【7】二十六秒

「……十二年前、ぼくは両親に捨てられた」


 目の前にいる人物にだけ、聞こえる程度の声だった。

 エールは、過去を話し始める。

 それは、エールがヒルシュベルク一の魔法使いを目指す切っ掛けとなったものだ。


「いつかきっと、ぼくを迎えに来てくれる、そう信じて生きてきた」


 でも、と言い、エールは視線を逸らす。


「迎えになんて、来なかった」


 声が震えているのは、イクスへの恐怖によるものではない。

 父と母が死を、未だに受け入れることができないでいる。エール自身が、それを理解していた。


「だから、お前は魔法使いになりたいのか」


 イクスが問うと、エールはしっかりと頷く。

 その瞳には、決意が見て取れた。


「ヒルシュベルク一の魔法使いになれば、きっとぼくのことに気付いてくれるから」


 その想いを胸に、エールは魔法使いになることを決めた。

 真実を知り、イクスは首を横に振る。


「お前には無理だ。魔法の欠片の一つも持たずして、戯言を抜かすな」

「……じゃあ、ぼくにメルゼベルクの試練を受けさせてくれよ」


 澄んだ声が、室内に浸透する。

 それは、決して言ってはならない言葉だ。


「気は確かか、間抜け」

「おあいにく様、今のぼくにはきみ以外に恐いものなんてないね」


 少し強めの口調で、弱点を口にする。

 だが、それすらも利用するかの如く、エールは口を動かし続ける。


「メルゼベルクの試練を受けさせてもらえれば、ヒルシュベルクに存在するほとんどの人がぼくの存在を知る」


 それは一理あった。

 確かにメルゼベルクの試練は、尋常ではないほどの影響力を持つ催し物だ。そう考えてみれば、エールの提案はあながち的外れではなかった。


「それに加えて、仮に試練を全て乗り越えることができたら、魔法の欠片を手に入れることもできるだろ? そうなれば、ヒルシュベルク一の魔法使いになるのも夢じゃなくなる」

「安心しろ、オレに勝つことはできない。つまりそれは夢物語でしかないわけだ」

「なんでさ、戦ってみなくちゃ分からないじゃないか!」


 エールは、自分でも無茶を言っていることは承知の上だ。

 その姿、そして表情を見たイクスは、詰まらなそうに息を吐く。


「一度、舞台の上に立てば、たとえ相手が顔見知りであるが容赦はしない。お前は死ぬ覚悟を持っているのか?」


 口調は変わらず、だが子供を諭すかのように、話し掛ける。

 エールを、自分の手で殺すことはできない。そう思っているからこそだ。


「……で、でも、ぼくは……ッ」


 しかしそれでも食い下がる。

 ヒルシュベルク一の魔法使いになりたいという想いは、本物に間違いない。いつまでも話が平行線のままなことに業を煮やしたのか、イクスは遂に口を割る。


「――……《壊れかけの眼》」

「えっ」

「オレが持つ、稀有な魔法の欠片の一つだ」


 寝台の上から降りると、イクスは備え付けの椅子に腰掛けた。

 と同時に、左手の指を鳴らす。


「……あれっ?」


 それを合図に、エールの手足は自由を取り戻していた。


「舞台の上で、オレが言い続けてきた言葉を覚えているか」


 自身の瞳を指し示し、イクスが問い掛ける。

 エールは眉を寄せて思考するが、すぐには思いつかない。


「……ったく、間抜けなところだけはヒルシュベルク一だな」

「んなっ、なんだって!」


 間抜け呼ばわりされるのは、果たしてこれで何度目になるのか。

 拳を握り締めたエールは、寝台から飛び起き、イクスと向かい合う。


「《壊れかけの眼》が発動している間、オレは対象者一人の動きを二十六秒先の未来まで予知することが可能だ」

「……未来を予知するだって? そんなことが……」


 可能なのか、と言い掛けて、エールは口を閉じる。正しく、それは愚問でしかないことに気付いたからだ。


「そう言えば、未来が視えるって何度も言ってたっけ」


 イクスが持つ魔法の欠片、《壊れかけの眼》は、未来予知を可能とするものだった。

 エールは思い起こしてみる。確かに、その言葉は耳に残っていた。


 エドリアードとルブレアの首を獲った時も、イクスは《壊れかけの眼》を発動していたのかもしれない。見た目には分からずとも、それを可能とするのが魔法の力だ。


「二十六秒間、対象者一人の姿を瞬きせずに瞳の中に映し続けることが発動条件だが、メルゼベルクの試練の案内人の立場を利用することで、それは片足で立ち続けるよりも容易なことになる。……つまり、オレには誰も敵わない」


