【5】場外

 その言葉を聞き、背筋がぞっとした。それは、エドリアードを罪人として招待した時、イクスが口にした台詞だ。


「くっ、何をおかしなことを……そんなことできるはずが……」

「魔法の欠片には、不可能なんて言葉は存在しない。貴方自身、理解しているはずですよね」


 くつくつと笑みを零し、イクスは黒剣を握る手に、少しばかし力を込める。

 いつしか、塔内は静寂に包み込まれていた。皆が一様に手に汗を握り、メルゼベルクの試練の案内人の言葉に耳を傾けている。エールもまた同じく、意識を奪われていた。


「得体の知れない恐怖に襲われた貴方は、《風の防御壁》を扱うでしょう」

「《風の防御壁》発動――ッ!! ……はっ!?」


 何故、分かったのか。それは、此処にいる誰しも疑問に感じていた。

 ルブレアが唱えた《風の防御壁》は、先の戦いにて扱われたものだ。魔法による攻撃に対してはそれなりの耐久力を誇るが、物理攻撃には意味を持たない。


 今のルブレアにとって、最も恐ろしく驚異的なものは、イクスが持つ黒剣ではない。魔法による攻撃である。


 予言の如く先の行動を言い当てるイクスを前に、ルブレアは一歩後退する。その正体を掴む為に、攻撃の手を緩め、身の回りを鉄壁へと変えていく。けれどもイクスは、全く動じる様子がない。それは今現在何らかの魔法を発動している故の自信か否か。


 ルブレアは、このままでは不味いと考え、新たな呪文を唱える。


「更にあなたは、私から距離を獲る為に《頑固な螺旋風》を扱い、上空へと逃げ出します」

「ちっ、《頑固な螺旋風》を発動ッ!!」


 呪文を唱えた瞬間、ルブレアの体が勢いよく真上へと飛び上がる。方向転換をすることは不可能だが、一瞬で距離を取るには好都合な風魔法と言えよう。


 しかしながら、イクスの瞳には文字通り全ての未来が視えている。


「《発条の解放》――今度は逃がしませんよ、間抜けな二枚目魔法使いさん?」


 上唇と下唇を掠らせて、イクスはあの時と同じく追い詰める。

 両足の筋力を爆発的に高めたかと思えば、ルブレア目掛けて地を踏んだ。


「ッ、どうして僕の行動が読め……ッ」


 ルブレアの許へ空を駆けたイクスは、黒剣を一閃する。

 体勢を歪ませることで、どうにか急所を外すことはできた。だが、ルブレアは右腕を斬り落とされてしまい、力なく舞台上へと落ちていく。


「――がはっ、……ぐっ、こんなはずは……いや、有り得ない……ッ、こんなことがあってはならないんだ……ッ」


 溢れんばかりの血痕が、舞台を真っ赤に染めていく。それを見下ろしながら、イクスは重力に従い、着地した。


「おやおや、回復型の魔法は扱えないのですかね? ……って、まさかそんなはずはないですよねえ。何故なら貴方は欠片泥棒なのですから。数多な魔法の欠片を手に入れているはずです」


 さあ、早く腕をくっつけてください。と、無理難題を面白おかしく言い捨てる。

 しかしながら、何も起きない。切り口を手で押さえたまま、呻くばかりだ。


「まさか、本当に覚えていないとか?」

「……僕の負けだ。だから早く、救護班を呼んでくれ……っ」


 耳を澄まさなければ聞こえないほどの声で、ルブレアが呟いた。負けを認めたのだ。


「くくっ、これはまた傑作ですねえ。我が身に不幸が降り掛かることがあるかもしれない、と思ったことは一度もなかったのですか? そう考えてみると、貴方はどれほど自信過剰な魔法使いだったのでしょうかねえ」


 実力で圧倒し、更には口でも貶してみせる。これがメルゼベルクの試練の案内人の務めだ。

 そしてそれは、まだ終わりを迎えない。


「……ルブレア氏、私は非常に残念に思います。貴方は自らの手で逃げ道を失うことになりました。あなたほどの魔法使いが些細な失敗を犯すことになるだなんて、正直申し上げて失望ですよ? この責任、どのようにして取っていただけるのでしょうか?」

「せ、責任と言われてもだね、……ぐっ、見ての通り、僕は既に負けを認めているだろう?」


 息を荒くしながらも、試練を終わらせる為に必死で口を動かす。だが、全てが無駄だ。


「貴方、本当に間抜けな方ですね。メルゼベルクの試練には、降参での勝敗の決し方はございません。負けを認めたいのであれば、場外へと落ちなさい。それが無理なら――……」


