【第四章】

【1】罪人の牢獄

 イクスがメルゼベルクの試練の案内人を務めるようになり、今宵で三度目の試練が行なわれた。相も変わらず招待された者は罪人であり、更なる試練で首を獲られてしまったのは言うまでもない。


 そして今、塔内には観客の姿は勿論のこと、舞台裏を覗いても協力者一人見当たらない。残されているのは、舞台の上に佇む案内人が一人と、そしてもう一人……。


「……なあ、なんでぼくが此処にいるんだ?」


 イクスの隣に立つのは、エールだった。


「知らん」


 不安気な表情のまま、エールが問い掛ける。

 それを無下に返すのは、イクス自身も答えを知らないからだ。


「アヴェッツェの意思だ。オレには理解できないがな」


 前日、エールの許にナアが姿を現した。


 アヴェッツェの小間使いとして働くナアは、贈り物を二つ。メルゼベルクの試練の限定入場券が一枚と、招待状が一つ。メルゼベルクの試練が幕を下ろした後、舞台の上へと御越し下さい、と招待状には書かれてあった。


「アヴェッツェの意思? それ、どういうことだ?」


 言葉の意味を理解できず、エールは小首を傾げた。

 何故、自分が舞台上に招かれたのか、それを知る人物はイクスではない。


「お前が、メルゼベルクの試練に出たいなどと抜かすから、それを知られてしまったのかもしれないな」


 これはオレの失敗でもある、と付け加えた。

 招待状が届いたことは、イクスにも伝えていたが、様子を見るに、口を滑らせたわけではない。だとすれば何故、アヴェッツェはエールがメルゼベルクの試練に出たがっていたことを知り得たのか。


「やあ、待たせたね」


 そこに、渦中の人物が姿を現した。偉大なる魔法使い、アヴェッツェ=エフツェットだ。

 何時からそこにいたのか、アヴェッツェは観客席の一列目に腰掛け、足を組んでいた。


「……アヴェッツェ、説明しろ」


 口調が、普段よりも更に棘を増す。敵意を感じ取ることもできた。


「フラクトゥール、恐い顔をしないでおくれよ」


 ゆらりと立ち上がり、端に設置された階段から舞台へと上がっていく。

 表面上は笑みを浮かべているが、実際には何を考えているのか不明だ。


「ウムラウトくん、今宵のメルゼベルクの試練は如何だったかな?」

「えっ、……あ、えと、……迫力がありました」


 ふいに、質問をぶつけられたエールは、それぐらいのことしか言えなかった。


 たとえ罪人とは言えども、人が死ぬ瞬間を見るのは精神的な苦痛を齎す。だがしかし、それを指摘したところで、試練の中身が変わることはない。それどころか、アヴェッツェの反感を買うことになる。


