【2】魔法の欠片

 魔法と魔物が存在する世界――【ヒルシュベルク】。

 この世界に生きる全ての人間は【魔法の欠片】と呼ばれる不思議な欠片を手にすることで、その欠片に応じた魔法を扱うことが可能となる。


 魔法の欠片を手にした者は冒険者として活躍することは勿論、名声を得ることも不可能ではない。

 それ故、誰もが魔法の欠片を求め、奪い合う。


 そしてエールもまた、その中の一人になろうとしていた。


『――もう一度、ぼくは這い上がってみせる。そしてぼくとの婚約を破棄したこと、後悔させてあげるよ』


 と、ロワンナに宣言してから、早半月。


「……高すぎる」


 ぼそりと、エールが溜息混じりの声を上げる。

 魔法の欠片を販売する露店の前で、ブツブツと独り言を呟き、眉根を寄せていた。


 赤緑に染まった古臭いローブを身にまとい、全身を覆い隠す装いは、典型的な魔法使いの恰好を真似ている。


 但し、「貧乏な」と付け加えることを忘れてはならない。

 爵位を剥奪され、財産の全てを没収されたあと、エールの手元には服の他に何も残らなかったのだ。


「ねえ、おじさん。こんなに高かったら一つも売れないよね? ぼくからの提案なんだけど、桁を二つ少なくしてみたらどうかな」


 エールが大雑把な値引き交渉を始めると、店主は苦笑いしながら肩を竦める。


「小僧、無茶を言っちゃいけねえぜ。魔法使いになりたい人間なら、欠片の価値を知らねえわけでもあるまい。だから悪いが応じることは出来ねえな」

「分かってる。試しに言ってみただけだよ」


 あわよくば、安く手にすることが出来ればと思ったが、相手にもされなかった。

 視線を落とし、安っぽい土台の上に並べられた魔法の欠片へと彷徨わせる。


 大小様々な形を成した魔法の欠片の数は、二十を超える。これ程の数を一度に見る機会は、滅多に訪れない。軒を連ねる専門店を覗いたとしても、三つから五つ、多くとも十に満たないところがほとんどだ。


「いいか、小僧。ここに並べた魔法の欠片は、全てホンモンだ。ニセモンを売り捌くのが難しいことぐらい、小僧も分かってんだろ? だからこそ、この価格帯を維持する必要があるんだ」


