【第三章】

【1】豚使い

 歓声と罵声が入り乱れた空間に、今宵もメルゼベルクの試練の幕が開く。

 紳士淑女の観客達の胸の中に、名を刻み込ませることができた新たな案内人は、前回と同じ笑みを張り付けたまま、舞台の上へと姿を現した。


「紳士淑女の皆様方、今宵もメルゼベルクの試練へと御越しいただきまして、誠にありがとうございます。さて、前回に引き続き、今宵の案内人を務めさせていただきますは、私、イクス=フラクトゥールとなっております。どいつもこいつも詰まらない顔の奴ばかりではございますが、紳士淑女とは名ばかりの皆様方も、端麗な私の御顔を一日でも早く瞳の中に映し込みたいと御考えだったのではないでしょうか?」


 素の状態を知るエールは、どうにも心が落ち着かない。真逆と言ってもおかしくないほどに、イクスの話し方や態度が異なっているのだから、それも当然と言えるだろう。


「全く、その口調をどうにかしろよ……」


 不安を抱いたまま、エールは舞台上で笑顔を振りまく案内人の姿を見ていた。


「ですがですが私としては非常に残念なことになりますが、美青年と呼ぶに相応しい私に匹敵するほどの二枚目魔法使いが、今宵の御客様として登場いたします! 紳士の方々は淑女の方々の奇声、ではなく悲鳴、……ああ違う、なんだっけ? まあどうでもいいですね、淑女ではなくて豚野郎共と言った方が表現的に合っているのは明らかなのですから、自由に言わせておきましょう。……おっと、そこの豚野郎、物を投げないでくださいね。物を投げても食べ物は与えませんので御注意くださいな。……というわけでございまして、とりあえずは聞くに堪えない呻き声を我慢に我慢を重ねつつ、紳士の方々はメルゼベルクの試練を御覧いただけると光栄です。それでは、そろそろ御紹介いたしましょうか! 今宵の御客様の登場です!」


 ペラペラと舌を動かし、案内人としての任をこなす。

 重厚な扉が左右に開いて、白い煙と共に一人の青年が、ゆっくりと部隊の真ん中へと歩いていく。メルゼベルクの試練の始まりだ。


「今宵の御客様は、今話題の二枚目魔法使い! ルブレア=アイレースト氏です! 皆様方、もしよろしければ私に……ではなく、彼に盛大な拍手をお送りください!」


 女性を虜にするとは、正にルブレアのことを意味するに違いない。

 単に視線がぶつかっただけのことで、塔内に集う淑女とは名ばかりの豚野郎共は、こぞって恋に落ちてしまう。それはまるで恋の魔法に掛かったかのようだが、事実であることに疑いようはない。


「やあ、遂に僕も此処へ来てしまったよ」


 透き通る声を、豚野郎共に向ける。一人、また一人と、感激のあまり崩れ落ちる姿が、エールの視界の端に映り込んだ。


「……あれのどこがいいんだか」


 イクスとは対照的な笑みを振りまく二枚目魔法使いのルブレアは、エールに言わせてみれば、ただの恰好付けのヒョロ男だ。


 ふと、エールは初めてメルゼベルクの試練に来た時、女性を侍らせる男性がいたのを思い出す。今になって思えば、あれはルブレアだったのかもしれない。エールとしては、あまりにも嫌な思い出だったのだろう。すっかりと忘れていた。


 ただ、第一印象では笑顔も口調も何から何まで気持ち悪いの一言で済ますことができるが、魔法の腕前がどれほどのものなのか、しっかりと確かめる必要がある。


「コテンパンにしてやるんだぞ……」


 死なない程度に、と心の中で付け加え、ルブレアからイクスに視線を移す。


 今現在、エールはラルコスフィアの塔の最上階の席に腰掛けている。メルゼベルクの試練の考案者でもあるアヴェッツェが、エールに限定入場券を渡していたのだ。


 宿泊中の宿屋に、ナアが姿を現したかと思えば、腕を引っ張り此処まで連れて来られた。

 元々、今回は見る予定ではなかったが、ナアの強引さに断り切れず、エールは今此処にいる。


「わくわくしてきたのう、エールよ」

「ああ。……まあね」


 エールに話し掛けるのは、ナアだ。紳士淑女に混ざり、隣の席に座っていた。


「おおう、これはこれは実に興味深い御言葉を頂戴いたしました! 遂に此処へ来てしまった、ということはつまり、ルブレア氏は罪人であることを自覚なさっているわけでございますね」


