【2】欠片泥棒
「――ッ!?」
二人の耳に届いたのは、女性の悲鳴だ。
料理の跡がこびり付いているのも構わずに、エールは宿屋の外に飛び出す。すると、少し離れた店先に、人だかりができていた。
「どうしたんだっ」
縄で縛られた女性が蹲り、猿轡に苦しみながら、呻き声を上げている。女性の許へと駆け寄ると、エールは猿轡を解こうと試みる。けれども固く結ばれた縄は、そう簡単には外れない。
「聞かずとも理解しろ、間抜け」
そこに、イクスが横から口を挟む。
「ッ、理解できないから教えてくれよ!」
状況を把握する為に、エールはまるで子供のような反抗に出る。
すると、イクスは顎で店内を指し示し、冷静な口調で語り始めた。
「此処は、魔法の欠片の専門店だ。店の中には、仮面を付けた野郎の姿しか見えない」
それが意味するのは、たった一つ。
「……あいつ、欠片泥棒か」
罪人を目前に、エールは怒りをあらわにする。
先日、イクスと共に肩を並べた露店とは比べ物にならないほどに、それは小奇麗なお店だ。
ラルコスフィアの城下町では、知る人ぞ知る品揃えの店であったと、エールは記憶していたが、その店に魔法の欠片を奪う輩が姿を見せたのだ。
この手で欠片泥棒を捕まえる、といった気持ちが、頭を悩ませる前に体を動かしていた。
「止めろ、間抜け」
しかし、それを止める人物が一人。
「何故!」
「よく見ろ、そして気付け」
エールの手を取り、冷静な判断を持て、とイクスは促す。
「これだけの規模の店で、働く奴が一人しかいないのは何故だ」
言われて、エールは足元に転がり呻き続ける女性の姿を瞳に映した。確かに、それはおかしなことだ。しかし何故、一人だけなのか。エールには理解できない。
歯がゆさに眉根を寄せ、隣に立つ人物に正解を求める。
その顔を見て、イクスは視線を移す。
「殺し損ねた店員が、店の外に助けを求めて飛び出した。ただそれだけのことだ」
イクスの言葉通りであれば、他に生存者はいない。
高級感を漂わせる扉の隙間から見えるのは、棚に置かれた魔法の欠片の一つ一つを胸元に翳し、取り込んでいく欠片泥棒の姿だった。その周りには、血の海が広がっているに違いない。
その光景を頭の中で想像し、エールは胸が閊える。
「……そこで待っていろ、すぐに片付く」
人垣を通り抜け、不用心にも店の入口へと歩み寄る。その姿に、エールも思わず足を動かす。
「ぼくも、行く」
声が震える。
それもそのはず、欠片泥棒は他者を殺すことに何の躊躇いも持たない罪人だ。
「死ぬぞ」
「死なない! ぼくはヒルシュベルク一の魔法使いになる男だ!」
だが、それでもエールは譲らない。
イクスの腕を掴み、連れて行け、と目で訴えた。
「……手は絶対に出すな、オレの後ろで見ておけ」
「勿論だ!」
勇敢なのか否か判断し難い返事だが、イクスは笑う。
慎重と言う言葉を用いることなく、真正面から店の中へと入っていく。
「……酷い有様だ」
想像通りと言うべきか、二桁に上るであろう亡骸が、店内に散乱していた。四肢を捥がれ、首を切断されたものも確認できる。エールは目を瞑りたくなった。
「――おや、きみは確か……」
とここで、二人とは異なる声が店内に響く。
欠片泥棒だ。
「メルゼベルクの試練の案内人だったかな?」
店内には、生存者は一名のみ。欠片泥棒は、二人の方へと向き直す。
「気のせいだ、だから死ね」
言うや否や、イクスは唇を掠らせる。
途端に、辺りに漂う死臭を織り交ぜながらも目には見えない武器を作り上げ、一呼吸する間も無く解き放つ。
「へえ、風魔法を扱うのかい?」
けれども、欠片泥棒は笑みを崩さない。
「奇遇だね、僕も風魔法が得意なのさ。ほらっ」
嬉しそうに話し掛けたかと思えば、欠片泥棒は片手を頭上に翳す。すると驚くことに、直径一メートル程度の風の膜が発生し、我が身を守る防御壁となった。
だが、最も驚いたのは、エールだ。
両者共に、一体いつの間に呪文を唱えたのか。目を丸くしている。
「風を自在に操ることができれば、人は当然のことながら、魔族が相手だろうが玩具のように引き千切ることができるからね。ふふふっ」
面白いよね、と言い、欠片泥棒は仮面の下でクスクスと笑いを零す。
「残念だが、風を扱わずとも切り刻むことはできるものでな」
ふう、と息を吐き、イクスは何もない空間に手を伸ばし、勢い任せに引き抜く。
すると、空間に歪みが生み出され、そこから黒剣が姿を現した。
「――ッ、試練の時の……!!」
エールが、またしても驚愕を顔に貼り付ける。
イクスが取り出したのは、メルゼベルクの試練でエドリアードの首を斬り落とした黒剣だ。
黒々と輝く剣には、目を惹き付ける魅力が備わっていた。
「ああ、その剣で盗賊団の頭領を斬り殺したんだよね? 僕も生で見てたさ。あの時のきみは本当にカッコ良かったなあ」
昨夜の出来事を懐かしむかのように、手で顎を触り、瞼を閉じる。戦いの最中だというのに、随分と余裕の態度だ。
それを隙と見たのか、イクスは地を蹴り、間合いを詰める。
「だけど悲しいかな、きみには僕を殺せない」
