第三章 エピローグ
「レイヤ様、
「彼女がどうした?」
柔術試合の翌日の今日は土曜日、職業軍人の門下生たちは休みである。ただし九州組が帰るまでは共に寝泊まりを続けたいとの要望が上がったため、道場は二十四時間開放したままだ。もちろん設備を使った自主練も禁止ではない。
なお九州組だけではなく、試合に参加した選手全員に温泉スパのチケットを渡した。出かけたいとの希望があれば、高尾駅までの往復には軍の
「ドレイシー柔術の門下生になりたいと、大分駐屯地司令の
「あの娘が?」
「私も意外でした」
「ハラルが踏みつけたりしてプライドがズタボロにされたせいで、逆に何かに目覚めたとか」
「何かってなんですか? 昨夜の宴会でのことです」
「ああ、ハラルも参加してきたんだったな」
「そこで彼女から外地に行く理由が聞けました」
外地とは○国のことだった。国名を出さなかったのは機密事項に関わるからだそうだ。道場にいた中でハラルとルラハは一般人なので、軍の機密は話せないと判断したらしい。
若林が○国に行きたい理由だが、彼女は○国の工作員に両親と妹を殺されたため非常に強い敵対心を抱いているとのことだった。そして特殊部隊"黒"は○国にスパイとして潜入する部隊があるという。
「それがどうして門下生に?」
「私に踏みつけられて自分の弱さを実感したと言ってました」
「やっぱりハラルが踏みつけたからじゃないか」
「意味が全然違います!」
「ま、いいや。それで?」
「両親と妹を殺した工作員を確実に殺すため、ドレイシー柔術を極めたいのだとか」
「教えるのは基礎だけって話じゃなかったっけ? どうするんだよ」
「現時点ではあくまで候補ですが、ジェームズ・テイラーと同じにしてはどうかと」
「仲間にするってか?」
「そうすれば高度な技も教えられます。彼女は奥義を会得出来る優れた柔術家と言って間違いありません」
ドレイシー柔術自体がハラルの自称なのに、奥義まであるのかよ。
「あります」
「あれ、念話飛ばしてた?」
「いえ。レイヤ様のチップは常にフルアクセスでモニターしてますので」
「やめろ!」
「モニターおふ〜」
これ、絶対に切ってないヤツだ。
「切ってますよー」
「切ってねえじゃねえか! まあ、インターハイ優勝経験者だしな。優れた柔術家ってのは納得だ」
「特殊部隊資格課程も彼女なら問題なく修了出来るでしょう」
「初の女性"黒"になるんだな」
「まだ先の話です。ただそうなれば○国を探れます」
「偵察型ドローンは……数に限りがあるか」
攻撃型と合わせて五百機あるとは言え、常に全機をオンステージに出来るわけではないし、仮に出来たとしても○国全ての監視は不可能である。それに監視対象は○国だけではない。
「両親と妹を殺され親戚付き合いもなく、天涯孤独なので都合もいいです」
「何で縛る?」
「彼女の家族を殺した工作員の情報で十分かと」
「分かった。ハラルがそう言うなら承認しよう」
「ありがとうございます。
その日の夜、俺に出張所に出向いてほしいとの伝言を携えた
途中スパの前を通ると、シャトルバスが忙しなく出入りを繰り返していた。これから帰る客でごった返すことだろう。
「ヨウミ君、急に呼び出してすまなかったね」
通された応接室には陸将補の他に大分駐屯地の沼田大佐がいた。若林の上司だから当然か。テーブルを挟んで二人と向き合って座ると、女性兵士が茶を出してからそのまま扉の横に立った。彼女は護衛というわけか。
「それで話とは何です?」
「昨日優勝した若林遥一等兵曹についてなんだ」
「はあ」
知ってるけど初めて聞くフリをする。
「彼女がドレイシー柔術を習いたいと言っているんだよ」
「門下生は十人までと申し上げたはずですが」
「貴様! 猪塚陸将補閣下に口答えするか!」
「ああ、いいんだ沼田君。君にも彼の力の一端は見せたはずだよ。あまり威圧的にならない方がいい。彼は私と対等な立場だからね」
