【8】宿代

 メルゼベルクの試練の閉幕後、エールはラルコスフィアの城下町の外れにひっそりと建てられた宿屋に立ち寄り、大広間で夕食を取ろうとしていた。

 しかしながら、料理に手を付ける直前に、向かいの席に見知った顔の男性が腰を下ろす。


 それが、再戦の合図であった。


「……どうして、きみが此処にいるんだ」


 不満げな表情を浮かべ、エールが呟く。

 理由は明確で、目の前に存在していた。


「それはオレの台詞だ、貧乏な魔法使い」


 エールの問いに声を上げるのは、メルゼベルクの試練の案内人、イクスその人だ。

 偶然なことに、イクスは、この宿屋に寝泊まりしていた。


「その呼び方、止めてくれないか」

「失礼、貧乏ではなく超貧乏な魔法使いの間違いか?」


 減らず口を叩く奴だ、とエールは眉を寄せる。

 今にも殴り合いの喧嘩に発展しそうな雰囲気だが、一方のイクスは気にも留めていない。


「……よく考えてみれば、一日に二度も顔を合わせることになるだなんて、偶然にしてはできすぎだね。もしかしてきみ、ぼくの後をつけてきたんじゃないか?」


 このまま引き下がるわけにはいかず、嫌味の言い合いを受けて立つ。

 とはいえ、今回ばかりは相手が悪かった。


「自意識過剰な魔法使いだな。……ああ、そういうことか。お前は男に言い寄られて喜ぶ同性愛者だな」

「そっ、そんなことあるものか!」


 ドンッ、とテーブルを叩き、エールが席を立つ。


「それは残念だ、オレはイケる口なんだがな」

「な、……なっ!?」


 イクスの発言に、エールが目を丸くする。しかし驚くのはまだ早い。

 ニヤリと笑うイクスは、エールの手を取り、甲に口づけをする。


「なななっ、何をしているんだっ、きみは!!」

「何って、キスをしただけだ。見れば分かるだろう」

「し、しただけ……って」

「落ち着け、顔が真っ赤だぞ」

「ッッッ!!」


 手の甲とはいえ、男にキスをされて顔を赤くするなど、自分は気でも狂ってしまったのだろうかと混乱する。

 だが、この姿を見たくてやったに違いないと結論付け、エールはイクスを睨み付ける。


「きみは最低の男だな!」

「少し黙れ、飯が不味くなる」

「き、きみの口が、それを言うのか?」


 大広間にいるのは、エールとイクスの二人だけではない。泊り客は他にもいる。

 その指摘に、エールは肩を震わせ、拳を握り締める。

 が、イクスは当然だと言わんばかりに頷いた。


「だから座れ、それとも立ったまま食べる癖でもあるのか」


 メルゼベルクの試練の時と同じように、上から目線で促す。


 そのあからさまな態度が、エールは気に喰わない。どうにかして、目の前の男を痛い目に遭わせてやりたい。そんなことを考え始めるエールだが、残念ながら名案は思い浮かばない。


