【6】昔話

「昔々、エドリアード氏が率いるライチェック盗賊団によって壊滅へと追い込まれたサトエナ村には、とある少女が住んでおりました。その少女は、ライチェック盗賊団の中で最も恐るべき存在、つまりはエドリアード氏、貴方が放つ炎の矢に身を焦がし、この世を去りました」


 一見脈絡のない事柄のようにも思えるが、メルゼベルクの試練において、それはまず有り得ない。全ての試練が、招待された罪人に関連している。


「さてさて、それでは第三の試練の内容をお伝えいたします。先ほど、第一の試練で貴方が射抜いたイリーナちゃんの張子ですが……実はこれ、今の話に出てくる女の子を模しているのです。……お気付きですか?」


 どくんっ、と心臓が脈を打つ。

 エドリアードは息を呑み、視線をずらした。


「……知らねえな、俺様は今までに数え切れねえほどの人間を殺してきたんだ。一人一人の顔を憶えているわけがねえ」


 心拍数が上がる。

 エドリアードの目が泳ぐ。


 メルゼベルクの試練の案内人に抜擢されたということは、奴も魔法使いの端くれだ、と。

 心の中を見透かされてはいないだろうか、と。エドリアードは、心中穏やかではなかった。


「へえー、知らない? そっかそっかー、……あれ、でもおかしいですねー、こちらの資料によりますと、エドリアード氏がイリーナちゃんのことを知らないはずがないんですがねー」


 意味深な発言を前に、エドリアードは唾を呑み込んだ。


「紳士淑女の皆様方が一目見て納得できるほどに、私はちゃらんぽらんな性格をしておりますが、こう見えても私、貴方の未来が視えるんです」


 何を言い出すかと思えば、他者の未来を視通すことが可能だ、とのたまった。


 過去に案内人を務めた魔法使いの中には、おかしな性格の持ち主も存在したが、まさか未来を視通せるだなんて、誰一人言い出すことはなかった。


 だからこそ、塔内を包む空気の流れに変化を齎す。


 早く、奴が戦う姿を見てみたい。

 新しい案内人は、どんな魔法を扱うのだろうか、と。


「私の瞳には、貴方の未来が視えています。そしてそれは、貴方が私と共に一対一の戦いを繰り広げ、死するものです。ということはつまりですよ、貴方は第三の試練を乗り越えることに成功しているはずなのです! それでも白を切ると言うのであれば、仕方がありませんね。一つか二つほど、解決の糸口となる情報を差し上げましょう!」


 むしろ、口を滑らせてほしいと言いたげな表情であった。


 自らの首を絞める前に、ただの一言、知っていると言えばいい。それだけの話なのだが、エドリアードにはそれができなかった。ちっぽけな自尊心が邪魔をしているのだ。


「サトエナ村がライチェック盗賊団に襲撃された時、イリーナちゃんを除く全ての村人が惨殺されました。そして、ただ一人生き残ったイリーナちゃんは、ライチェック盗賊団の頭領である貴方の脅しに屈し、犯され続けたのです」

「でたらめだ! 何を根拠に言いやがる! てめえっ、その場にいたとでも抜かすかっ!?」


 大声を上げ、エドリアードはイクスに殺気をぶつける。

 だが、くつくつと笑うイクスは、一切の恐れを見せようとしない。


「更に驚くべきは、サトエナ村が貴方の故郷であるということです! 幼い頃に恋心を抱いた女性にはこっ酷い仕打ちを受け、振られてしまいましたよね。しかし貴方は諦めない! いつか必ず仕返しをしてやろう、と心に決めていたのです! まさかそれが二十年も先の話になるとは、さすがに誰も予想はしていませんでしたがね」


 何故、イクスは知っているのか。

 まるで、イクス自身がエドリアード本人であるかのように、過去を語り続けている。


 けれどもそれは、メルゼベルクの試練では当たり前のことであり、大した問題ではない。これまでに案内人を務めてきた魔法使いは、揃いも揃って罪人の心を見透かしていたのだから、何もイクスだけが特別なわけではない。


 しかし、だとしても、イクスは知り過ぎている。


「エドリアード氏、貴方の誇りを掻き乱した女性は、二十年の後に、幼なじみの男性と将来を誓い合い、二人の間には可愛らしい女の子が生まれました。……それが、イリーナちゃんです」


 異様な雰囲気に包まれた塔内に、エドリアードの怒りが浸透する。

 真実を明らかに、息の荒さが目に見えて高まっていた。


「貴方を馬鹿にした女性に、復讐を果たすこと。その為だけに、何の罪もないイリーナちゃんを辱め、更には命までも奪い取ってしまいました。……正直言って、反吐が出ます。今すぐにでも死んで詫びていただきたいものですよ。しかしながら今はメルゼベルクの試練の真っ最中ですので、死んでいただくのは、もう少し後にいたしましょう」


 満面に笑みを咲かせたまま、死を語る。それが、イクスの恐ろしいところだ。

 素の表情を欠片も見せることなく、案内人としての任をこなしていく。


「さあ、そろそろ本題に入りましょうか! 第三の試練では、イリーナちゃんの真名をお答えいただきます! 簡単でしょう? たったそれだけのことで試練を乗り越えることができるのですからね!」


