 聞いたこともないような大声で、暁斗は怒鳴る。炎にあぶられ、氷がぱきりと割れていく様を、目の当たりにした気分だった。普段の穏やかな笑みは鳴りをひそめて、みるみるうちに暁斗の顔が憤怒で歪んでいく。

 清秋が目を丸くする。私もまた、驚きのあまり、暁斗を見つめることしかできなかった。


「何が悪鬼だ! 何が神だ! 掟なんてすべて、お前たちが子を搾取するためだけの仕組みだろうが……! 止水は……俺たちは、人形じゃない! 人間だ!」


 悲鳴のような叫びだった。肩で息をする暁斗は、目を潤ませていた。まなじりから、涙が一滴伝い落ちていく。


「もう嫌だ……! 止水がいてくれるなら、それだけで良いと思った。だけどその止水に――兄さんにまで、お前たちは、何をした……?」

 

 血に濡れた両手で、暁斗が顔を覆う。彼がふらりと一歩踏み出すごとに、周りのうめき声は、苦痛を含んで膨らんでいく。


「許さない。死ね。みんな死ねばいい。全部、全部燃えてしまえ……!」


 息を引きつらせながら、泣き笑うように暁斗は呟いた。

 昨日の夜には掟に従い、一生を屋敷で過ごす未来を受け入れていた瞳が、今は炎を映して、不気味なほどに眩く輝いている。その危うい美しさに、私は魅力された。


「暁斗。何を……?」

「過ぎる薬は毒になる。俺はただ、こいつらが欲しがった薬を――癒しを、与えてやっているだけだよ」


 村人たちのうめき声は、しだいに小さくなっていく。命が絶えるにつれて、声が消えているのだ。

 ふと、弱々しい泣き声が聞こえてきた。視線を滑らせれば、焼ける家屋の隙間に、力なく横たわっている少女の姿が見えた。吐瀉物で汚れ、全身を痙攣させる様子は、今しがた暁斗が語った、癒しの力の過剰投与の結果に他ならないのだろう。


「助、け……、かみ、さま……」


 涙を流した少女は、やがてここではないどこかを見つめて、動かなくなった。

 

「ぁ……」

 

 事切れた少女を見つめた暁斗は、ざっと青ざめると、がたがたと身を震わせ始めた。かと思えば、炎に呑まれた村をぐるりと見渡して、我に返ったかのように、呆然と立ち尽くす。


「止水。俺は、何をした?」

 

 兄さん、と掠れた声で暁斗が呟く。私の弟だという神は、途方に暮れた迷子のような顔で、私を見ていた。

 無様で間抜けな表情だった。信者を扇動し、村を焼き、数えきれぬほどの村人を殺したそれが、すべて衝動の名の下で行われた行為なのだと、その表情だけで分かってしまう。

 暁斗は、自分の行いの残虐ささえ知らぬままに、これほどの地獄を生み出したのだ。愚かな、と清秋がうめく。内心だけで同意した。

 愚かで、純真で、可哀想な暁斗。

 兄さん、と縋るように私を呼ぶ頼りない声は、奇妙なことに、今まで与えられたどんなものより深く私を満たしてくれた。今までそんな呼ばれ方をされたことはないというのに、その響きは、おかしなほどに耳によく馴染んだ。私が眠っている間に、あるいはねやで正気をなくすほど善がっている間に、戯れに呼びかけられたことでもあったのだろうか。

 

 暁斗は、炎に包まれた村を見つめたまま、崩れ落ちるように膝をついた。

 私は、炎から目を逸らし、冷たくなった手をほぐすように拳を強く握った。

 私の神は、私に払暁を与えてくれた。ならば私も、私の神の地獄を終わらせてやらなくては。ひっそりと覚悟を決めて、私は震える暁斗の手から、包丁をそっと取り上げる。


「……兄さん?」

「大丈夫。何も、心配しなくていい」


 先ほど暁斗がそうしてくれたように、私は微笑み、宥めるように暁斗の腕をゆっくりと撫でた。

 清秋のそばに膝をつく。訝しげに見上げてくる叔父に微笑を返しながら、私は逆手に包丁を握り直した。

 掲げたそれを、ひと息に振り下ろす。


「な――!」

 

 噴き上がった生温い血が、私の頬をびしゃびしゃと汚していく。憎い男が信じられぬものでも見るように目を見開くさまは痛快ではあったけれど、聞き苦しい断末魔も、びくりと跳ねて事切れる様子も、何の感慨も与えてはくれなかった。


「……罪はその身で贖われると、あなたが教えてくれたんですよ、叔父さん」

 

 あなたの罪も贖われますように。物言わぬ死体に語りかけ、私は血に濡れた自分の手のひらを、無感情に見下ろす。

 なあんだ、と思った。こんなにも簡単なことだったのだ。静かになった空間に、ぱちぱちと炎が弾ける音が、残酷なほど軽やかに響く。


「止水」


 暁斗の声に答えず、私はふらりと立ち上がる。

 うめき声を辿って、村を巡った。身動きの取れなくなった村人たちの横に膝をついては、ひと息に刺し殺すことを繰り返す。

 ひとり手にかけてしまえば、あとは何人殺そうが同じだった。一線はこんなにも近くにあったのだと、否応なく理解する。知ってから振り返ると、今までためらってきた時間はなんだったのかと馬鹿らしく思えてきた。湧き上がる感情を堪えず、私は声を上げて笑う。


「止水、もうやめろ。止水! ……兄さん!」


 真っ青な顔をした暁斗が、悲鳴のような声で私を呼んだ。

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