メルゼベルクの試練において、イクスが協力者を呼び寄せた時と同じく、欠片泥棒は指で音を鳴らす。すると、風の防御壁が勢いを増し、欠片泥棒の体を宙へと持ち上げていく。
「また会おうね、イクス=フラクトゥールくん」
捨て台詞を土産に、欠片泥棒は天井を突き破り、店の外へと逃げ出す。
だが、イクスが黙って見過ごすはずもない。
「ふっ」
再度、上唇と下唇を掠らせる。それだけのことで、イクスの足には力が漲り、通常では有り得ないほどの発条を見せつける。
「遅いな」
片足で勢いをつけ、思い切り飛び上がった。
風の防御壁の跡を突き破り、悠々と逃げ遂せると勘違いした欠片泥棒の背に、黒剣の先を突き刺した。……はずだった。
「――ッ、お前まさか……」
魔法画面に描き出された人物は、魔力の供給が悪くなるに従い、映像の乱れが多々あった。
それと同じ現象が、イクスの目前で起きている。
「案内人ともあろう者が、浅はかだなあ……。気付くのが遅すぎたのさ」
耳に残る声が掠れ、遂には欠片泥棒の姿がゆっくりと掻き消える。イクスとエールが見ていたものは、風魔法で造り出された偽物であった。
事実を知ったイクスは、屋根上を駆け、店先へと飛び降りた。
「……此処にいた奴は、何処に消えた」
猿轡で言葉を話せなくなっていたはずの店員の姿が、何処にも見当たらない。
「きみはバカか!」
とここで、イクスは背に声を掛けられる。
エールが店内から姿を現し、怒りに頬を膨らませていた。
「ぼくをほったらかして空に飛んだと思ったら、今度は空から降ってくるってどういうことだ? ぼくの傍を離れるんじゃない!」
「それはつまり、恐いから一人にするなってことか」
「そうだ! ……あっ、じゃなくてだな!」
この台詞だけを聞いた者は、呆れて物も言えないかもしれない。しかしながら、それは正確ではないことを知っている。命を粗末にする者と比べるならば、エールの言葉には共感すべき点が山ほどある。だからこそ、イクスはエールの同行を許可した。
「素直な奴だ。そういうところは嫌いじゃない」
「うっ、……バカかきみは」
途端に、恥ずかしくなったのか、エールは顔を背ける。
エールの文句に対応したイクスは、辺りを囲む野次馬達に話を聞く。すると、縄で縛られていたはずの女性は、数秒足らずで縄を解き、その場から走り去っていた。
「二人組だったか」
詰まらなそうに呟き、イクスは舌を打つ。
欠片泥棒を取り逃がしたことに、苛立ちを隠さない。
「え、仲間がいたのか?」
エールは、気付いていない。
此処にいる野次馬を含め、イクスの他に真実を知る者は存在しない。
「何故、女が一人だけ助かったと思う」
「運が良かったから?」
「間抜け。あの女が欠片泥棒の仲間だからだ」
明快に、カラクリを口にする。
面眼綱計画を練り、用意周到な欠片泥棒の二人組にしてやられたことを説明するのは、イクスとしては面倒でしかない。それでもエールには教えておくことにしたのだ。
「女が店外に出て来れば、野次馬共は気を取られる。同時に、中に潜む奴がどれほど恐ろしいか、脳裏に刷り込むことが可能だ。その間に、仮面を付けた方は悠々と魔法の欠片を盗むことができるわけだ」
理解出来たか、とイクスは視線を移す。
「ああ、よく分かったよ」
話を聞き終え、エールはうんうんと頷く。しかし、イクスは一つだけ不可解な点を感じていた。それは、欠片泥棒が偽物であったことだ。
「奴は、どうやって魔法の欠片を取り込んだのか……」
風属性や土属性の魔法を扱うことができれば、自身に似せた人形を作り上げることは不可能ではない。だが、欠片泥棒は偽物でありながらも魔法の欠片を体内に取り込んだ。果たして本当にそんなことが可能なのか。
「……仕方ない、あいつに聞くか」
ぼそりと呟く。
喧騒から抜け出し、イクスは歩き始めた。その背を追いかけるのは、エールだ。
「何処に行くんだ」
イクスが何処に向かうのか、気になったのだろう。
返事をするまで、エールはいつまでもついて回るつもりだった。
「アヴェッツェに会う」
小さな息を吐き、イクスは足を止めずに答えた。
「あっ、アヴェッツェだって? あのっ、ヒルシュベルクの英雄にっ!?」
その名を耳にして、エールは目を丸くする。
まさか、アヴェッツェと直に会うことができるとは、思ってもみなかったのだ。
「……す、凄いぞ。アヴェッツェに会えるだなんて、……うううっ、凄く楽しみだ!」
「聞きたいんだが、お前が付録としてついてくるのは確定事項なのか」
「え、なに? 聞こえないけど」
随分と白々しい態度を取り、エールは肩を竦める。
その表情に、イクスは呆れ顔だ。
「一つだけ忠告しておく」
だが、すぐに切り替えて、エールの目を見た。
「アヴェッツェには、決して触れるな」
「……? あ、ああ」
決して、アヴェッツェに触れてはならない。
その意味が、エールにはまだ理解できていなかった。
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