「くっ、この仕打ち……絶対に忘れないからな」

「オレのキスを一生忘れないと宣言するとは恐れ入る」

「ッ!! 何度も何度も……」


 周囲の目が二人に向けられていることに気付いたエールは、渋々と言った様子で席に着いた。


 頭の中にモヤモヤとした感情が溜め込まれたまま、箸を掴んで料理を口の中へと放り込んでいく。けれども、イクスの舌は止まらない。


「豪快な食べっぷりだ。……ところでお前、飯代は持っているのか」


 真面目な顔付きで、失礼な台詞を口にする。

 それがまたエールの額に四つ角を生み出す結果となった。


「きみは、何から何まで文句を付けないと我慢できない性格の持ち主なのか? それとも、食事代を持ってなかったらきみが払ってくれるとでも言うのか?」


 怒りに任せてテーブルを引っくり返そうかと思ったが、料理に罪はない。一つ残らず食べ尽くしてしまうのが礼儀だ。エールは、グッと堪えた。


「なんだ、限定入場券だけでは満足できなかったか」

「ああそうだなっ、売ればよかったよ!」


 ロワンナから婚約を破棄された時でさえも我慢したエールだが、堪らず大きな声を出す。

 そして、これ以上聞く耳は持たないことを印象付けるかのように、黙々と料理に手を付け始める。


 その姿を瞳に映し込み、イクスは苦笑した。


「この世には、偶然なんてものは存在しない。確かな存在として認識されているものは、どれもこれも全てが必然だ」


 耳に痛くない言葉を、イクスが呟く。

 たったそれだけのことで、エールは胸を撫で下ろした。


「……それはつまり、きみとぼくが出会ったことも運命だって言いたいのかい」

「解釈すれば、そうなるな」


 偶然に立ち寄ったはずの店先で、エールとイクスは隣同士に立っていた。更には偶然が偶然を呼び、エールはメルゼベルクの試練の限定入場券を手にした。


 その全てが、イクスの考えでは必然となる。


「随分と都合のいい性格だね」


 溜息混じりの声を上げ、皿の上に盛り付けられた野菜を箸で掴み取り、口に頬張る。

 今日一日を締め括る料理に感謝し、エールは存分に味わい、食べ続ける。


「お前、此処に泊まっているのか」


 美味しそうに食べるエールの姿を見て、イクスも料理へと手を付け始めた。同時に、ふと疑問に感じたことを訊ねる。


「此処にいるんだから当然だろう」


 食事だけを求めて、足を踏み入れる客人も、中にはいる。

 だが、料理屋を選択せずに、わざわざ宿屋の大広間で腹を満たす思考の持ち主は、それほど多くはないはずだ。食事のついでに、泊まっていくのが自然だ。


「泊まる金は……」

「この宿屋が前払い制だってことぐらい、憶えておきなよ」


 言い切る前に、エールは口を挟んで応戦する。小馬鹿にするような口調ではなくなったので、嫌味に聞こえないのが小さな救いであった。

 それでもエールは肩を落とすのだが、イクスには全く効果がない。


「ひと月分をまとめて支払ったものでな、初耳だ」


 貧乏な魔法使いとは対照的に、紳士的な恰好で上下を揃えた金持ちな魔法使いは、支払い方に関しても太っ腹であった。

 しかしそれも、仕方のないことだ。


 エールの前で食事にありつく青年は、メルゼベルクの試練の案内人を務め挙げるほどの人物だ。七日毎に試練が開催され、その度に、イクスは莫大な報酬を得ることとなる。


「まあ、……命を懸けて戦うのだから、ぼくには文句を言う権利はないか」


 メルゼベルクの試練は、罪人が三つの試練を乗り越えると、アヴェッツェ=エフツェットが所有する魔法の欠片の中から、好きな物を一つ手に入れる為、案内人と戦うことができる。


 勝敗の付け方は、対戦相手を場外に落とすか、または死か。


 それはつまり、メルゼベルクの試練の案内人を務めるイクスは、常に死と隣り合わせの戦いを強いられていることになる。

 生死を懸けて戦い合うのだから、それに見合った報酬を得るのは、当然なのかもしれない。と、エールは一人で納得しつつあった。だが、


「それは確かに正しいが、正解ではないな」


 イクスは否定する。エールの考えを認めない。

 箸の先を止めると、イクスは目を瞑った。


「舞台上で言った台詞を忘れたか? オレには、罪人の未来が視えているとな」

「未来が……」


 確かに、言っていた。それはエールの頭の中にしっかりと記憶されている。

 しかしながら、あの台詞は相手を挑発する為に呟いたものだと思っていた。


「メルゼベルクの試練は、初めから仕組まれた遊びだ。アヴェッツェとオレが手を組む限り、罪人が勝つ見込みはゼロに等しい」


 偉大なる魔法使い、アヴェッツェ=エフツェット、彼はメルゼベルクと言う名の魔族の王の首を獲り、ヒルシュベルクに平和を齎した英雄として、名を轟かせている。

 メルゼベルクの試練の考案者であるが故に、イクスは面識があった。


「それ、どういう意味だい?」


 だが、エールにはイクスの言葉の意味が理解できない。


 勿論、それはエールだけのことではなく、真実を知らない人々が疑問を持つのは至極当然のことだ。けれども、真実を知る権利を持つ者は、ほんの一握りに限られている。


「オレは、お前が持つ魔法の欠片の効果を知らない。それと同じことだ」


 他者が持つ魔法の欠片の効果を知る者は多くない。手の内を晒した場合、自身の首を絞めかねないので、魔法使いであれば百も承知だ。


「きみとアヴェッツェが持つ魔法の欠片は、対戦相手には知ることができない、だから勝つことができるって言いたいのかい? でもそれは相手にも同じことが言えると思うけどな」