「閣下が下手に出られるのでいい気になって無線を切ったり、若林の試合を我々に見せなかったりしたのではありませんか?」
「沼田君、彼は私と対等だと言ったはずだよ。つまり君より立場が上ということだけど分かってる? 態度を改めないと私では庇いきれなくなるよ」
「そ、それは……」
「埒が明かないから続けさせてもらうね。彼女が特殊部隊入隊を目指していることは知ってるかな?」
「はい。昨日のハラルとの試合中に言ってました」
「そうか。君はその試合を見たんだね?」
「これでも地主ですし、ハラルたちの主人でもありますから」
「まあいい。それで、一人増やすことは叶わないだろうか。だめなら誰か一人と入れ替えるしかないが、事情が事情なだけに外される子が哀れでね」
セクハラの被害者だからという意味だ。
「分かりました。ハラルたちには一人増えると私から伝えておきます」
「おお! それで追加の月謝は二十万でいいかね?」
「十人で二百万だからということでしょうけど、追加の月謝は必要ありません」
「ほう?」
「意外に思われるかも知れませんが、ハラルも若林さんのことは気になっているようでしたので」
もちろんこれは建前だ。気になっているのは確かだが意味が違う。仲間として育てるのだから、彼らからの授業料は不要ということである。
「もしかして若林はハラル嬢に勝ったか、負けたとしても善戦したのか!?」
「いいえ、沼田閣下。手も足も出ずにハラルに格の違いを見せつけられておりました」
「そ、そうか……」
「ところで仮宿舎に空きはあるんですか?」
「実はそれも相談したいんだ。
仮宿舎は文字通り仮で、元々研修などの目的で訪れた者のために軍が宿舎を建設中だった。基本的に女性兵士専用で、食堂と大浴場を備えた二階建て、全二十五室の建物である。ただし完成にはまだ三カ月はかかると言う。
「宿舎が完成するまでの間ということでしたら構いません。一人で過ごすのが寂しいようでしたら、何人かの門下生も一緒でいいですよ」
「希望者を募ると全員希望するかも知れないね」
「でしたら人数を決めて交替制にするといいのでは?」
「うん、いいね。そうしよう」
若林遥は一度沼田大佐らと共に大分に戻り、準備を整えて一週間から十日ほどでこちらにやってくるとのこと。俺たちの仲間が増えるカウントダウンが始まった瞬間だった。
◆◇◆◇
「皆さんには一度紹介しておりますが、
最初に紹介された時はあまり好意的な視線を向けられなかったが、俺が立場にかこつけて道場を訪れたりしないと分かったからか、元からいた門下生たちから敵意は感じなかった。
「若林さん、レイヤ様にご挨拶を」
「大日本帝国陸軍大分駐屯地所属、若林遥! 階級は一等兵曹であります!」
「ヨウミレイヤだ。この一帯の土地を所有している。天然温泉スパリゾート
「質問、よろしいでしょうか!」
「構わない」
「ヨウミレイヤ殿は
他の門下生たちには知らせてなかったので、十人とも驚いて声を上げた者もいた。
「間違いない。先日大分駐屯地司令の沼田大佐もいる前で、立場は対等とおっしゃって頂いたよ」
「では沼田司令よりも上……」
この呟きで、門下生全員が姿勢を正した。
「いやいや、そう力まないでくれ。俺は軍属ではないから正しくは上下関係なんてないさ。ただ軍は民間人の俺相手でも無体は出来ないってところだろう」
「若林さん以外はご存じと思いますが、レイヤ様は用がなければこの道場を訪れることはありません。ですので宿舎が完成するまでの間の安心してここで寝泊まりして下さい」
その日は全員でそのまま泊まるとのことだったので、俺たちは間もなく道場を後にするのだった。
――あとがき――
次話より『四章 学園と海賊』に入ります。
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