 挑発し、イクスが問う。

 しかしながら、ルブレアも中々の強者だ。そう簡単には言いよどまない。


「ああ、勿論さ。僕は世の女性達の心を鷲掴みにしてしまったのだからね。その罪は死よりも重いことは間違いないさ……」


 片目を閉じ、豚野郎共に向け、賛同を求める。

 即座に歓声が上がった。エールは手で耳を塞ぎ、思い切り眉根を潜める。


「気持ち悪い気持ち悪い……」


 呪文を唱えるように呟き、心の中でイクスに対して愚痴を吐く。

 早く、試練を始めろ、と。


「あー、痛い痛い。豚がぶぅぶぅ泣き叫ぶ声が木霊しておりますね。いやはやしかし随分と豚の扱いに長けていらっしゃるようですが、もしかしてルブレア氏は、魔法使いではなくて、豚使いか何かですかね?」

「きみ、レディーに対して失礼だ。謝りたまえ」

「さあて、無駄話に花を咲かせるのは御終いにいたしましょう。それでは早速、メルゼベルクの試練の説明を口頭で御伝えさせていただきますね」


 舞台上の席へと案内し、イクスは観客席へ向け、咳払いを一つ。


「メルゼベルクの試練では、お客様として招待された方に、三つの試練を受けていただきます。試練の内容に関しましては、その時々の御客様によって変更される仕組みとなっておりますので、一貫性はございません。見事、三つの試練を乗り越えた御客様には、これまでに積み重ねてきた全ての罪を無くすことを御約束いたします」


 ライチェック盗賊団の頭領を相手に話した時と同じく、イクスは淡々と口にする。それがメルゼベルクの試練の案内人の務めだ。


「更には、最終試練として、メルゼベルクの試練の案内人たる私、イクス=フラクトゥールとの決闘を行なうことが可能となっております。その際、お客様が私を打ち負かすことに成功し、更なる試練を乗り越えたあかつきには、メルゼベルクの試練の考案者として名高い魔法使い、アヴェッツェ=エフツェット氏が、これまでに収集した魔法の欠片の中から、望みの物を一つだけ御渡しいたしましょう!」


 ルブレアは、魔法の欠片の書かれた表を見る。一つ一つ名前と効果を確認し、小さく頷く。


「僕は別に、魔法の欠片が欲しくて此処に来たわけじゃないんだ。ヒルシュベルクに存在する全ての女性に、僕という存在を知っていてもらいたいだけなのさ。……でも、どうしてもというのなら、あえて、僕はこの魔法の欠片を選択させてもらうよ」


 回りくどい言い方で、魔法の欠片を一つ、指定する。


「畏まりました。それでは、もし仮に、ルブレア氏が私との決闘に勝利した場合ですが、アヴェッツェ=エフツェット氏が持つ魔法の欠片の中から、《魅惑心》を差し上げましょう!」


 ルブレアが選択したのは《魅惑心》と言う名の魔法の欠片だった。

 これは、対象者の心を魅了し、一時的な支配下に置くことが可能となる。少しでも扱い方を間違えば、大事になるのは間違いない。


「ではでは、今宵もメルゼベルクの試練の開幕でございます! 紳士淑女とは名ばかりの皆様方、御時間の許す限り、存分に御覧になってください!」


 両手を広げ、イクスが拍手を煽ると、その期待に応えるかの如く、塔内には手を叩く音が響き渡る。エールとナアの二人も、イクスに拍手を送った。

 そしてそれが、メルゼベルクの試練の始まりの合図となった。

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