【3】メルゼベルクの試練
魔法使いが存在する世界には、異形の者が存在する。
人々は、異形の者を魔族と呼び、長きに亘り戦い続けてきた。
かつて、ヒルシュベルクを我が物とし、人々を支配した魔族の中には、魔族の王として君臨する者がいた。
その名を【メルゼベルク】と言い、人々は畏怖の念を持ち恐れ、彼が死した後も決して忘れることがないように、【メルゼベルクの試練】と言う名の催し物を作り上げた。
ヒルシュベルクの中枢街として発展を遂げた【ラルコスフィア】には、螺旋状の塔が建っている。この螺旋の塔を舞台に、メルゼベルクの試練は七日毎に開催し、盛況を得ていた。
舞台間近に設置された座席には、紳士淑女と認められた人々、いわゆる金持ちな層が肩を並べる。そこから離れていくと、客層にも変化が見られるのが特徴的であった。
だが、エールが貰った限定入場券は、その何れにも当て嵌まることはない。
「メルゼベルクの試練へようこそじゃ」
塔の入口には、小さな男の子が立っていた。
入場者の手から券を受け取り、「入るのじゃ入るのじゃ」と連呼する。
「はい、これ」
「うぬあっ」
他の入場者達に習い、エールは限定入場券を子供に見せる。すると、
「お主、盗んだのか?」
訝しげな目で、男の子がエールの成りを見た。
「違う、貰ったものだよ」
貧乏な魔法使いに相応しい恰好をしているので、エールは怪しまれてしまったのだ。
しかし、エールの言葉に男の子は顔を明るくし、うんうんと頷く。
「ふぬ、と言うことはイクスじゃな? お主も運がいいのう」
この子は、イクスの名を知っている。
どのような繋がりがあるのかは定かではないが、やはりイクスはメルゼベルクの試練の協力者なのだろう、とエールは考えた。
「お主、名前はなんと言うんじゃ」
「エール=ウムラウトだ。きみは?」
「わしは、ナア=ナイデンじゃ」
ほれ、握手。と言って、ナアはエールの手を掴み、ニコリと笑ってみせる。
年相応のあどけない表情に、エールも頬を緩めた。
「メルゼベルクの試練は、客席に被害が及ぶことも多々あるからの、気を付けるんじゃ」
「ありがとう、ナア」
忠告を受け、エールは塔の内部へと入る。
限定入場券に記された座席表を辿り、上へ上へと階段を進んでいく。
「しんどい……」
どこまで上ればいいのか。座席表は、更に上を記している。
気付けば、最上階へと着いていた。
「おや、汚らしい」
とここで、何者かが呟く。
声のした方を振り向くと、整った顔立ちの男性が、数人の女性を侍らせながら、エールへと視線を向けていた。
「きみ、来る場所を間違えたのでは? 此処に足を踏み入れることができるのは、選ばれし者だけなんだがね」
むっ、と表情を曇らせ、エールは限定入場券を見せる。
すると、男性は驚いた顔で唸った。
「これは失敬、全財産と引き換えに手に入れたんだね」
笑いを堪えながら、男性は席に着く。
その背に魔法をぶちかましたい衝動に駆られるエールだが、高ぶる気持ちを強引に抑え込み、自分の席へと着いた。
「あいつ、何者なんだ……?」
肩身が狭そうに、辺りをきょろきょろと見回す。エールの周囲には、中途半端な成金とは異なる、大物と呼ぶに相応しい魔法使いの顔触れが並んでいる。
エールは、明らかに場違いな席に着いてしまったことを後悔し、内心では優越感にも似たものを感じ取っていた。
他者の手を借りることで、エールは今この場所に座ることができたが、いつかきっと、此処にいるに相応しい魔法使いになろう、と淡い夢を抱き始めている。
けれども、エールの思考は一瞬にして停止することになった。
「あ、始まった……」
胸の鼓動がゆっくりと波打ち、四方から証明を取り込む舞台上に、紳士たる衣装に身を任せた人物が照らし出される。
エールは、その人物の名を知っている。
「――紳士淑女の皆様方、今宵もメルゼベルクの試練へと御越しいただきまして、誠にありがとうございます。今宵の案内人を務めさせていただきますは私、イクス=フラクトゥールとなっております」