 ゆらりと、黒剣を構える。

 黒の粒子が辺りに飛び散り、血と黒が塔内を彩っていく。


「――死ね」


 標的へ向け、腕を伸ばす。

 真っ直ぐに、剣先を胸元へと突き刺した。


「ぐううっ」


 だが、片腕を失くしたとはいえ、ルブレアも二枚目魔法使いとして名が売れているだけのことはある。一瞬の判断で《我が身の変わり身》を作り出し、分身を犠牲にした。


「はあっ、はあっ、……っ、《自己犠牲の風》――ッ!!」


 心臓を一突きにされた分身は粉々に砕け散る。その間に、もう一度距離を取る為に呪文を唱え始めた。負けを認めた後に発動した風魔法の《自己犠牲の風》は、術者が敵と認識した人物を中心に、半径十メートル以上の間合いを強制的に取ることが可能だ。


 ルブレアの身の回りには、風の波が高く舞い上がり、全身を覆うかの如く吹き荒れる。


「ぐあっ」


 風の波にぶつかり、ルブレアは舞台の上から吹き飛ばされた。

 それは、自己犠牲の名に相応しいものだが、今のルブレアには死を免れる為の苦肉の策と言えるだろう。しかし――、


「――それも全て、視えていますよ」

「ッ!? ……な、何故だ、僕の動きが何故……ッ」


 あと少し、ほんの僅かにイクスから距離を取るだけで、ルブレアは場外に落ちることができた。けれどもそれは無駄な足掻きでしかなかったのだ。

 予め、ルブレアの退避手段を理解したイクスは、戦いの最中に呪文を紡いでいた。


「逃げようとしても無駄です。既に《粘着性の活路》を発動していますからね」


 イクスが発動したのは、対象となる人物が距離を取った時、対して同じ距離を同じ速度と同じ時間で詰めることが可能な風魔法だ。その結果、ルブレアがイクスから逃れることはできなくなっていた。


「ルブレア氏、貴方はとても素晴らしい才能を持った魔法使いです。しかし、自身が持つ魔法の欠片の数に、驕りを見せた。……そして何より、貴方の相手が私であったことが、最大の敗因と言えるでしょう」


 残念です、と付け加え、残る腕を掴んだ。


「がっ、……そ、その手を……放してくれ、もう少しで、僕は場外に……ッ」

「その必要はない。お前は此処で死ぬのだからな」


 口調を変えたメルゼベルクの試練の案内人は、死を宣告する。

 それから、一呼吸する間もなく、黒剣が空を薙いだ。


「――かひゅっ」


 恐怖に満ちた二枚目魔法使いの顔が胴体を失くし、舞台上を転がり続け、やがて場外へと落ちてしまう。それを見たイクスは、ぽつりと呟いた。


「よかったな、場外に落ちることができて」


 エドリアードを殺した時と同様に、イクスは黒剣を十字に振り抜く。

 黒の粒子に跳ね返り、ルブレアのものと思われる血痕が、舞台を赤色へと塗り替える。


 先ほどまで、イクスを罵倒し非難の的にしていた淑女達は、二枚目魔法使いの本性を知ると共に、メルゼベルクの試練の案内人に対する態度を一変させていた。


 空間に歪みを生み出し、そこに黒剣を仕舞い込んだ後、イクスは身なりを整える。メルゼベルクの試練の案内人としての役目は、あと一つだけ残っているのだ。


「塔内に集う紳士淑女とは名ばかりの皆様方、今宵のメルゼベルクの試練は如何でしたでしょうか? 今宵の御客様は、残念ながら私の手によって死を貰い受けることになりました。しかしながら、これもまた必然であり、偶然ではありません! 皆様方が今此処にいることが、何よりの真実であり事実、私の剣技と魔法に心を奪われたのではないですか?」


 相も変わらずと言うべきか、軽快な口調で喋り始めたイクスを合図とするかのように、塔内には耳をつんざく歓声と拍手が鳴り響いていた。


「二枚目魔法使いが相手だろうがヒルシュベルク一の魔法使いを目指す無謀で間抜けな青年が立ちはだかろうがヒルシュベルクで最も偉大な魔法使いが小言を呟こうが私には全く関係ありません! この私が戦う姿を瞳に映し込み、皆様方が感じたもの、それこそが、此処に足を運ぶ衝動なのです! それではまた七日後に、お会いいたしましょう。本日は、メルゼベルクの試練に御越しいただきまして、誠にありがとうございました!」


 紳士としての振る舞いを忘れてはならない。

 イクスは、終わりの言葉を観客達に告げた後、一度目と同じように帽子を手に取り、緩やかに御辞儀をしてみせる。これでまた、メルゼベルクの試練は幕を閉じるのだ。


 観客の声に背を向けたまま、イクスは舞台を去る。

 後に残されたのは、二枚目魔法使いの死体と、その胸元から一つ、また一つと排出される魔法の欠片の数々だ。その全てが、アヴェッツェの物となるのだろうか。

 エールは、そんなことを考えながら、ナアと共に席を立つのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る