第6話 二度目の誓い

「そのことを優雨に話したら、危ないから家まで送らなくて良いって言い出したんだよ。」


 大輝は納得いかないというように続けた。


「もともと、優雨が心配だから送ってるのに。優雨がああいうのに絡まれるかもしれないとか、考えただけで怖すぎるじゃん。」


 ……言いたいことはわかる。


 川井さんは”クラスのマドンナ”と言われていることからも分かる通り、可愛い。

 

 ふわりと揺れる茶色がかった髪。

 楽しそうに、目を細めて柔らかく笑う姿。

 背が特段高い訳では無いが、スタイルは非常に良い。


 そんな川井さんだからこそ、大輝は心配なのだろう。


 それこそチンピラのような、禄でも無い誰かに絡まれやしないか。

 しつこいナンパにあわないか。

 痴漢やストーカーなどの悪質な犯罪の被害を受けないか。


 きっとそれが心配だから、本来降りなくて良いはずの駅で降りてまで川井さんを家に送っているのだろう。


 きっと、大輝にとってはチンピラとの遭遇は不安要素の増加を意味し、家まで送る必要性を実感させるような出来事だったのだ。


 ……しかし、当の川井さんはそれを断ったらしい。


「川井さんがなんでそう言ったかは分かるの?」


 気になって、聞いてしまう。


 川井さんとしても、大輝が危ない目に合うのは嫌なのだろう。

 だから、家まで送らないでいいと行ったのかもしれない。


 でも、喧嘩までするだろうか。


 大輝がいなくなったら、自分の身に危険が降りかかる可能性が高まるかもしれない。

 大輝がそれを良しとしないのは分かっているだろうし、本人も危険な目に合うのは嫌だろう。


 大輝がいれば100%大丈夫だとも思わないが、スペックの高い大輝ならば少なくとも男よけにはなる。


 それを喧嘩してまで断るというのは……。


「……優雨って、俺より強いんだよ。」


 ……?


 唐突な、バトル漫画のようなセリフ。


 あまりにも唐突で、予想外のセリフだったので脳が消化しきれない。


「強い……?」


 俺は反芻するように、おうむ返しした。


 強いって、ストロングの方の強いだろうか。

 ……いや、それ以外にないか。


 だとしたら、つまり。


「強いの。死んでも絶対にしないけど、俺が殴りかかったって余裕で返り討ちにされるくらい強いんだ。」


 ……全く知らなかった。


 あんだけ穏やかな雰囲気をまとっていながら、強いのか。

 見た目以外は割と脳筋な大輝でも勝てないほどに。


 自分よりも大きな相手を簡単にねじ伏せる姿を想像して、一種のおののきのようなものを覚える。


「俺がまだ優雨と話したこと無かった頃、優雨が電車で隣に乗ってた女の人を痴漢から助けて、駅で加害者をひっ捕らえてるのをみかけてさ。」


 さらっとすごいエピソードを言う大輝。


「俺は全くの部外者だったし、なんなら降りる駅も違って乗ってる車両も一個隣だったんだけどさ。心配半分尊敬半分で声をかけて、警察に連絡したり引き渡しすの手伝ったり諸々したんだ。それで次の日に改めて話してみたら意外と話が合ったんだよね。」


