第六部 べテルギウス&Co.

 リムジンのAIが話しかけてきた。

『そろそろ、異世界オリオン・ワールドに到着します。四次元航行からワープアウトします。シートベルトをお締めください』

 そのアナウンスを聞いて、ユナがそう言えば、と首を傾げる。

「行き先の異世界オリオン・ワールドが今回の買収先なんですか?」

「ここへは買収をしに来たんじゃないの。まあ、寄り道みたいなものよ」

「よ、寄り道ですか?」

「ええ。オリオン・ワールドは、所謂金融専門の異世界なの」

「き、き、金融ですか?」

    

 四次元リムジンは、四次元航行からワープアウトし、最初の目的地、オリオン・ワールドに入った。

 私たちは運転席の窓から外を見上げる。

 目の前には巨大な赤い球体。その周りに、頻繁に白い火花が誕生する。それは、一瞬のうちに遠くへと弾き飛ばされスーッと消えていく。そこには薄い光跡が残るが、それもまた秒も経たずに霧散していく。そんな白い火球の帯がひっきりなしに生まれては尾を引いて消えていく。とても幻想的な光景だった。

「あれは、なんですか?」

 ユナの質問に、ハルトが答える。

「流星群だ。一つ一つは小さなチリなんだよ」

 私も話は知っている。それが……こんなに綺麗だなんて。

 私は、そっと手を差し出すと、ハルトの手に触れる。無言で、その光景を見ながら、指を絡め合った。

「それで、金融機関で有名な異世界オリオンにどんな用があるんですか?」

 そっか、ユナは途中までリムジンの自動運転の調整をしてくれていたから、ブリーフィングに参加できていなかったわね。

「今回は、メインバンクにお金を借りにいくのよ。買収資金に不足している2兆カルマ」

「ええええ?2兆?」

 ふふふ、それ、正しい反応よね。でも、避けて通れない。いくしかない。

 私は流星の雨を見上げながら、決意を固めた。

 リムジンの自動運転は、やがて、近くの小惑星に目標地点を定め、ゆっくりと相対速度を合わせ、ランデブーを仕掛けていった。


 その小惑星はかなり小さい。

 人が住めるように改造された地区は幅4キロメートル、長さ20キロメートル程度に過ぎない。

 にもかかわらず、まるで小洞窟のつららを逆さにしたかのように天に向かって高くそびえたつビル群が多数ひしめき合っている。

「摩天楼とはよく言ったものね」

 これらのビル群の中で、数多くの金融機関が鎬を削りあっている。ありとあらゆる超大手金融機関が乱立しているからだ。だから、どうしてもここで働きたいと願う転生候補者が集まってくる。

「転生費用さえ払えば、ここに転生できちゃうんですか?」

 ユナの質問は、私の古傷をグサリとえぐる。

「残念ながら、この異世界は特別でね……」

「特別?」

「超難関な入異世界試験に合格する必要があるのよ」

「入異世界試験? ほんとうですか? 落ちたらどうするんですか?」

「バイトしながら次の試験の合格を目指す人も多いけど、別の仕事を見つけるか、諦めてどこかへ転生する人も多いのよね」

「そうなんですね。さすがメイさん詳しいですね」

 ははは。

 まあね。

 だって、私もかつて、ここを目指したこと、あるんだもん。

 筆記試験はバッチリ、多分満点だったのになんでかしら? 面接? 私、金融向けのきっちりした性格だから問題ないはずなのに。

 そういえばセクハラ面接官のいやらしい手をベビードラゴンのプチファイヤーで追い払ったこともあったっけ。それって何か関係しているのかしら?

 まあ、もうどうでもいいけどね。

「で、ここに転生したらどんなキャリアになるんですか?」

「そうね……」

 ここでは、商業銀行業だけでも、小規模なメガバンクから大規模なペタバンク(いわゆるメガバンクの三桁上をいくギガバンクのさらに三桁上をいくテラバンクのさらに三桁上をいく銀行)までもが群雄割拠している。それ以外にも、投資銀行やファンド、リース・レンタル、保険なども入れていくと、本当によくこの小さい小惑星に、と思えるくらい無数の企業がひしめき合っている。

「金融に関するキャリアなら、なんでも身につけられる場所よ」

 私は、この異世界の住人でもなんでもないのに、鼻息荒く答えた。


 ヴァーゴのメインバンクはべテルギウス&Co.。この摩天楼の中心地に本社ビルを構えている一流ペタバンクだ。

 その本社ビルは、数ある超高層ビルの中でもトップ10に入る高さを誇り、高層に向かうにつれて線形に鋭角となっていく独特の外観を持つ。ガラス張りの外壁が黒く輝き、金融の王としてのエレガントな印象を与えている。

「ひゃー、さすがは大手銀行ですね」

「おれは、初めて見たけど、すごいな」

「私だって、普段は担当者がヴァーゴに来てくれるから、こっちから本社を訪れるなんて初めてよ」

 私たちは、そのビルの入り口で、はるか上空に向かって聳え立ち、もはや先端を伺うこともできないビルを見上げ、口をあんぐり開けた。

 やばい、このままでは、まさに田舎者が都会に出てきたという構図に見えてしまう。

 これでも、転生マッチング業界No.2のヴァーゴですもの。誇りを持たないとね。私たちは、表情を引き締めると、ビルの中に入った。


 エレベーターは、一気に555階へと昇る。

 摩天楼の上層階の会議室。大きな窓ガラスから外を眺める。目の前には縦横無尽に頻繁に行き交う多数のエアビークル。眼下には雲。その隙間から見える地上で無数のビルが雑然と乱立している。

