第5話 喧嘩の理由

 冬川さんからIINEが来た次の日。


 ……適当に返信した罰だろうか。


 俺は心の中で頭を抱えるはめになっていた。


 ”心の中で”というのはもちろん、この苦しみを打ち明けることのできない相手が目の前にいるからである。


 俺の椅子に腰かけて、背もたれに顎を乗せている大輝を見つめる。


 大輝はいつもよりどこか落ち着かなさげで、どこか焦っているように見えた。


 ……彼女と喧嘩するとこんな感じになるんだ。

 

 ぶしつけにその顔を観察しつつ、思う。

 

 なかなかレアな表情だ。

 この顔が頻繁に見れるようになったら、それは嫌だけれど。


 ベッドに頬杖をついた俺は、大輝から目をそらして時計を見つめた。


 22:24


 音もなく時を刻むそのデジタル時計は、人の家に訪れるには随分と遅い時刻を示していた。


 相手は大輝だが、それでも遅いことには変わりないだろう。


 大輝はうちによく来るし、俺も大輝の家によく行く。

 しかしお互い、21:00には帰ることがほとんどだった。


 俺も親も、大輝がいたところで対して気は遣わない。

 

 別に人が遅くまでいようが、父も母も気にせず寝るような人だ。

 ……いや、流石にそれは相手が大輝の時だけか。


 ともかく、少なくとも大輝が相手であれば、騒ぎさえしなければ別に遅くまでいようが構わないのだが。

 大輝はいつも、気を遣って早く帰る。


 まあそれは俺も同じようなものだから、人のことは言えないのだけれど。


 そんなわけで、この時間帯に大輝が家にいるというのもそこそこ珍しいことであった。


 もう一度部屋の中央に目をやる。


 大輝は、俺の椅子の上で落ち着かなさげに揺れていた。


 ……もう数え切れないほど来ているこの家で、そんなに落ち着かなさげにしなくてもいいだろうに。


 頬杖をついていた手で、眉のあたりをもんだ。

 

 冬川さんから昨日送られてきたIINEから考えても、きっと川井さんと喧嘩したことを気に病んでいるのだろう。


”どう聞いてもお互いのことを大事にしすぎてるのが原因としか思えない。”


 冬川さんがそう評していたことを思い出し、ため息を付きたい衝動に駆られた。


 ……川井さんと大輝の、バカップルがゆえに起こった痴話喧嘩など全く聞きたくない。


 しかし、焦っている大輝をこのまま放っておくというのも寝覚めが悪かった。


 ゴロリと転がり、ベッドの上で仰向けになる。


「……そんなこの世の終わりみたいな顔してどうしたの、大輝。」


 俺は天井を見上げて、そう声をかけた。


 暖色系の灯に照らされた暖色系の壁紙を、頭の後ろで腕を組んで見つめる。


 しばし間が空いて、大輝が逡巡していることが伝わってきた。


 果たして、大輝は喧嘩したことを俺に打ち明けるのだろうか。


 ふと疑問に思う。


 付き合ってたことも報告されなかったのだ。


 ……人より信頼されていないなんてことはないはずなのだが。

 これほど俺の家に来て、自分の家に俺を招いているのだから。


 もしかすると、大輝はそういう類のことを秘密にしたいタイプなのかもしれない。

 もしくは、川井さんのことを大切にしたいがために秘密にしていた可能性もある。


 どちらにせよ、大輝は俺に喧嘩のことを打ち明けないんじゃないか……。


「……俺、さ。」


 しかし予想外なことに、大輝は口を開こうとしていた。


 もしかしたら、それだけ焦っているのかもしれない。


”優雨は本気で気にしてるみたい”


 冬川さんが送ってきたメッセージが頭に浮かんで、なんとも言えない気分になる。


 ただの痴話喧嘩なはずなのに。

 そんなに深刻な顔をしなくたって、大したことじゃあないだろうに。


 お互いに人に相談するくらい本気で悩んでいるという事実が、どんな言葉よりも如実に二人の関係性を示しているように思えた。


 本当に、苦しくなる。


 この一週間我慢し続けて溜まりに溜まった淀みが、更に重みを増して心にのしかかるようだ。


 過去に抱いていた気持ちなど忘れて、早く前を向かなければ。


 そう分かってはいるけれど、一度ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた心はなかなか言うことを聞いてくれなかった。


