地獄で望む払暁

あかいあとり

1

 弟が生まれた日、私の両親は死んだ。

 雪の深い、凍るような冬の日のことだった。そら恐ろしくなるような大人たちの歓声が、座敷牢の中にまで届いていたことをよく覚えている。

 けれど、生まれたときから病弱で、病を呼ぶ悪鬼として座敷牢に押し込められていた私には、誰が死のうが、誰が生まれようが、関係のないことだった。朝と夜の二回、決まった時間に粥を与えられ、慈悲とばかりに教養を与えられる日々は、会ったこともない血縁者が増減したところで変わりやしない。


「神様は、傷病の苦しみから我らを救ってくださる。神様を守り奉ることこそ我らの使命。我らは神様を生む血筋を、決して絶やしてはならんのだ。分かってくれるな、止水しすい

 

 叔父の清秋せいしゅうは、鬱陶しいくらいに私に親切だった。善意と言う名の下で、叔父は私を、自身の善性を証明するためのよすがにしていたのだろう。

 私が座敷牢に閉じ込められていた年月はおよそ十八年に渡るが、叔父は毎日のように座敷牢に顔を出しては、罪滅ぼしのように村の事情を語っていった。

 なぜ村人は神様に尽くさねばならぬのか。

 神はどこから生まれるのか。

 他人にうつることのない病を抱える私が、それでも他人と関わってはならないのはなぜなのか。

 私に起きる不幸はすべて、私が悪鬼であり、生まれながらにして罪を背負っているからなのだと、清秋は繰り返し私に言い聞かせた。


「病に魅入られる悪鬼として生まれたお前の罪は、お前の身を以ってあがなわれることだろう」

 

 これは浄化のためなのだとうそぶいて、清秋は痩せ細った私の体に跨り、熱心に腰を振った。何人もの男たちが同じことを言って、同じことをしていった。気持ちが悪くてたまらなかったけれど、これがお前の贖罪なのだと言われれば、受け入れる以外に選択肢はなかった。


 時折、憐れみとともに叔父は書物を差し入れてくれた。

 生殖。病気。宗教。家族。必要な知識はひと通り与えられたけれど、愛というものだけは、誰も教えてはくれなかった。

 私は忌み子であり、存在を消された人間であり、村人たちの玩具だった。

 思い出すと首をくくりたくなる。狂信者というものは、無知で残酷だ。神に仕え、悪鬼を痛ぶることを本気で善意だと信じている。残念ながら、彼らと同じ程度には無知だった私は、年々正気を失っていく村人たちの言葉に、疑問を持つことさえできなかった。

 

 暗い牢獄から私を救い出してくれたのが、神様だった。幼い神様――暁斗あきとは、憎らしいほど恵まれた容姿に、これまた質の良い着物を纏って、私の手を引いた。私の胸までの背丈しかない小さな子どもは、たった一言で、私を人間に変えてくれた。


「お前が止水か。ひどい顔だな。臭いし汚い。俺の前に立つなら、綺麗にしろ。お前を俺の、付き人にする」


 暁斗は、私にとっての払暁ふつぎょうそのものだった。

 十になったばかりにも関わらず、夜闇を振り払うような凛々しい美貌。意思の強い瞳に、触れるだけでどんな病人も怪我人も癒してしまう奇跡の力。

 神は本当に存在したのだと、心から思った。

 この世に生を受けて十八年。私は暁斗に手を引かれて牢を出た瞬間に、産声を上げ直したのだ。


 細い胃に入れられるだけの食べ物を詰め込んで、私は骨と皮だけだった体を整えた。暁斗を不快にさせないように、付き人として少しでも見栄え良くなるように、精一杯の努力をした。

 皆が信望する暁斗の周りには、常に人が集まった。けれど、その中の誰ひとりとして、暁斗の隣に控えることは許されなかった。できなかった、と言い換えてもいい。暁斗の力が強すぎて、三十分とたたずに皆、気を失ってしまうのだ。


「止水、お腹が空いた」

「止水、本が読みたい」

「止水、お茶はまだか」


 止水、止水、止水。

 私を呼ぶ暁斗の声を聞くたび、優越感と喜びで胸がじんと熱くなった。

 悪鬼と呼ばれる私は、病を引き寄せる陰の力が殊更に強いらしい。そのおかげで、陽の力に満ちた暁斗のそばにいても、ただひとり体も心も影響を受けることなく働くことができるのだという。疎まれ続けた己の弱い体に、私ははじめて感謝した。


 暁斗の力は、歳を重ねるごとに加速度的に増していった。不治の病も、手足の麻痺も、身に刻まれた古傷さえも、暁斗の前では無に等しい。

 短く整えられた黒髪は艶を増し、冷たい切れ長の双眸には、目を逸らせなくなるような危うい魅力が宿るようになった。

 十九歳を迎えた暁斗は、もはや救いを求める患者に触れる必要すらなく、奇跡を起こせるようになっていた。暁斗が近くに立つだけで、どんな病も傷も、たちどころに癒えていく。遠方から訪れる客は、神がもたらす奇跡を求めて私財を投じ、村人たちは、ますます信心を深めていった。

 神の血筋を残すための交配相手候補からは、同衾の申し出が後をたたない。けれど、どれだけ慕わしい視線を受けても、身の程知らずの女たちの誘いを受けても、暁斗が応えることはなかった。

 当然だ。神が人間の土俵に降りるわけがない。

 代わりに一言、誰もが求める穏やかな美声で、暁斗は命じる。


「来い、止水」

「はい、暁斗さま」


 暁斗の視線が私を捉える。涼やかな美貌に欲が浮かぶ一瞬が、私は何より好きだった。

 暁斗のそばに控えられるのは私だけ。

 必然、性的なことに興味を抱いた暁斗に教育を施すのも、暁斗が望むままに手解きを行うのも、私の役目となった。

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