「ふむ、それはよかった。フラクトゥールも張り切りがいがあるじゃないか」

「止せ、糞ジジイ」


 やり取りの意味がエールには理解できなかったが、アヴェッツェが気にした様子はなく、舞台の真ん中へと辿り着く。


「しかしだね、実は今宵のメルゼベルクの試練は、まだ幕を下ろしてはいないのだよ」


 無人の席に視線を向け、アヴェッツェは目を閉じる。

 此処に立つ喜びを存分に味わうかの如く、大きな深呼吸をしてみせた。


「それ、どういう意味でしょうか」


 訳が分からず、エールは尋ねてみた。

 すると、アヴェッツェはくるりと振り返り、エールと目を合わせる。


「今宵のメルゼベルクの試練の御客様は、あと一人存在するのだよ。それが誰なのか、言うまでもないだろう?」


 罪人が、もう一人。

 その言葉に、イクスは息を呑んだ。


「あと一人って、……もしかして、ぼくですか?」

「その通りだよ、ウムラウトくん」


 己を指差すエールと、満面に笑みを咲かせるアヴェッツェ、そして二人を交互に見やるイクスの三人が、舞台の上に立っている。


「アヴェッツェ、この男は罪人ではない」


 よもやの出来事に、エールはおろか、さすがのイクスも驚きを隠せない。


「おやおや? どうもこうもないだろう、フラクトゥール? きみが私に教えてくれたことじゃないかね。ウムラウトくんが、メルゼベルクの試練に出たいとね」

「きみ、言ったのか?」

「言うわけがない!」


 声を荒げ、怒りを面に出す。感情を露わにするところを、エールは今までに一度も見たことがなかった。


「オレは何も言っていない。……恐らくは、心を読まれたんだ。

「心を、読まれただって?」


 不可解なことを言い出したイクスに、エールは眉を潜めた。

 魔法の欠片には、不可能なことはない。それは既に理解していたが、予期せぬ言葉を耳にして、エールは驚かずにはいられない。


「奴が持つ魔法の欠片、《罪人の牢獄》は、対象者一人に触れることで、過去に犯した罪を全て知ることが可能となる」

「全ての罪を……?」


 イクスの言葉に、エールの顔が険しくなる。

 対象者に触れるだけで、その人物が犯してきた罪を暴くことが可能な《罪人の牢獄》は、アヴェッツェにとって最も重要な魔法の欠片である。


「《罪人の牢獄》を所持しているからこそ、奴はメルゼベルクの試練に招待された者の罪を全て知っていた。メルゼベルクの試練の案内人は、アヴェッツェから伝え聞くことで、舞台を盛り上げていく。それが全てのカラクリだ」


 メルゼベルクの試練には、不可解な点が幾つか存在していたが、それら全てが、初めからアヴェッツェの手の平の上で踊らされているものに過ぎなかった、ということになる。

 真実を知り、エールは目を見開いた。


「フラクトゥール、約束を違えるのかね?」


 笑わない瞳をイクスへと向けるアヴェッツェは、ゆっくりと首を傾げた。仕草の一つ一つに意味を持ち、心の奥を覗こうとしているかのようにも見える。


「アヴェッツェ、貴様がそれを言うか? メルゼベルクの試練に招待される者は罪人と定められているはずだ。この男が受ける道理はない」


 怒りを隠さず、イクスは食って掛かる。それが如何に愚かな行為であるか、イクスほどの人物であれば、理解できないはずもない。それなのに、イクスは己の感情を優先した。

 だが、アヴェッツェは不敵に笑う。


「くく、それならば問題ない。ウムラウトは聖人君子ではないのだからね。メルゼベルクの試練に招待されるだけの資格は、既に持ち合わせているのだよ」

「ぼくが、試練の資格を?」


 それはつまり、エールが罪人である、と宣告していることになる。

 エールにとっては寝耳に水の話であると言えるだろう。


「……た、確かに、ぼくはメルゼベルクの試練に出たいと言いました。……でも、罪人と言われるような行いは、一度もしたことがありません」


 目の前の人物に盾突く行為こそ、罪人と認識するに相応しいのかもしれない。

 しかしながら、エールとしても身に覚えのない罪を被るのは気分が良くない。


「罪が無い? ……はて、この世には罪を持たない生命体が存在するのかね?」


 エールの主張を笑い、アヴェッツェは言葉を返す。


「ウムラウトくん、それは実に馬鹿げたことであり、決して有り得ないのだよ。それを今から証明してみせようではないか」


 何処から取り出したのか、コツコツと杖の音を鳴らし、舞台の前方へと移動したかと思えば、紳士の如く畏まった態度で、お辞儀をしてみせる。


 手招きされた先には、メルゼベルクの試練に招待された罪人のみが座ることを許される、公開処刑の椅子があった。アヴェッツェは、その椅子に座れ、と促す。


「今回に限り、メルゼベルクの試練の案内人は、私が引き受けようではないか」


 イクスでは、私情を挟みかねない。そう考えたのか、アヴェッツェは案内人の役を買って出た。だが、その台詞と共に、イクスは瞳の中にアヴェッツェの姿を映し込み始めた。


「アヴェッツェ、貴様に勝てる魔法使いなど、この世には存在しない。それは貴様自身が理解していることだ」

「そうかもしれないね。……だが、彼に限っては、そうでもないのかもしれないがね」


 全てを言い切る前に、アヴェッツェは左の手首を軽く回す。

 瞬間、イクスの体が上下逆さまへと変化した。

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