 たった一人を除いて、とは口にしなかった。

 それを今此処でエールに教えたとしても、イクスには何の得もないからだ。


「……だが、強力な力を持つ魔法の欠片には、それなりの代償を支払う必要がある」

「代償? 確か、疲労が蓄積するとか……」

「違う」


 イクスは、すぐに否定した。

 これまでにエールが学んできた知識では、魔法の欠片を体内に取り込むことで、副作用が発生した事例は、ただの一度もない。けれども、イクスは例外だ。


「予知酔い、それが《壊れかけの眼》による代償だ。ほんの僅かな時間とはいえ、他者の未来を視通すことが可能となれば、脳に掛かる負担も計り知れないものとなる。更にオレの場合、それが脳から瞳へと伝染する。《壊れかけの眼》を発動後、数時間が過ぎた時、丸一日は頭の中がぐらぐらと不安定な状態に陥り、重度の眩暈に襲われてしまう。……今のオレのようにな」

「だから、ぼくの攻撃を避けることができなかったのか……」


 机の上のコップに手を付け、イクスは勢いよく飲み干す。せめて、思考だけでも回復させようと試みているのだ。


 歩くこともままならない症状に見舞われて、それでも身を守る為に気を付けなければならない。代償というものは、命に関わるものであった。


「どうして、その話をぼくに?」

「間抜けが、知りたがったのは誰だ」


 そう言われて、エールは納得する。

 聞き始めたのは、エールの方だった。


「でも、そんな大事なことを、ぼくなんかに話しても……」


 それは違う、とイクスが口を挟む。


「お前は、誰にも言えない秘密を打ち明けた。それは並大抵のことではない」


 稀有な魔法の欠片ともなると、切り札として扱うことが多い。それ故、魔法使いは、自身が扱う魔法の欠片の効果を他者に知られることを嫌う。


 そして、イクスは自身が持つ魔法の欠片の効力をエールに話してしまった。

 これは、エールのことを信頼しているのか、またはそれと同等の価値を見い出すことのできる人物である、と考えた結果だ。


「……だが、これで理解できたはずだ。お前では、オレに勝つことはできない。当然のことながら、それだけで済むと思うな。メルゼベルクの試練では、お前の秘密を半ば強制的に暴いてしまうことで、未来の芽を摘む。本人の意志とは無関係にな」


 他者の未来を視通すことができる者が、メルゼベルクの試練の案内人となり、罪人の未来を摘み取る。皮肉な話だが、それを実現できるのは、イクスが持つ魔法の欠片の力が大きい。


「メルゼベルクの試練に招待される者は、悪人ばかりだ。お前は貧乏で間抜けな魔法使いだが、悪人には当て嵌まらないからな。今後も舞台の上に立つことは叶わないだろう」

「だけどっ、きみは招待されたんだよな?」


 メルゼベルクの試練に招待される者の中には、例外が存在する。その中の一人が、イクスだ。

 前任者を倒すことで、イクスは今の地位を確立させていた。


「オレの代わりに、案内人になるとでも言うつもりか? それこそお前には不可能だ。意味のない思考を巡らせていることに気付け、そして早く部屋に戻るんだな」


 エールを、メルゼベルクの試練に招待することは許さない。首を獲るのは、悪人だけで十分なのだ。だが、イクスは言葉に出さずに呑みこんだ。


「もういいっ、バカっ」


 自分の意見が通らないことを思い知らされて、エールは頬を膨らませながら睨み付ける。それから、わざとらしく足音を響かせ、部屋を出て行ってしまった。


「……分からず屋め」


 開けっ放しになった扉を見つめ、イクスはぽつりと呟いた。

 その言葉には安堵が含まれていたが、想いを向けられた当の本人は、既に姿が見えなくなっていた。

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