 塔内には、あの日の出来事を知る者はいない。殺し損ねた村人はいないはずだった。

 それなのに何故、イクスは真実を知っているのか。


「更なる試練で……てめえを、ぶっ殺す……ッ」

「構いませんよ、どうせ不可能ですけどね」


 肩を竦め、どうでもいいから早く答えを言え、と顎で指図する。その仕草がまたエドリアードの機嫌を損ね、殺しの決意を固める。


「イリーナ=ランドオルス、……それが答えだ」

「正解ッ!!」


 言うや否や、振り切らんばかりに両手を広げ、三つ目の試練を乗り越えた罪人に向け、敬意の念を示す。勿論、それも形だけのことではあるが、そんなことは誰もが百も承知だ。


 塔内に集う紳士淑女とは名ばかりの観客達は、次なる余興を今か今かと待ち侘びていた。


「今回の御客様、エドリアード氏は、見事に三つの試練を耐え抜きました!」


 盛大な拍手をお願いいたします、と付け加え、イクスは大げさな態度で手を叩く。


 すると、連動するかのように、拍手の音が響き渡っていく。塔内は、既におかしな空間へと変化している。いつまでも此処に居座れば、エール自身も狂気的になってしまうことだろう。


 そっと、エールは席を立つ。生で見るには堪えない催しに、目を向けるつもりはなかった。

 今からでも遅くはない。塔の外に出てしまおう。そう思ったのだが、


「――御客様、席を立つのは御遠慮ください」


 イクスの声が、視線が、意識が、その全てが、エールへと向けられた。


「ッ、……ど、どうして……」


 あれほどまでに賑わっていたはずの塔内が、たった一つの台詞によって、静寂と化す。


 これが、メルゼベルクの試練の案内人たるイクスが持つ影響力だ。塔内の雰囲気を一色に纏め上げるのは、紛れも無くイクス本人なのだ。


「くくっ、ほら早く座りたまえよ、案内人が困っているだろう?」


 女性を侍らせていた魔法使いが、横から口を出す。

 同時に、一体誰が水を差す行為に興じたのかと、無数の目がエールの姿を映し出していく。


「あ、……ッ」


 あまりの恥ずかしさに耐え兼ね、エールはすぐに腰を下ろす。

 すると、舞台の上に立つイクスの目が幾分か柔らかくなった。


「……それでいい。最後まで見続けるんだな」


 ただの偶然によって出会った貧乏な魔法使いに、少しだけ唇を震わせ、言葉を送る。


 しかしながら、イクスは偶然など存在しないことを確信している。二人が出会ったことは必然であり、運命でもある。今後、何が起ころうとも不思議ではない。


 それが、イクスの考えだ。


「興が削がれてしまいそうでしたが、私が持ち得る笑顔と言う名の伝説の武器を思う存分に発揮したことで、席を立とうと試みた方は、どうやら考え直していただけたようです。……ああ、生まれながらに手に入れた私の微笑みに身悶えし、大感謝を捧げておくことにいたしましょう。……というわけでございまして、エドリアード氏はメルゼベルクの試練を全て乗り越えることができました! これにより、これまでに積み重ねてきた全ての罪を問わないことを御約束いたします!」


 軽やかな足取りで、エドリアードを中心に駆け回る。鬱陶しいことこの上ないが、それも僅かな辛抱であった。


 これから先、いけ好かない案内人を火達磨にすることができるのだから、耐え抜いてみせよう、と。エドリアードは口の端を醜く歪め、獲物を視界に捉えていた。


「さて、それでは最後になりますが、メルゼベルクの試練が誇る最終試練への挑戦を求むか否か、お尋ねいたしましょう! エドリアード氏、貴方は最終試練において、私ことイクス=フラクトゥールを相手取り、一対一で戦う度胸がございますか?」

「当然だ。今の俺様はてめえを殺すことだけが生きがいなんだからな!」


 敵意を剥き出しに、エドリアードは息巻く。

 ライチェック盗賊団の棲家と仲間達を失い、もはやエドリアードには戦いの舞台に上がる他に選択肢は残されてはいなかった。


 勿論、エドリアード自身も、それを望んでいる。


「畏まりました。それでは、決闘の準備をさせていただきますね」


 三つの試練を乗り越えた罪人は、更なる試練へと駒を進めた。それがメルゼベルクの試練による巧妙な罠であることに、エドリアードは全く気付いていない。


 協力者が舞台上を片づけ、やがて支度が整った。


「さあ、最終試練の内容は単純明快ッ、御客様と案内人が一対一で決闘を行ない、場外に相手を落とすか、それとも死を与えることができるか否か、その二つが勝敗を別ける為の手段でございます! 落ちるか、それとも死か、貴方に残された道は二つに一つと言うわけですね」

「それは俺様の台詞だ。案内人になったことを、死を持って後悔させてやるぜ!」


 これまでに行われてきた最終試練では、生死を懸けた戦いを前に、メルゼベルクの試練の案内人を務める魔法使いでさえも、慎重に成らざるを得なかった。


 だが、今回の案内人は一味違う。

 明らかに緩んだ態度で、エドリアードの殺気を迎える。


「紳士淑女の皆様方をお待たせするのは、私の美学に反します。それでは、サクサクと始めましょうか」


 メルゼベルクの試練を始めた時と同じように、イクスは左手の指で音を鳴らす。

 大きな鐘の前に協力者が歩み寄り、両手で持った棍棒を力いっぱい振り当てる。


「公開処刑の始まり始まり」


 耳を劈く鐘の音が塔内に鳴り響くのを合図に、最終試練が幕を開ける。

 同時に、イクスはぼそりと呟いた。

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