【6】魔法の使えない魔法使い

 メルゼベルクの試練が幕を閉じ、宿屋に戻ったエールは、イクスが姿を現すのを待った。

 嫌味な口調と性格を持った案内人ではあるが、二度に亘ってメルゼベルクの試練を生で観戦したエールは、ヒルシュベルクに現存する魔法使いの中でも、イクスが上位に位置することを理解していた。


「嫌な奴だけど、腕は確かだからな。まあ、我慢してもいいかな」


 大広間の入口傍に置かれたソファに腰掛けたまま、エールは一人で勝手に頷く。


「あいつを、ぼくの師匠にするんだ……」


 それは、エールが独断で決めたことだ。勿論、イクスは何も知らない。


 ヒルシュベルク一の魔法使いになる為には、優秀な腕を持つ魔法使いを師匠に迎え、学んだ方がいい。エールは、そう考えた。そしてその矛先を向けられたのが、メルゼベルクの試練で案内人を仕るほどの腕を持つ、イクス=フラクトゥールであった。


 とここで、足音が聞こえてきた。

 顔を上げると、期待通りの人物の姿を見つける。


「あ、おかえり」


 まず、声を掛けてみた。

 顔を見るだけで苛々しそうになるのが腹立たしいが、些細なことにいちいち文句を付けていたら、何も始まらない。だから、エールはグッと堪えて笑い掛ける。

 が、やはり無理な話だった。


「……なんだ、貧乏な魔法使いか」

「なんだって!? このバカ剣士ッ!」


 当然のことながら、エールは怒声を浴びせる。

 とはいえ、イクスも慣れたものだ。鼻で笑い、やれやれと溜息を吐く。


「剣士じゃない。オレは魔法使いだ、この間抜け」

「ま、間抜けって言うなっ」


 言うや否や、右拳がイクスの顔面を捉える。

 力いっぱいに両手を握り締め、今にも殴りかかりそうだ。原始的な手段を用いることが得意なエールは、魔法使いとは言い難い。


「――ッ!? え、あ……ちょっと、きみ……大丈夫か?」

「くっ、……自分から殴っておきながら、大丈夫とは何事だ……」


 まさか、直撃するとは思わなかった。

 これまでにも何度か怒りに任せて原始的な攻撃を仕掛けたことはあったが、さしもの相手はメルゼベルクの試練の案内人だ。エールの攻撃を直に喰らうはずもない。


 しかしだ、現に今、イクスは床に転がり、頬を擦っている。

 エールの右の拳が見事に決まったのだ。


「だ、だって、……きみなら簡単に避けてくれるって……信じてたから、えっと……」


 次第に、声が小さくなっていく。

 無様な姿を晒したイクスは、一向に起き上がる気配を見せずに、痛みに顔を歪めている。

 その姿を見ていると、エールは申し訳ない気持ちが溢れてきた。


「……すまなかった」


 遂には、謝ってしまう。

 嫌な奴には変わりはないが、それでも自分がしたことは悪いことなのだ、とエールは自覚している。それ以外の手段を取れない。


 すると、イクスはフラフラと立ち上がり、ゆっくりと息を吸い込んだ。


「野蛮で暴力的な奴は好みじゃない。憶えておけ」

「ッ、……うぅ」


 そんなことを言われる筋合いはない、と言い返したくなるエールだが、さすがに現状では分が悪い。少し不満げな顔を作り、エールは頭を垂れた。


「あのさ、もしかしてきみ……怪我でもしたのか?」


 見た感じでは、負傷はしていない。だが、エールの攻撃を避けることもできなかったのは事実だ。顔色を見れば自ずと理解することができるが、イクスは明らかに具合が悪そうだった。


「……反動だ」


 エールの一撃が止めとばかりに、覚束ない足取りで宿屋の奥へと進み、階段を上っていく。

 その後を、エールが追い掛けた。


「反動? ……って、どういうこと?」


 イクスの言い方では、怪我が原因ではない。

 だとすれば何故、そんなにも苦しく辛そうなのか。


「ああ、……あの魔法を使ったからな」


 その台詞を耳にして、エールは小首を傾げた。

 ルブレアとの決闘にて、イクスは幾つかの魔法を扱っていた。その中に、現状を生み出すものが存在していたのだろうか。興味を持ったエールは、身を近付ける。


「ぼくに教えてよ、どんな魔法を使ったの?」


 一方のイクスは、自分の部屋の前まで辿り着くと、一度だけエールに目を向ける。


「お前は知らなくてもいいことだ」


 そう言って、イクスは扉を閉める。

 ……が、エールが制し、するりと室内に入り込んでしまった。


「ケチだな、それぐらい教えてくれたっていいじゃないか」

「お前は間抜けか? 己が扱う魔法の種を言い触らす魔法使いが、何処にいる? そんな間抜けなことをすれば、そいつは魔法使いとして死んだも同然だ」


 確かに、それは最もな意見だ。数多の魔法の欠片を体内へと取り込み、魔法使いとして生きるイクスは、たった一つでも魔法の欠片の効果を知られるわけにはいかない、と考えている。