「……それから仲良くなったの?」


「うん。」


 ……川井さんは、もちろんすごい。

 でも、その場面で声をかけて手助けできる大輝も、地味に凄いんじゃないかと思う。


 なんだか、だから傍から見ててお似合いに見えるのだろうと思う。


 ……。


 うじうじしている自分がだんだんあほらしく思えてきて、俺はうつ伏せに寝返りを打った。


「とにかく、自分の身くらい守れるから大丈夫って優雨は言うんだよ。」


 脇道にそれた話を元に戻すように、大輝が言う。


 ……確かに、川井さんが大輝より強いのであれば、大輝は男よけくらいにしかならない。


 であれば、川井さんが危険な目にあってほしくないから早く帰ってほしいと思うのも頷けた。


「そうはいっても心配なものは心配だし、俺だって男よけくらいにはなれるのになって。」


 しかし、大輝はそれでも心配なようで。


 ……それで、喧嘩になったのか。


 なんだかどっと疲れを感じて、俺は枕に顔を埋めた。


 結局は、お互いがお互いを大事にしているがゆえに起こった喧嘩なわけで。


 やっぱり、ほっとけば解決するんじゃないか。


 なげやりに、思うのだけれど。


「なあ、青空。」


 真剣な声に、嫌な予感を感じながら顔を上げる。


「何?」


 大輝の端正な顔が悩ましげに歪んだ。


「俺、どうすれば良いと思う?」


 元気のない声で、そう言われて。


 知るか!!!


 そう叫びたいのをぐっと堪えて、息を吐く。

 

 俺は起き上がり、ベッドに座りなおした。


 大輝が、問うようにこちらを見ている。


 今ここで俺が適当にアドバイスしても、きっと二人は離れ離れになったりはしないのだろう。


 でも、これから付き合っていく中で、このくらいの衝突は多々あるはずなわけで。


 そのたびに俺に相談しに来る未来が見えて、頭を抱える。


 ……そもそも恋愛経験皆無な俺に、アドバイスする資格なんて全く無いのだ。


 なぜ、イケメンハイスぺ陽キャに、俺がアドバイスなんかしてるんだ。


 冷静に、そう思う。


 大輝には、これくらい自分で解決してもらわないと困る。


 愚痴ならいつでも聞いてやるのだけれど。

 こうしてアドバイスを求められるのは、辛いものがあった。


 ……決定的にすれ違ったわけでもない。

 冷静になって本心から話せば、きっと解決する問題なのだと思う。


 大輝だって、そのくらい分かっているのだろう。

 でも、踏み出せてないのだろう。


 じゃあ、俺がその背中を蹴り飛ばしてやるしかない。


 ……いや、本当に何を偉そうに言っているのだろう。


 俺は密かにため息を付き、どのように大輝の背中を押してやればいいか考え始めた。







 俺はぐったりと疲れて枕に頭を預けた。


 頭上に手を伸ばし、枕元に置いた時計を手に取る。


 23:13


 その表示を見て、力なく首を振った。

 大輝が話し始めたのがたった1時間前だということが、信じられなかった。


 ……長かった。


 プールがあった日の5限目の古文の数倍、長く感じた。


 さっきまで大輝が座っていた椅子を見る。


 疲れたので早く寝ようと思い明かりを消したので、その椅子はぼんやりとしか見えなかった。


 俺はため息をついた。


 結論から言えば、俺がわざわざ何かをしてやるまでもなかった。

 

 俺に事情を話して心が晴れたのか、冷静になったのか。

 大輝は自分の悪かったところを並べ整理して、その上で”また明日にでも優雨に謝る。それでまた話す。”と言って帰って行った。


 あの様子ならば、特に心配してやる必要もなさそうだ。


 ……そもそも、なぜ俺が大輝と川井さんを応援しなければいけないんだ。

 

 冬川さんと約束もしたし、そもそも川井さん云々以前に大輝は親友で。

 最初から選択肢はほぼなかったようなものだが、それでもちょっと……いや、かなり損な立ち回りをしている気がする。


 川井さんを奪おうなんて思ってもいないし、そもそも奪えるわけもないが。

 だとしても。


 ……。


 これから先のことを考えて憂鬱になって、スマホを開いた。


 IINEに通知が来ているのに気が付き、なんとなく立ち上げる。


 トーク一覧の一番上に表示されているのは、またしても冬川さんであった。


”他人事みたいに言ってるけど”


”どうせ夏野君も池上君に相談されるから”