 店主の話は、一理ある。

 見た目には真贋の見分けが付け難いが、魔法の欠片を己の物とする際、ある現象を引き起こすこととなる。

 偽物を取り扱い、売り捌くことは、困難を極めるだろう。


「ああ、知ってるとも……」


 それでも、魔法の欠片が欲しい。

 手っ取り早く、父と母のような凄腕の冒険者になる為には、魔法を扱えるようになればいい。

 故に、エールは一つでも多くの魔法の欠片を手に入れたかった。


 魔法の欠片の使用方法は、単純明快。

 己の胸元に魔法の欠片を近づけると、自動的に体内へと取り込まれていく。そうすることで、一つ一つの欠片に秘められた魔法を意識的に習得し、扱うことが出来るようになる。


 体内に取り込んだ魔法の欠片は、己の意思で取り出し、他者に譲ることも不可能ではない。

 だが、体内から取り出した魔法の欠片を使用するには、再度取り込む必要がある。


 更には、魔法の欠片を体内に取り込んだ者が死を迎えた場合、新たな主を求めるかのように、取り込んだ全ての魔法の欠片が抜け出ていく。


 これらの不可思議な現象の結果、魔法の欠片を手中に収めた者は、己が持つ魔法の欠片を奪われない為、過剰に神経を擦り減らす。


「はあ、……どこかに落ちてないかな」


 もう一度、溜息を吐く。

 ロワンナに大見得を切ったものの、あまりの情けなさに、エールは言葉数も少なく項垂れる。


 しかしながら、この露店に並ぶ魔法の欠片は、専門店に比べて圧倒的な安さだ。

 十分の一ほどの価格帯になっているので、そこらの貴族であれば十分に手が届くだろう。


 日が暮れる頃には、全て売り切れてしまうに違いない。


「――で、そっちの旦那は買うのかい?」


 店主は、話し相手を変更する。

 その言葉に反応し、エールは店主の視線の先に目を向ける。


「え、あっ」


 つい、声を上げてしまう。


 いつからそこにいたのか、エールの横には、整った顔立ちの青年が腕を組み、並べられた魔法の欠片の品定めをしている。

 けれども、魔法の欠片を欲する者には珍しく、似つかわしくない格好をしていた。


 高級感のある真っ黒なマントを背に、絹で仕上げた艶のある円筒形の帽子を深めに被っている。一目見ただけで、この青年が金を持っていることが理解出来るだろう。


 そして、その青年は表情を変えずに一言、


「全てだ」


 どの魔法の欠片が欲しいのか示すことなく、代わりに全てを求めた。


 あまりにも対照的な存在を前に、エールは開いた口が塞がらない。

 たった一つの魔法の欠片を手に入れることも出来ず、ただただ青年の手元へと視線を移すだけだ。


「ほ、本当に全部ですかい? お金は……」

「釣りは必要ない。取って置け」


 青年は、革財布の中から金貨を一枚取り出すと、それを店主に手渡した。


「こ、この金貨は……ッ」


 途端に、店主が目を見開く。


「……だ、旦那? これは王族階級の金貨ですぜ? まさかニセモンじゃあ……」


 ヒルシュベルクには、金銀銅三種の貨幣が存在するが、中でも金貨には三つの階級が定められている。上から順に王族階級、貴族階級、市民階級と、型が異なるのだ。


 市場に出回る金貨は市民階級の物がほとんどで、貴族階級の金貨にお目に掛かる機会は、滅多にない。その貴族階級の金貨よりも価値が高く、人々の信用を得る貨幣が、王族階級の金貨であった。


「ほう、オレを疑うのか」


 口角を上げ、青年は店主の顔を見る。まさか、露店で王族階級の金貨を目にするとは思ってもみなかったのだろう。店主は慌てた様子で口をモゴモゴさせている。


 青年は、土台の上の魔法の欠片を一つ掴み取り、胸元へと翳す。すると、淡い光を放ちながらも、魔法の欠片は確かに取り込まれていく。


 一つ、また一つと、魔法の欠片は青年の胸元から中へ。やはりと言うべきか、偽物は一つも含まれていなかった。少なくとも、エールはそう思った。

 だが、


「……ふん、全て偽物か」

「えっ」


 取り込んだはずの魔法の欠片を、青年は胸元から取り出す。

 何故、偽物と言ったのか。エールには訳が分からない。


「いちゃもんですかい、旦那? 一度売ったもんの返品は受け付けちゃいね――……がっ」

「喋るな、耳が腐る」


 瞬間、店主が地べたに突っ伏した。

 すぐ傍で見ていたはずのエールだが、何が起こったのか全く分からなかった。


「店主、お前に問う。……これは魔法の欠片か」

「ぐ、……ぐぎっ、がっ」


 震えながらも腕に力を込め、店主は起き上がろうと試みるが、体の自由が利かないのだろう。

 地に伏したまま、無情にも時間だけが過ぎていく。


「質問に答えるか、それとも潰れて死ぬか。お前が選択するのは後者か?」

「……わ、分かった! すまねえっ、もう許してくれっ! 旦那に売り付けたのは魔法の欠片じゃなくて、魔法の破片だっ」

「魔法の破片……?」


 エールは、小首を傾げる。

 実におかしな状況を目の当たりにしながらも、店主の言葉に興味を抱いた。


「認めたか。ならばそれは返してもらおうか」


 そう言って、青年は店主の手から金貨を奪い取る。

 すると、店主は動けるようになったのか、息も絶え絶えに起き上がり、何度も頭を下げた。


「つい、出来心で……堪忍ですぜ、旦那」


 土台の上に散らばった魔法の欠片は、本物ではない。

 その事実に気付いた青年は、偽物を魔法の破片と称した。


「魔法の破片は、魔法の欠片の出来損ないだ。魔法の欠片のように体に取り込むことは出来るが、中には何もない。取り込めばすぐに理解出来ることだ」


 店主は、これまでに魔法の欠片を手にしたことがない者を獲物に、偽物を売り捌いていたのだ。実際に体の中へと取り込むことが出来るので、初めて魔法の欠片を扱う者にとっては、それが偽物であることを見抜く術はない。