「まあ、何れ気付く奴も出てくるだろう。……ただ、それでもオレに勝つことはできないが」


 くっくと喉を鳴らし、イクスは料理を食べ尽くす。先に箸を付けたのはエールだが、あっという間に追い抜かれていた。


「あ、……ちょっと」


 世間話は終わったと言いたいのか、イクスは席を立つ。

 その様子に、エールは慌てて口を開く。


「なんだ、まだ何か聞きたいことがあるのか」


 食器を手に振り向き、イクスは視線をぶつける。


「限定入場券なら、あれが最初で最後の一枚だ。次は自分の金で買え」

「うぐっ、うるさいな。そうじゃなくて、その、……えっとだな」


 エールは、一瞬だけ目を逸らし、言うか悩んだ。

 だが、やはり聞いておきたかったのか、モゴモゴと口を動かす。


「きみはどうして……あんな風に人をいたぶることができるんだ」


 それは、メルゼベルクの試練に登場した罪人を指している。たとえそれが生死を懸けた戦いであるとしても、場外に落とすだけで勝敗が決するのも事実だ。

 それなのに、メルゼベルクの試練の案内人は、罪人の未来を摘み取った。


「……正気か?」


 当然のことながら、イクスの反応は苦いものとなる。


「あの男は、死に等しい恐怖を脳裏に刻み込まれた上で死ななければならない。奴が犯した罪は、死を持ってしか償うことはできないのだからな」

「でも、それを決めるのはきみの役目じゃないはずだ」

「ああ、その通りだ。オレは目の前に差し出された獲物を確実に仕留めろと命令されているだけの存在であって、メルゼベルクの試練に組み込まれた歯車の一つでしかない」


 だとすれば何故、言われるがままに殺すのか。

 エールは、イクスの目を見る。すると、イクスは深い溜息を吐いた。


「……奴には、誰も逆らうことはできない。たとえオレが奴の未来を視ることができたとしても、奴はそれでさえも乗り越えるだけの力を持ち合わせているからな」


 奴とは、アヴェッツェのことだ。それはエールにも気付くことができた。


 メルゼベルクの試練の案内人を務めるほどの腕を持つイクスだが、それでも逆らうことを許されない相手といえば、アヴェッツェを除いて存在しない。

 相手が強大であればあるほど、屈服せざるを得ないのだ。


「……ぼくは認めたくない。別の方法で罪を償わせることもできるはずだ」


 たとえそうだとしても、エールは自身の持つ考えを曲げることはしない。

 それが正しいと疑わないのだ。


「たとえば、封印術で罪人が持つ魔法を扱えなくするとか……」


 思考を巡らせ、エールは改善点を提案する。


 封印術とは、対象となる人物が持つ魔法の欠片の効果を封印する魔法のことだ。

 封印術によって封印された魔法の欠片は、封印術を解かない限り、扱うことができなくなる。


 だが、イクスはそれも不可能だと言う。


「無知な奴め。封印術を扱う魔法使いは、この世界に現存する者の中でも、片手の指で数えるほどにしか存在しない。メルゼベルクの試練の考案者でさえ、封印術を扱う魔法の欠片は持たないからな。そんな魔法を、一体誰が扱えるんだ?」

「皆で探せばきっと……」

「だからそれが無理だと言っているんだ」


 強い口調で、イクスは言葉を制す。


「お前は、封印術のように希少な魔法の欠片の所持者が、そう易々と見つかるとでも思っているのか? 手の内を明かしたら最後、自身が持つ魔法の欠片を奪い取られてしまうまで、そいつには安息と言う名の日々が訪れることはないんだ」


 イクスの言い分は、正しい。

 更に言えば、封印術を持つ魔法使いを見つけ出すまで、罪人が黙って待つわけではない。


 その間に、数え切れないほどの人々が犠牲となるだろう。それを多少なりとも防ぐ意味を込めて、また犯罪防止の一環を担っているのが、メルゼベルクの試練なのだ。


 もはや、止める意味など一つもない。


「付け加えて言うが、たとえ封印術で罪人が持つ魔法の欠片を封印することができたとしても、全てが解決するわけではないからな。現に、今宵の試練で手を下した罪人は、ククリナイフの使い手として頭角を現していた。奴は、魔法に頼る必要など初めから無かったんだ」


 魔法の欠片の力に溺れる者は、多々存在する。エドリアードも、その中の一人だ。

 ククリナイフの扱い方に関して言えば、上位の腕を持っていた。


「……つまりは、罪人を止めるには殺す他に方法はないわけだ。空っぽの頭を巡らせても理解できない貧乏な魔法使いには、何を言っても無駄かもしれないがな」

「び、貧乏なのにはわけがあるんだよ、この成金魔法使い!」


 ぐぬぬ、と歯を食いしばり、エールはイクスを睨み付けた。

 だが、それもイクスにとって何の意味もない反抗であった。


「罪人の未来に不安を覚える前に、お前は明日の宿代の心配でもしておけ」


 その言葉で締め括り、今宵の催し物は幕を下ろす。

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