3
夜明けと同時に、村を挙げての婚姻の儀式が始まった。暁斗を飾り立て、儀式の場である別邸へと送り出した私は、控え小屋にこもることにした。屋敷の奥深くに封じられることになる暁斗のために、荷物の最終確認をしようと思ったのだ。
普段であれば、村から離れた場所は人目を避けるのに都合がいい。しかし、この時ばかりはそれが悪い方に働いた。
異常に気付いた時には、もう遅かった。焦げ臭さが鼻をつき、誰のものとも分からぬ悲鳴がそこら中から聞こえ出す。
私が外に出たとき、穏やかだったはずの世界は、鮮やかな暁色に染まっていた。
村が燃えていた。
木々が燃えていた。
人々が血を吐き、倒れ伏していた。
赤黒い無慈悲な炎が、村の家屋をひとつ残らず焼いていく。しんしんと降り注ぐ雪が、落ちた端から炎に炙られ、儚く溶けていった。
「暁斗さま……、暁斗!」
転がるように道に出て、私は暁斗と女たちがこもる別邸めがけて、全力で走り出す。
暁斗は神だ。どんな病も傷も、彼を脅かすことはできない。けれど自然の力は別だ。炎に焼かれれば酸欠を起こすし、水に落ちれば溺れてしまう。神の力を持ってはいても、暁斗は決して不死ではないのだ。
この炎は何だ。不幸な事故で起きただけの火事だとは、とても思えない。ひとつ残らず家屋が燃やされている光景には、煮えたぎるような怒りと恨みが感じられる。
村は襲撃を受けたのだろうか。傷病を癒す神の身を狙って、外の者が入り込んできたのか。あるいは内乱か。それとも――。
別邸に近付くにつれて、炎の勢いは増していく。それと同時に、私の目につく異常も増していった。
男が倒れていた。
女が這いずっていた。
老人が、焼け崩れた家屋の下でうめいていた。
見えぬ何かを追いかけ蠢く子どもがいた。
痙攣し、泡を吹いている者もいれば、気が触れたようにけたけたと笑っている者もいた。まるでおかしな薬に侵されているかのように、誰も彼もが空を見つめている。
「神様」
「神様ぁ」
うつろな目をした村人が、私に向かって手を伸ばす。
私のことを止水だと、分かっていないのだろう。かつて彼らは、私を指して悪鬼と呼んだ。神の隣にあってさえ、病を拾い上げる私を疎み、蔑んできた。
助ける理由がない。それでも、全身に火傷を負って這いずる者が、あるいは止まぬ嘔吐に苦しむ者が、救いを求めて手を伸ばす光景を、無視することはできなかった。
体が思うように動かぬ苦しさを、私は誰より知っている。
「待っていてください。水を持ってきますから」
水を与えたところで、死に水にしかならないだろう。分かっていたけれど、何かをしてやらずにはいられなかった。
まだ炎に呑まれていない近くの木の枝葉から、夜の間に積もった雪を掬い取る。手のひらの上で溶けたそれを、うめき声を上げる男の口元にそっと運んだ瞬間、男の目がぐるりと天を向いた。
「がああぁ!」
「大丈夫、大丈夫ですから……!」
男は激しくのたうちまわり、胸を掻きむしる。途方にくれて男の肩を押さえたその時、私はその男の顔に見覚えがあることに気がついた。
座敷牢で私を犯した者のひとりだ。
思わず怯んだ瞬間、手を引いた私の弱さを許すように、穏やかな声が背後から聞こえてきた。
「手を離していい、止水。
「暁斗さま」
怪我ひとつない、場違いなほどに美しい姿に、状況も忘れて思わず見惚れる。暁斗が酷薄に目を細めると同時に、倒れていた男はふつりと糸が切れたように静かになった。
事切れたのだ。
「暁斗さま。一体、何が――」
「――この、悪鬼が!」
暁斗に駆け寄ろうとした瞬間、罵声が割り込んできた。暁斗を追うようによろよろと屋敷から出てきたのは、腹から血を流すひとりの男――叔父の清秋だった。
悪鬼と叫びながらも、清秋の視線は私ではなく、暁斗に向けられていた。かと思えば、数秒遅れて清秋は私の存在に気がついたらしく、震える指を突きつけてくる。
「お前……止水。そうか。神様がご乱心なされたのは、お前のせいか!」
腹の傷を押さえながら、死相の浮かんだ顔で清秋は喚く。
「お前は牢から出るべきではなかった。お前が神様を狂わせた。お前が村に禍をもたらした……! 止水、お前が!」
「止水、大丈夫? 火傷してる」
清秋には目もくれず、暁斗は真っ直ぐに私へ近付いてきた。炎に炙られた頬に手で触れたかと思うと、暁斗は顔を傾け、いつものように口付けてくる。
身体的な接触を会した方が、暁斗の力は強く働く。陰の気が強い私を癒すためには、肌を触れ合わせる必要があった。それは分かるが、二人きりのときならばともかく、人目がある場所で触れ合いを持つことは初めてだ。
見せつけるように舌まで絡ませられて、目を見張る。けれど、暁斗に気にする様子はなかった。
逆に清秋は、劇的な拒否反応を示した。
「おぞましい! ……神様! あなたはご自分が何をなさっているのか、理解しておられるのですか! 信者たちに村を焼かせただけでは飽き足らず……なぜそんな、そんなことを――!」
私にはもう、目を白黒させることしかできなかった。
村を焼かせた? 暁斗が? なぜ?
動揺して視線を落とすと、血を滴らせる包丁が目に入った。包丁を握る暁斗の手は、真っ赤に染まっていた。
清秋を刺したのは、暁斗なのだ。悟った瞬間、絶句する。
「付き人をどうしようが、俺の勝手だ。口を出される謂れはない」
「しかし、
言葉を濁した清秋を嘲笑うように、暁斗は強く私の腰を抱く。清秋はもう、ほとんど泡を吹く寸前だった。
「分かっておられるのですか! その男は、あなたの
息を呑む。
弟が生まれたのは私が八歳の時で、暁斗の年は、私より八つ下だ。計算は合う。
思わず隣を見たけれど、暁斗には驚いている様子すらなかった。目が合っても、暁斗はその美しい双眸を細めるだけで、動揺ひとつ瞳に浮かべない。
事実なのか。
事実ならば、暁斗はいつから知っていたのか。
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