 時間を掛けて魔法を扱えるようになる、とでも言っておけば、誰もが騙されてしまう。


 ただ、今回ばかりは相手が悪かった。


「……ん? なんだ、オレの他にも客がいたのか」


 そんな青年の一挙手一投足に目を奪われつつも、エールはゆっくりと溜息を吐く。


 もし仮に、全ての魔法の欠片が本物であった場合、買い占めるには相応の額を支払うことになる。

 だが、青年が差し出したのは、王族階級の金貨が一枚。釣り銭だけで、一年分の生活費を賄うことも容易い。


「此処の売り物は全て偽物だ。騙される前でよかったな」

 青年は、エールの視線に気付く。

 今までずっと隣に立っていたというのに、青年は全く気付いていなかった。


「まあ、本物ならばオレが全て手にしていたからな、お前の分は一つもなかったか」

「なっ」


 エールと青年は顔見知りではない。しかしそれにしても無愛想な態度であり、初めて顔を合わせた者同士であるにも関わらず、言葉の端に刺々しさを感じ取れる。


「余計なお世話だよ、ぼくには欠片の一つだって買えないんだから」


 反論したつもりが、エールは顔を真っ赤に染め上げる。恥の上塗りだ。


「くっ、くくっ、……それは悪かったな。貧乏とは知らなかったんだ、許せ」


 緩んだ口元を手の平で隠し、青年は笑いを堪える。

 エールの視線の端には、先ほどまで苦痛に悶えていたはずの店主が、今度は腹を抱えて身悶えする姿が映り込んでいた。


「そうだな、貧乏人にせめてもの祝福をくれてやろう」


 そう言い、青年は腰に下げた手提げ袋の中から、くしゃくしゃに曲がった紙切れを取り出す。


「【メルゼベルクの試練】の限定入場券だ。貧乏人には手が出ない代物だろう」


 眉根が、ピクリと動く。

 肩が反応し、エールは手を前に出そうとするが、寸でのところで耐え抜いた。


「し、知らない人から物を貰うようなことは……」

「お前は子供か」


 ちっぽけな自尊心が、思考を掻き乱す。

 たとえ貧乏な魔法使いだとしても、譲れない物を持っていることを示したいのだろう。


 しかしながら青年が差し出した物は、ヒルシュベルクでは最も有名な催し物の入場券だ。

 見に行かずとも、横流しするだけで、それなりの金額に化けることは言うまでもない。


「オレと出会えたことを幸運と感謝し、黙って受け取れ。身なりを整えることも出来ないのだから、目を楽しませるぐらいの贅沢は構わないだろう」

「……癇に障る言い方だね」

「これがオレの素だ、文句を言われる筋合いはない」


 それでもエールは受け取るのを渋っている。

 すると、青年はやれやれと肩を竦めてみせた。


「イクス=フラクトゥール」

「え」

「それが、オレの名だ」


 尋ねてもいないのに、青年は名乗りを上げた。


「それで、お前の名は?」

「……あ、えっと。……エール=ウムラウトだけど」


 突然、名乗り始めたかと思えば、今度はエールの名を聞き出す。

 一体、この青年は何をしたいのだろうか、とエールは疑問に感じた。


「エールか、今だけ憶えておこう」


 言葉の端々に嫌味な性格が滲み出るかのようだが、エールが不満を口にする前に、イクスは更に話を続ける。


「さあ、これでオレとお前は、互いの名を知り合う仲になったわけだ。つまりは、これを受け取っても気兼ねする意味は無くなったはずだが」


 くしゃくしゃの入場券を、エールの眼前で左右に振り、イクスは口の端を釣り上げる。


 無愛想に付け加え、他者を小馬鹿にする性格の持ち主であることを、今更ながらに理解したエールは、悔しさに顔を赤らめながらも、イクスの手元から強引に奪い取る。


「それでいい。……ああ、念の為に言っておくが、それは限定入場券だ。横流ししようなんて考えは止めた方が身の為だ。お前の身元を割る程度のこと、造作もないのだからな」

「失礼だな! ぼくはそんなことしないぞ!」


 貧乏人の浅知恵は、イクスにはお見通しであった。


 エールの過剰反応を存分に堪能し尽くし、イクスは露店の前から離れていく。店主を引き渡すこともなく、罪を認めさせただけで満足したらしい。


 その後ろ姿を眺めながら、エールは舌を出して応戦するが、もはや負け犬の遠吠えに等しい行為でしかなかった。


「……小僧、運がいいな。メルゼベルクの試練を生で見れる機会なんて滅多にねえぜ」


 店仕舞い、ではなく、逃げる準備を始めながら、店主はエールに声を掛ける。

 他人事のように振る舞っているが、元はと言えば店主が魔法の破片を魔法の欠片と偽って売り捌こうとしたのが原因だ。


「これ、罪人を裁く為の催し物だよね? ぼく、そういうのは好きじゃないな」


 ブツブツと文句を垂れつつ、エールは金色に輝く入場券を見つめる。


「要らねえなら、貰ってやってもいいぜ?」

「冗談だろう? それとも罪人として出るつもりかい?」


 首を横に振り、エールは詰まらなそうに呟く。


 気乗りはしないが、貰った物を使わずに捨てるのは勿体ない。イクスという名の青年の顔を立てるつもりは毛頭ないが、仕方がないので試しに見に行ってみるべきか。


 再度、エールは溜息を吐き、その場を後にした。

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