 送られてきていた二つのメッセージを、渋い顔で見つめる。


 予言者か。


 もう大輝は帰ったので、遠慮なくため息を吐き出す。


”他人事だったのはごめん”


”無事に俺も相談された”


”一応、大輝の背中は蹴っといたから明日には仲直りしてるんじゃない”


 送りながら、眉を下げる。


 何とも言えない、微妙な気持ちだ。

 俺の心には複雑怪奇に入り組んだ感情が巣食っていて、しかもその感情は気まぐれで。


 ……ここで大輝と決別するような人間になれば、もっと楽に生きれるのかもしれない。

 そんなことを思ってしまう。

 もっとも、そんな人間になるつもりは毛ほどもないけれど。


 誰かに少し愚痴りたい気分なのだけれど、一番の相談相手である大輝には口が裂けても話せない。

 それが何よりもどかしい。


”やるじゃん、夏野君。”


”優雨も明日仲直りするって言ってるから、しばらくは安泰かもね”


 ついさっき送ったメッセージに既読が付いて、立て続けにメッセージが飛んでくる。


 それを見て、ほんの少し悪い心が顔を出してしまった。


”なにしてるんだろな、俺”


 誰にも言えずに積み重なった淀み。

 この一週間ずっと抱えていた愚痴を、思わず吐き出してしまう。


 送信ボタンを押して、でもすぐに後悔する。


 冬川さんに、言うべきではなかったかもしれない。

 それに、我ながら諦めが悪いし、気持ち悪い。


 自分で送ったくせに、今のメッセージを冬川さんに見られたくなかった。


 送ったばかりのメッセージを長押しして、送信を取り消そうとする。


 でも、当然のことだけれど、冬川さんはまだトーク画面を開いていたようで。


 送信取り消しを完了するが、その前に既読が付いてしまっていた。


 そんなに気にすることでもないとは思うが、それでも手から汗が出てくる。


 ……冬川さんが、目を離していますように。

 祈るように、明かりを消した薄暗い部屋で明るい画面を見つめた。


 しかし。


 唐突に、画面が切り替わって。

 大きめに設定してある着信音が、鳴り響いた。


 安定したリズムを刻んでいた心臓が、きゅっと縮こまる。


 画面にでかでかと表示される、”Chiyuki”の文字。

 そして”応答”、”拒否”と書かれた、それぞれ青色と赤色のボタン。


 数秒後に、止まった思考と心臓が再び動き始めた。


 なんで、電話をかけてくるんだよ。

 