「喧嘩、したんだ。」


 一分にも満たない、長いような短いような逡巡の後に、大輝はそう打ち明けた。


 その声音からは、やはり焦っていることが伝わってくる。


 天井から目を離して、首だけ動かして大輝を見た。


「……川井さんと?」


 そんなわかりきったことを尋ねた。


 大輝が、わかりやすく動揺する。


「そ、そんなに分かりやすかった?」


 そう言う大輝に……思わず笑いたくなった。


 分かりやすい。それはそれは、分かりやすい。


 冬川さんのIINEが無かったとしても、おそらく気付いていただろう。


 そのくらい、分かりやすかった。


 ……だから、心臓が痛かった。


 隣で醜い感情を抱いている自分。

 純粋に喧嘩したことを悔やんでいて、そして焦っている大輝。

 大輝と同様に悩んでいる川井さん。


 全てが、心に痛みをもたらす。


 だから、それを誤魔化すために笑いたかった。

 でも、悩む大輝を前に笑えるわけもなく。


「……まあ。大輝がこんだけ焦る理由なんて、それくらいしか思いつかなかった。」


 天井に目を戻し、なにもない真っ平らなそれを見つめながら返事をする。


「そんな分かりやすかったかぁ……。」


 どこかおどけるように、大輝が言った。


 場違いな明るさに感じる。

 でも、この場合場違いなのは俺の方なのだろう。


「これでも13年一緒にいるからね。」


 だから、できるだけ明るくおどけるようにそう返す。


 大輝がハハと笑った。

 さっきまで緊張していたその声が、少し和んだのに気がつく。


 どうやら、ちゃんとおどけられたみたいだ。


「うん、青空の言う通りでさ。俺、優雨と喧嘩しちゃって。」


 大輝が言う。

 

 自虐?焦り?それとも恐れだろうか。


 その声に、どこか真剣で、後ろ向きな感情が乗せられている気がして。


 もう、自分の気持がわからなくなる。

 

 川井さんと大輝の関係に、良くない感情を抱く自分と。

 大輝を応援し心配する自分。


 正反対の自分が混在していて、めちゃくちゃになっている気がする。


「優雨が心配でさ。学校帰りに優雨の最寄り駅で一旦降りで、家の近くまで送るってから帰ることにしてたんだ。」


 ……そんなことまでしてたのか。


 どうりで最近放課後に家に来ることが減ったわけだ。


 一人納得しつつ、心に無自覚ゆえの容赦ない攻撃を食らって苦しんだ。


 変に煽られたりけなされたりするよりも、こうして悪気なく差を見せつけられるのが一番効くかもしれない。

 

 そんなことを思う。

 ……差を見せつけられるというのは言うまでもなく俺視点での話であって、大輝からしたらただ事実を言っているだけなのだろうが。


 教室で見た、あの人目を憚らない甘々な雰囲気を思い出す。


 もはや、ここまで来たら一周回って気になってくる。

 若干麻痺し始めた心がついにバグってしまったのか、そんな興味すら湧いてきた。


 このカップルは、こいつは、どんなしょうもない理由で喧嘩したのか。


 冬川さん曰く、お互いのことを大事にしているのが原因らしいが。


 気になって、大輝の顔を見る。


 その顔に、少し怒りが見えた気がした。


「この間、優雨を送った後にちょっとしたチンピラっぽいのに絡まれちゃって。」


 一周回って気になってきた俺の心情などつゆ知らず、大輝が続ける。


 大輝がなんでもないことのように言うので、俺も流しかけた。


 しかし。


 ……チンピラ?


 この会話の流れで聞くとは思わなかった単語に遅れて気がついて、内心困惑した。


 この辺は割と治安が良いはずで、チンピラに遭遇することなど……ましてや絡まれることなど、めったにないだろうに。


 川井さんとの喧嘩云々以前に単純に大輝が心配である。


「それ、大丈夫だったの?」


 人が話をしているとき……特に何かを打ち明けているときは、口を挟むべきではない。

 そんな心がけも忘れて、先程までの淀んだ気持ちすら忘れて、思わず聞いてしまう。


「ん?チンピラのこと?もちろん大丈夫だったよ。」


 ……そういえば、大輝は昔空手だったか柔道だったかを習っていたような気がする。


 近くで見てきたからわかるが、大輝は運動神経の化身のような人間だ。

 

 どんな競技でもオールマイティにこなす彼のことだから、チンピラから自分の身を守れる程度の力はあるのだろう。


「……なに考えてるのか知らないけど、別に漫画みたいに戦ったわけじゃないよ。ただ、面倒だったからちょっと押したら逃げていっただけ。」


 ……いや、それはそれでどうなんだろうか。


 大輝は、人が好い。

 そして、滅多なことでは怒らない。


 だから、怒ると怖い。


 怒った大輝を誰よりも見てきた自負があって、それだけ色々なことをした自覚もある人間から言わせてもらうが、やはり怒った大輝は怖い。


 ……もしかしなくても、ちょっと押したときに尋常じゃないレベルの殺気が溢れ出していたのではないか。


 その目に恐れをなして逃亡していったチンピラが、なぜか脳裏に浮かぶようだった。


「そうそう、俺は無事だったんだけどそれはどうでもよくて。」


 どうでも良くはないだろ、というツッコミはこの際置いておこう。


 どうにも話の流れがつかめなくて。

 惚気なら聞きたくはないが、それはそれとしてとりあえず先を話してほしかった。


「そのことを優雨に話したら、危ないから家まで送らなくて良いって言い出したんだよ。」


 納得できない、といった様子の大輝の口調。


 ……話の流れが、見えた気がした。


 確かに、これは”お互いを大事にしすぎているがゆえに起こった喧嘩”かもしれない。


 やはりこれから惚気に近い説明が始まるような気がして、俺は心のなかで頭を抱えた。


 ……これが終わったら、冬川さんに適当な返事をしてしまったことを謝ろう。

 そう密かに決意をした俺だった。







[あとがき]


 こんにちは、作者のキタカワです。

 次の話から、少しずつラブコメらしくなっていく予定です。

 これからもよろしくお願いします!!

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