瞬きを忘れてしまうほど、エールは目を見開いた。
何故、彼が舞台の上に立っているのか。
全くもって理解ができず、エールの思考は停止状態だ。
「えっ、お前は誰ですって? ……く、くくっ、そうですよねえ、確かに皆様方が御考えの通り、疑問を抱いたとしても、これっぽっちも不思議ではございません。前回までにメルゼベルクの試練の案内人を務めておりました、ユベイン=イルギレイ氏とは、姿形は当然ながら、顔立ちや性格、扱う魔法の種類まで異なっているのですから、思考回路がこんがらがりつつあったとしても、一切の問題もございません。しかしながらそれでは名の前に『間抜けでバカな』と付け加えなくてはならない紳士淑女とは名ばかりの皆様方が十二分に満足していただくことは恐らく不可能ではないかと肌で感じ取った次第でございます。故に、ただ一つの真実を皆様方に御話しておくことにいたしましょう!」
あれは、露店の前で言葉を交わしたイクス=フラクトゥールと同一人物なのだろうか。
流暢な語り口に、エールは目を疑った。
「メルゼベルクの試練の案内人として、ヒルシュベルクに存在する全ての人々に、その名を轟かせたと言っても過言ではない人物――ユベイン=イルギレイ氏は、前回のメルゼベルクの試練において、初の敗北を喫しました。それが何を意味するか、名の前に『間抜けでバカな』と付けることを強制された紳士淑女の皆様方でも、語らずともお分かりになるでしょう」
敗者は、舞台の上から姿を消す。
たとえそれが案内人であろうとも、例外はない。
「しかしながら御安心ください! 今宵のメルゼベルクの試練では、前任者に代わり、私こと、イクス=フラクトゥールが新たな案内人を仕えることとなりました! それはつまり、今後一切交代劇を見ることが適わないということです! ……えっ、お前の負ける姿が見たいですって? てめえの話なんて誰も聞いちゃいないから、とっとと始めやがれ糞野郎? ええ、勿論ですとも。それがメルゼベルクの試練の案内人を務めます、私(わたくし)に与えられた唯一の使命なのですからねえ。だから黙って見やがれ糞野郎どもですね!」
満面の笑みを絶やすことなく、随所に棘を含んだ言葉を仕込ませていく。これこそが、メルゼベルクの試練の醍醐味の一つとして挙げられる。
塔内に足を運ぶ人々とは、決して対等な立場ではないことを認識させるかの如く、自由奔放な振る舞いを許される。それがメルゼベルクの試練の案内人であった。
「さあて、それではそろそろ御時間ですので、メルゼベルクの試練を始めることにいたしますか! 今宵の御客様も舞台裏で待ちくたびれて大きな欠伸を連発しているに違いありませんからね。勿論、紳士淑女の皆様方も同じ気持ちでしょう」
紳士淑女ばかりとは到底思えないほどの、汚らしい野次や罵声が、そこかしこで飛び交う。
塔内の興奮は、もはや止めることはできない。
それが開始の合図となったのか、舞台上で悪戯な笑みを浮かべたイクスは、呼吸を整えるかのように息を吐く。そして、
「ではでは、今宵の御客様に登場していただきましょう!」
両手を大きく広げ、喉から声を張り上げる。
その瞬間、舞台奥の扉の前へと照明が移される。
「今宵の御客様は、ライチェック盗賊団の頭領、エドリアード=ライチェック氏でございます! 紳士淑女とは名ばかりの皆様方、エドリアード氏に盛大な罵声、もとい拍手をお与えくださいませ!」
その言葉を耳にし、エールは二度、三度と、左右の手の平をぶつけ合う。
塔内では、罵声と共に大きな拍手や、口笛に鳴物の音が鼓膜を震わせていたが、此処にいる人々の中には、誰一人として手を叩く者がいないことに気が付く。
恥ずかしさに頬を染め、エールは身を縮ませた。
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