 バクバクと鳴る心臓の音を聞きながら、半ば八つ当たり気味に思う。


 こんな時間に、仲良くもない相手にかけるだろうか。


 ……いや、変なメッセージを送った俺も悪いが。


 だとしても、電話をかけるだろうか。


 冬川さんのことが、分からない。


 少し迷って、でもやっぱり無視するわけにもいかなくて応答ボタンを押す。


「……もしもし?」


「あ、もしもし」


 冬川さんの、いつもよりもほんの少し低くて柔らかい声がスピーカー越しに聞こえた。


「急にどうしたの?」


「……いや、それはこっちのセリフでしょ」


 確かに。


 急に病んだようなメッセージが来たら、誰だって驚くだろう。

 事情を知っているとはいえ。


「いや、別大したことじゃなくてさ。……分かりにくかっただろうけど、冗談だったんだよ。自虐っていうの?」


 言い訳がましい言葉を並べる。


 今は、あのセリフに言及しないでほしかった。


「……まあ、いいけどさ。」


 少し間があったが、冬川さんはそう言ってくれた。

 間違いなく言い訳だとバレている気がするが、今は触れないでいてくれたことの方が重要だった。


 少し体を起こす。

 枕をベッドボードに立てかけて、俺はそこに寄りかかった。


「ね、夏野君。」


「ん?」


 冬川さんの声が、少し小さくなる。


 その声は、あの日の自販機の前で聞いた時ほどではないがどこか弱弱しく聞こえた。


「ちょっと愚痴らせてよ。」


 その言葉に、天井を向く。


「……うん。」


 沈黙が流れる。

 冬川さんが息を吐く気配がした。


 きっと、冬川さんも話せる相手がいなかったのだろう。


 そもそも、大輝と川井さんが付き合っているということを知っているのは俺と冬川さんくらいで。


 愚痴らないとやっていけないけれど、愚痴る相手がいない。

 そのキツさは、俺にもよくわかった。


「私もさあ、何やってるんだろって思うよ。」


 池上君のこと、好きだったし。

 そう続ける冬川さんは、どこか自嘲しているようだった。


「でも優雨とは昔からの親友だし、優雨を応援したいの。自分の気持ちがどうであれ、幸せそうな親友を応援したいの。」


 ”応援したい”


 そう言う心情が痛いほどわかってしまって、唇を噛んだ。


「そう思うんだけどさ。……やっぱり、嫌なこと思っちゃう自分もいるんだ。」


 その言葉一つ一つが、心を突き刺すようだ。


「だから、夏野君。」


 唐突に名前を呼ばれて、見られているわけでもないのに姿勢を正す。


 なんだろうか。

 考えを巡らせるが、冬川さんの思考回路が読めるほど俺は冬川さんのことを知らなかった。


 だから、次にかけられる言葉を聞き逃すまいと俺は耳を澄ませた。


「もう一回、約束しようよ。」


 冬川さんは、そう言った。


「前回は、夏野君が返事してくれなかったし。私も、勢いで意地を張って言っただけだったから。」


 冬川さんは、強いと思う。


 このまま二人で愚痴を言い続けて、不満を募らせる……そんな危うい道に進みかねなかったこの関係は、冬川さんの言葉で縛られ、もとの道に引き戻される。


 冬川さんにだって、不満や嫉妬の一つや二つあるはずなのに。


 ……いや、それがあるからこそ、こんな言葉で自分たちを縛るのか。


 いずれにせよ、それを自分で言いだして、俺に聞かせることで逃げられなくするのは。

 ついでに、危険分子である俺の行動まで縛ろうとするのは。


 強いな。

 冬川さんが、川井さんを大切にしていることが伝わってきて、そのことがぐさりと深く心に突き刺さった。


 俺は、弱い。


 大輝のことを親友と言いながら、すぐに悪い考えにそそのかされそうになる。

 すぐ、心が折れそうになる。


 だから、ここは冬川さんの強さに、乗っておくべきかもしれない。

 冬川さんに、縛ってもらうべきかもしれない。


「……うん。約束しよう。」


 その小さな、そして当たり前の決意を声に出して誓う。


「俺は、大輝と川井さんを応援するし、二人を邪魔するようなことは一切しない。」


 冬川さんに向かって、自分に向かって、一音ずつ丁寧に発音して誓う。


「私は、優雨と池上君を応援するし、二人を邪魔するようなことは一切しない。」


 冬川さんも、誓う。


 二人が口を閉じた後、そこにはいくらか軽やかな沈黙が流れた。


 言葉によって、縛られたはずなのに。

 なぜか心が軽くなった気がするのは、気のせいだろうか。

 これも、言葉の魔法というやつなのか。


「……今日は寝るか」


 なんだか、誓ったことに満足したのか急に眠気が襲ってくる。


「……うん。そうしよう。」


 冬川さんも同じような状態らしく、スマホの向こうであくびをした気配がした。


 なんとなく”おやすみ”と言い合い、どちらともなく電話を切る。


 スマホを枕元に置いて、目をつぶった。


 この約束は、確かに二人を縛るものだ。

 二人の枷と言ってもいい。


 しかしそれは枷であると同時に、二人を前へと向かせるコンパスの役割をも果たすことになることを、二人はまだ知らなかった。

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