 メルゼベルクの試練では、観客を楽しませる為に、説明せざるを得ないこともあるかもしれない。だが、対処法を取られない為であり、それは全ての魔法使いに共通認識として備わっているものなのだ。


「それはまあ、そうなんだけど」

「……お前、本当に魔法使いなのか」


 前々から疑問に感じていたことを、イクスは遂に口にする。


「あ、当たり前だろ? 何を今更言ってるんだよ」

「今更だから聞いている。……それで、何か一つでも魔法は扱えるのか」

「うっ」


 イクスからの問いかけに、エールは唾を呑みこんだ。

 あからさまに動揺し、これまでに見せたことのない姿を曝け出す。


「まさか、一つも……?」


 さすがのイクスも、言葉を失くす。

 魔法使いを名乗るのだから、何らかの魔法を扱えることは確かだと思っていた。

 だが、その考えは間違いであり、見当違いでしかなかった。


「だ、だって! 魔法の欠片って一般人には手が出ない代物じゃないか! ぼくみたいに貧乏な魔法使いが買えるものなんてないんだから、仕方がないだろ!」

「貧乏ってところは同意だが、もはやお前は魔法使いを名乗る資格すら持たないな」


 エールの胸に、言葉が刺さる。

 悔しそうに歯を喰いしばり、エールはイクスを睨み付けた。


「う、うるさい! ぼくはヒルシュベルク一の魔法使いになるって決めたんだ!」


 部屋の中は二人きりとはいえ、大きな声を出しては下の階まで筒抜ける。けれどもエールは、そんなことはお構いなしに宣言する。


「何故、魔法使いに拘る。お前のように魔法の一つも扱えない奴が、ヒルシュベルク一の魔法使いになれるだなんて、本当に信じているのか?」


 魔法の欠片が無くとも、魔石を集めることで、魔法使いの真似事をすることはできる。

 だが、それでは意味がない。少なくとも、エールはそう思っていた。


「ヒルシュベルク一の魔法使いになるってことは、オレはおろか、アヴェッツェでさえも超えるってことだ。お前には不可能な夢だな」


 寝台に腰掛け、イクスはエールの表情を窺う。

 具合が悪くとも、口で攻撃するだけの気力は持ち合わせている。メルゼベルクの試練の案内人を相手に、口喧嘩で勝利を収めるのは難しいだろう。


 すると、エールは負けん気を存分に発揮した様子で、言い返す。


「ぼくがなるって決めたんだから、絶対になってみせる!」

「……分からず屋め」


 現実に目を向けろと言っても聞く耳を持たず、夢ばかりを語る奴だ、と心の中で愚痴を吐く。

 ゆらりと立ち上がると、徐にエールの腕を握る。


「え、……あ」


 一瞬、エールは心臓が飛び上がりそうになるのを感じた。しかしそれはすぐに現実を直視させ、自身が置かれた立場を把握させる。


「――ぃ」

「お前は弱い」


 腕を力任せに引っ張られ、エールは寝台に放り投げられた。

 その上に跨り、イクスは鼻の先が触れるほどの距離に顔を近付ける。


「血の滲む努力をしたとしても、お前が魔法を使えないことに変わりはない。お前のその全てが、それを物語っている」


 押し退けようと腕を動かすが、力では勝てない。

 エールは、イクスに組み伏せられてしまう。


「んっ、……く、なぜ!」


 いつの間にか、エールは背中越しに両腕を縛り上げられていた。更には、両足の自由も利かなくなっている。手足共に同じ状況に陥っていた。


 呪文を唱えた素振りは見せていない。しかしそれが実力を兼ね備えた魔法使いの真骨頂とも言えよう。敵に悟られずに、ほんの僅かな時間で魔法を発動させるのだ。


「魔法も使えないただの人間が、ヒルシュベルク一の魔法使いになるだなんて、間抜けな夢を見るな」


 反抗するエールを、イクスは力で捻じ伏せる。

 地力の違いを見せつけ、自力の差を体に刻み込ませていく。


「ぃ……、くっ」


 埃を被った赤緑のローブは、前がはだけていた。

 それを瞳に映し……。


「――ッ、まさか……」


 エールの胸元に刻まれた証に、イクスは目を見開く。


「ぼくは……ヒルシュベルク一の、魔法使いに……なるんだ……ッ」


 悔しげに瞳を閉じるエールは、気を紛らわすかのように呟く。

 イクスの様子が変わったことを知らずに、自身の想いを口にした。その言葉を受け止めたイクスは、手の力を弱める。


「……ひ弱な男だ。そんなことでヒルシュベルク一の魔法使いになれるわけがない」


 もう一度、繰り返す。

 夢を見るのは勝手だが、それが原因で命を落とす者は少なくない。イクスは、エールのことを心配しているのだ。


 恐る恐る瞼を開くエールは、瞳の中にイクスの姿を捉える。

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