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 他人に物を教えるならば、己の知識をさらい直して、物事を深く理解しておく必要がある。畏れ多くも暁斗に知識を渡す過程で、私は己が村人たちに受けてきた仕打ちが、どれほど非人道的で許しがたいことなのかを理解した。己の体がいかに汚れているかを、悟らざるを得なかった。

 知識というのは諸刃もろはの剣だ。知らなければ何も感じずにいられたのに、知ってしまった途端に、薄汚い己の体が許せなくなる。

 美しい神のそばに、汚らしいゴミは必要ない。私は暁斗から離れようと思った。

 けれど、離れられなかった。私の神は、それを許しはしなかった。


「止水。俺は、お前さえいればいい。他の誰も、必要ない。そばにいてくれ」

 

 離れることが許されないなら、村人全員を殺してやろうと思った。忌まわしい過去も、語る者がいなければなかったのと同じだ。玩具にされていた過去を、私は暁斗にだけは知られたくなかった。

 

「どうした、止水? 怖い顔だ」

「なんでもありませんよ、暁斗さま」

「言葉を崩せと言ったろう。相変わらず物覚えの悪いやつだな」

「……悪かった。考えごとをしてたんだ。そう拗ねないでくれ、暁斗」


 暁斗の柔らかな髪を、くしゃりと撫でる。

 暁斗のそばにいられるのは私だけ。

 唯一近しくあれる私を、暁斗は兄のように、友のように慕ってくれた。言葉を崩せ、名前を呼べと繰り返し請われて、押し切られた結果がこれだ。

 不敬だけれど、仕方がない。暁斗が私に親愛を感じてくれるように、私が敬愛するのも暁斗だけだ。私の神がそれを望むならば、どんなことでも叶えてやりたかった。


「見ろ、止水。雪だ」


 私の腕の中で、不格好に背を丸めた暁斗がもぞりと動く。かつては小さかった背もぐんぐん伸びて、今となっては頭ひとつ分も抜かれてしまった。


「ああ、本当だ。今年は早いね」

「……冬が深くなるな」


 窓の外を眺めながら、物憂げに暁斗が呟いた。

 

「悪いことばかりじゃない。明日は暁斗の誕生日じゃないか。おめでとう」

「ありがとう、止水」

 

 照れくさそうに笑った暁斗は、そっと私の背に腕を回す。手慰みのように髪紐を解かれて、肩までかかる黒髪が、はらりと流れていった。

 幼少期の環境のせいで細っこく仕上がった私の体は、女のようだと揶揄されることも少なくない。当てつけのように髪を伸ばした結果、余計に蔑む声は増えたが、髪結いは暁斗の良い暇つぶしになるようなので、これはこれで気に入っている。


「……しかし、早いな。暁斗も二十歳か。いよいよ、婚姻式だな」


 神の血脈を確実に次へ繋ぐため、暁斗には村の女たち複数人が捧げられることになっている。下は十五から上は三十五まで。心身を壊したとしても、神と交わり子を為すことを義務付けられた女たちだ。

 たとえ死と引き換えだとしても、一夜の夢が見られるならば構わない。そう言って熱狂する女たちとは対照的に、抑えの効かぬ力を疎んでいる暁斗は、ひどく憂鬱そうだった。

 

「馬鹿げた風習だ。誰も彼も、どうして疑問に思わないのだろう」

「暁斗がおかしいと思うなら、変えてしまえばいいよ」

「……でも、掟だ。守らなければいけない。それに、明日が過ぎれば俺は、屋敷の外に出ることも許されなくなる」


 押し殺した声で呟く暁斗を、私はからりと笑い飛ばした。普段あれだけ横暴に振る舞っているくせに、いつの時代に定められたかも分からぬ掟にこだわる純心さが、愛おしかった。


「暁斗はこの村の神様として、多くの人を救ってきた。なら、救われた人たちだって、神様に報いるべきだ。……暁斗の望む通りにしたらいい。掟通りに神のやしろに封じられるとしても、そうでないにしても、ずっとそばにいるよ。何があっても、私は暁斗の味方だ。忘れないで」

「止水……」


 俯く暁斗の頬に手を添えて、ゆっくりと顔を上げさせる。噛み締めていた唇に血が滲んでいるのが痛々しくて、私はそっと唇を寄せて血を舐めとった。

 どくり、と心臓が鳴る。


「……?」

「止水? どうした?」


 体が熱い。どくどくと速さを増していく脈拍に、体がついていかない。助けを求めるように、私は暁斗の手を握り込んだ。


「暁斗……っ」

 

 この体は、放っておくとすぐに熱を出し、調子を崩す。病の苦しみから救い出してくれるのは、神様だけだ。媚びた声で名前を呼べば、聡い暁斗はすぐに私の体を抱きしめてくれた。

 節くれだった手が、はだけた着物の間から忍び込み、肌を直接撫でていく。腿を辿り、足を割り開いて、暁斗の指は私の体の秘された場所を、当たり前のように探っていった。いつからか縦に割れるようになったその部位は、潤滑剤を纏わせた指で撫でられるだけで、だらしなく綻び、ひくりと震えて口を開く。

 こぼれそうになった声を慌てて殺すが、私の努力を嘲笑うように、暁斗は容赦なく後孔を責め立ててきた。


「苦しくない?」

「……大丈夫」


 苦しくはないが、もどかしい。気持ちいい、もっと、とはしたなく腰を揺らめかせて、私は愛撫の先をねだった。

 自分で尋ねたくせに、私の返事が気に食わなかったらしい暁斗は、指を引き抜くと、早々に体を繋げてくる。ぎこちなかった初めての交わりも新鮮だったけれど、何度も肌を重ねて互いを知った今は、ともすれば意識が飛びそうになるほど、気持ちが良くてたまらない。

 中に体液を注がれた瞬間、先ほどまでの不調が嘘のように、気分が良くなった。けれど、私が上擦った声で喘ぐたび、暁斗は隠しきれない不機嫌をその美貌に滲ませる。


「止水の体を知っている者を全員、殺してやりたい」


 いつかそうするつもりだよ。物騒な相槌は辛うじて飲み込んで、代わりに笑顔を浮かべてみせた。

 

「……私が知っているのは暁斗だけだよ。気にすることなんて何もない」

「嘘つき」


 嘘なんてついていない。行為がこうも満たされるものなのだと教えてくれたのは、暁斗だけだ。丁寧に体を高められる幸福感も、互いを気遣いながら快楽を分かち合う心地よさも、すべて暁斗に教わった。

 私が便所代わりに使われていたことを、暁斗は知らない。汚らしい欲の捌け口にされる苦痛と、この優しく甘やかな行為を、同じ枠にくくることさえ反吐が出る。

 何度目かの絶頂を迎えたのを境に、意識が飛んだ。夜と朝の境目のようなぼやけた意識の中で、暁斗の押し殺した声が耳に届く。


「止水。お前だけが、俺を見てくれる。お前さえいてくれれば、それでいい。ひとりはもう、嫌なんだ。……そ……に……てくれ、…………さん」


 頼りなく揺れる声が、甘やかに心をくすぐった。

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