 当然、ヴァーゴが本拠地にしている異世界でもこれほどの経済エコシステムは発達していない。

「さすが金融の中心地ね」

 お金も、あるところにはあるもんだ。だったら、2兆カルマくらい、軽く準備してくれないかしら。

   

 暫くすると、会議室に一人の女性が入ってきた。

「今日は珍しく、こちらまで来てくださったのですね」

「ええ、実は相談があってきたんです」

 すると彼女は申し訳なさそうな表情で苦笑いした。

「はい。大体、想像がついていまして、実は銀行内ですでに審議がなされています」

「ちょっと待って。すでに審議がなされているって、どういうこと?」

「はい。実は御社が融資を求めてくるという情報をすでに得ています。融資額は2~3兆カルマと聞いています」

 さすがに、私も目が点になった。

「誰からそんな情報を?」

「それは内緒ですが……銀行は意外と幅広い情報網を持っていますから」

 うーん……この情報って、取締役しか知らない内容なんですけど……

「で、すでに審議されたというのはどういうこと?」

「ヴァーゴ様は先日、ケンタウリSA買収で1兆カルマを支出しましたよね」

「……まだ、銀行へは報告していないけど。よく知っていますね。間違ってはいないわ」

「はい。その件もあって、融資委員会から、御社の財務状況に懸念が出ています」

「それは、買収の効果を踏まえて回収する予定よ?」

「もちろん期待しますが、財務上は大きなのれんが計上されています。お気持ちはわかりますが、まだ確実に回収できるか確信は持てません」


 銀行担当の口から、『のれん』の言葉が出たときはろくなことがない。

 のれんとは、M&Aを行ったときの買収価格と買収対象会社の時価価値との差額のことだ。もし計画通りのM&A効果が出なかった場合、計上された『のれん』は減損される。銀行は、それを融資を断る理由の一つに挙げている。

 正論ではあるわ。

 でも、そんなことは百も承知よ。私たちは卓上でビジネス教科書を書いているわけじゃない。競争相手を出し抜き先手を取らなきゃ負けちゃうの。

 ビジネスの現場を知らない銀行さんには、わかんないでしょ?

 あっかんべー。

 私は笑顔を絶やさず心の中でそう叫ぶと、大きく深呼吸をした。

(……ってことで、このあとのM&Aファイナンス交渉は任せるわよ)

 私は、ハルトに視線を向けると、軽くウインクして見せた。


「お姉さん、少し前提を誤解されていると思います」

 ハルトは穏やかに切り出した。

「前提ですか?」

「はい。今回は、ノンリコースローンを検討していただきたい」

「ノ、ノンリコース?」

 さすがハルト、M&Aファイナンスまで詳しいんだもの。

 担当者の顔色が変わる。

 ノンリコースと聞いて彼女の理解を軽く越えてしまったようね。

「前提条件が間違っていたのですから、修正して再度審議をしてもらえますか?」

 ここぞというときは、ぐいぐい強めに押しにいく。

「……そういわれましても、すでに審議は終わってますし」

 担当者はしどろもどろだ。

「御行がだめなら、周りのビルにお願いしちゃうことになりますけど……お互い困っちゃいますよね?」

 周りのビル……つまり他の銀行に借りに行くぞと言う意味だ。

 半分脅しに近い。

 担当の彼女はどうしていいかわからず、顔面蒼白で震え始めた。

 そろそろ、フォローを入れてあげますか。

「1時間くらいなら時間があります。上司の方に改めて説明してもいいですよ」

 満面の笑みを浮かべて会議室を後にする担当。

 あめと鞭作戦、完了。   


 暫くすると、ひとりの男を連れて帰ってきた。

 エレガントな品位スーツを着こなしている。

 腕には最近トリオネア達の間で流行っている四次元ムーブメント搭載型の高級腕時計。

「特定法人融資担当執行役員のジョージです。初めまして」

 流石、金融機関の頂点に立つベテルギウスの執行役員だ。堂々とした立ち振舞いからは自信と威厳が溢れている。

「ヴァーゴのCFO、メアリーです」

「今回はノンリコースローンの要請ということですね?」

「はい。M&Aファイナンスのスキームを検討していただきたいと思います」

 私は無言でハルトを促した。

「では、私から説明します」

 ハルトは相手が銀行のお偉いさんでも関係なくいつも通りにノンリコースの仕組みについて話し始めた。

 要は今回買収する企業の資産や事業収益を担保に金を貸してくれということだ。買収する側に財務余力がない場合に使われる手法である。

「ターゲット会社はどこですか?」

「まだ開示できませんが、御行の担当者に同行していただくことは可能ですよ。ただし、宇宙戦艦でドンパチになるかもしれませんので命の保証はできません。生命保険は御行で掛けてくださいね」

 これを聞いて、一気に顔が青ざめたのは、例の担当の女の子だ。

 まったくバカハルトったら、交渉とはいえ、たまに悪乗りしすぎる癖がある。

「まあ、それは別の機会にしましょう。しかし、情報開示できないというのは、メインバンクを信用できないということですか?」

 ジョージが揺さぶりをかける。

 普通、メインバンクから「信用できないのか?」と問い詰められたらビビるわよね。でも、さすがハルト。怯まずに切り返した。

「今回は我々も情報管理にナーバスになってます。すでに、弊社の情報がかなり御行に漏れているようですがどこから情報を入手されたんですか?」

「……まあ、秘密の情報筋ですな」

 ジョージは苦笑するしかない。

「わかりました。対象会社の事業計画次第ですが採算がとれるなら融資をコミットします。これでよろしいですか?」

 ハルトも笑顔で立ち上がった。

「はい、ありがとうございます」

 二人が握手。

 あー、よかったわ。

 これでローン交渉は完了ね。

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