第九話

 朝礼の直後、担任の伊秩いぢち瞳花まなか教諭が俺を名指しで呼んだ。スラッとして姿勢のいい彼女は三十二歳。ボーイッシュなショートヘアに小顔の美人で男子よりもむしろ女子に人気がある。


 サバサバとした性格に加えて面倒見もいいと評判だが、未婚で子供もいない。結婚、出産を強く奨励している大日本帝国においてはある意味異端者と言えた。


「ヨウミレイヤ君」

「はい」

「この後の授業は出席扱いとしますので、至急学園長室に向かって下さい」


 教室内の生徒たちが何事かとざわめき始めた。何の前触れもなくクラスメイトが学園長室に呼ばれたのだから無理もないだろう。


「用件は何でしょう?」

「詳しいことは私も聞かされておりません。ですが速やかに来るようにと学園長が仰せです」


「分かりました」

「あ、えーと、ルラハさん?」


 俺と一緒に席を立とうとしたルラハ(今週はハラルが道場で稽古をつける番だった)に、伊秩いぢち教諭が声をかけた。


「はい、何でしょう、伊秩先生」

「貴女は呼ばれておりませんので教室にいて下さい」


「申し訳ありません。ヨウミ家の従者は正当な理由と主の指示がない限り、側を離れることを許されておりません」

「で、ではヨウミ君、ルラハさんにここに残るように指示して下さい」


「ルラハが僕の側から離れる正当な理由があればそのように指示します」

「正当な理由……学園長がお呼びなのはヨウミ君だけというのは理由になりませんか?」


「残念ながら。ルラハは授業を欠席扱いでも構いませんので。ルラハ、行くよ」

「はい、レイヤ様」


 伊秩いぢち教諭は呆然と俺たちを見送るしかなかった。俺は学園の生徒である前に、同盟国から来た要人という立場にある。生徒同士でそれをひけらかすつもりはないが、学園や教師が相手なら存分に利用させてもらうのみだ。


「ヨウミレイヤです」


 学園長室のドアをノックすると、すぐに内側から扉が開かれた。重厚なデスクの向こうに完全に白くなってはいるが十分なボリュームの髪と髭を蓄えた、七十過ぎの老体が眼光鋭くこちらを見ている。


 学園長の中塩屋なかしおや颯真そうまだ。


「急に呼び立ててすまなかったね。そちらは?」

「レイヤ様の従者、ルラハと申します」


「ふむ。二人ともそこに掛けなさい。ワシは足腰が弱っておるので、このままで失礼するよ」

「構いません。失礼します」


 俺とルラハがソファに座ると、正面に顔も体格も厳つい男性が腰掛けた。軍学陸軍科の下成しもなり文飛ふみと教諭である。


「話は下成君からでね。ただ事が事なだけにワシも同席させてもらうことにしたんじゃ」

「はあ……」


「ヨウミ君、率直に尋ねるが君と君の仲間たちが週末、大日本帝国陸軍の日出ひで村出張所に招かれているというのは事実なのか?」


「ああ、そのことですか。事実ですが先生は誰からその話を聞きました?」

「食堂で君たちの会話を聞いていた生徒がいてね。名前は明かせんが」


「別に盗み聞きを咎めるつもりはありませんのでご安心下さい。で、それが何か?」


「何か? ではない! 何故そのように重要なことを私に知らせなかったのだ?」

「中間試験の勉強会をするのに、いちいち先生に報告しなければいけないのですか?」


「そうではない。軍の施設に招かれたことをだ!」


「そっちですか。隠すつもりはありませんでしたが言う必要も感じませんでしたので」

「し、しかしだな!」

「ルラハ、やめなさい」

「ん? んんーっ!?」


 見るといつの間にかルラハの手にナイフが握られていた。もちろん光学迷彩による実体のないナイフだがしもなり教諭に対する牽制としては十分に効果があったようだ。彼は表情を硬直させ、わずかに仰け反り気味の姿勢になっていた。


「下成君、彼が軍から要人扱いされていることは知っているはずじゃ。威圧的な態度を改めないとワシでは庇い切れんよ」

「し、失礼した」


「いえ、こちらこそ従者が失礼を。ルラハ、謝罪しなさい」

「はっ! 申し訳ありませんでした」


「ところで話というのは出張所に行くなということですか?」


「そうではない。ヨウミ君も知っているだろうが、我が学園の全生徒約三百人のうち、軍学陸軍科を専攻しているのはおよそ三分の一の百人に上る」

「ええ、把握してます」


 海軍科と空軍科の生徒はあまり多くない。両方足しても三十人ほどだ。


「中でも来年卒業する三年生は約四十人。年に二度、陸軍の駐屯地に招かれるが滞在出来るのはわずか二時間ほどで、見せて頂けるのも施設の外観や一般公開している兵装の類いに過ぎん」

「はあ……」


「それなのに君たちは何だ!? 入園して間もない一年生にも関わらず、最新の陸軍施設に入所するだけでなく客室に一泊した上に、施設内の案内までしてもらえるそうじゃないか!」

「立ち入り禁止区域には入れませんよ」


「我々は施設内に入ることすらままならんと言っている!」

下成しもなり君、威圧的な態度は……」

「し、失礼」


「なるほど。つまり先生はその三年生四十人も連れていけと?」

「全員とは言わん。せめて半分の二十人は……」


「お断りします」

「な、何故だ!?」


「まず第一に僕はその三年生と面識がない」

「そ、それならこれから顔合わせを……」


「顔を合わせただけで信用しろと? おかしなことを仰る」

「む……」


「第二に、そんな大人数を入れてくれるわけがないでしょう」

「いや、そこは交渉次第で……何なら人数を減らしてもいい」


「第三に、猪塚いのづか陸将補閣下にご迷惑がかかります。これはどう転んでも看過出来ません」

「猪塚陸将補だと……?」


「ご存じなかったのですか? 出張所に私たちを招待してくれたのは陸将補閣下ですよ」

「ま、まさか、そんな……」


「そういうわけですので諦めて下さい」

「で、では次の機会があれば!」


「あってもお誘いは出来ません。ああ、それと――」

「何だ?」


下成しもなり先生が今回のことを恨んで僕や僕の仲間に不当な態度を取れば、陸将補閣下を通じて抗議させて頂くことになりますので」

「そ、そんなことはしないと誓おう」


「よかった。くれぐれも、僕を利用しようなどとはお考えにならないようにお願いします」


 学園長まで唖然とする中で、俺とルラハは席を立つのだった。

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