第三部 セクスタンスKK
「セクスタンスKKは売却されることになった」
「はあ?」
おれは耳を疑った。ふざけた社長だと思ってはいたが、今日は格別ふざけている。
「冗談なら、今手掛けている買収案件が完了してから聞きますよ」
おれはあきれて回れ右し、社長室を出ようとした。だが、社長は冷静な口調でオレを止めた。
「ハルト、本当の話だ。すでに買い手候補先も絞りこまれた」
……ということは、売却交渉は最終局面になっているということか。
「社長、本気ですか?」
「ああ。この会社はおれが創業してここまで育ててきた。そろそろ、この会社を売却して、売却益も使って転生しようと思うんだ」
「……」
あくまでもまじめな表情の社長。これは、どうやら冗談ではなさそうだ。
はぁ……おれは青天の霹靂と言うべき状況を前に、ゆっくりとため息をついた。
「本気だということはわかりました。でも、なんでおれを売却交渉チームにいれなかったんですか?」
M&Aにおける買収交渉においては当社内でもトップレベルと自負しているつもりだ。
「確かにお前はわが社では最高のエージェントだ。それは認める。だが……」
社長は頭を掻きながら答えた。
「お前はフェアすぎる。おれとしてはとにかく問答無用の高値で売り付けたいんだ。だから、最もがめついエージェントを売却チームにした」
なるほど、確かに。おれは、高値で売り切るという戦略は、あまり得意ではない。そうなると、おそらくはこの売却案件を仕切っているのはトミーか……おれの頭の中に、きらいなやつの顔が浮かんだ。
「買い手候補はヘルクレスとヴァーゴだ。どちらも悪い相手ではないだろう?」
おれはごくりとつばを飲み込んだ。
『ヘルクレスカンパニー』
転生マッチング業界No.1のシェアを持つトップ企業。かなり強引なことをしているという噂もある。正直、気に食わない。
『ヴァーゴ・ホールディングス』
業界二位の高級異世界への転生マッチング専門企業。質で勝負している。契約数は劣るものの年間売上はヘルクレスに肉薄する。
「社長、ヴァーゴならまだしも……ヘルクレスなんかに買収されたら、うちの会社は速攻で壊滅しますよ」
解体され、おいしいところは吸いつくされる。搾りかすは容赦なく捨てられる。ヘルクレスはそんな会社だと、おれの直感が訴える。
「そうかもしれないが、それも含めて総合的に判断する」
……結局、高い金額を出した方に決めるということか。だから、おれをチームに入れなかったんだな。おれは絶対にヘルクレスへの売却には反対するだろうから……
「で、オレを呼び戻した理由は何ですか?状況を教えてくれるためだけではないんでしょう?」
社長は、はっと思い出したような表情を浮かべた。
「そうそう。今晩、両社を呼んで最終ビッドのプレゼンをしてもらおうと考えているんだ」
「どこで?」
「ここの近くのホテルのレセプションホールを貸し切ってある」
ビッドとは入札のことだ。ヘルクレスとヴァーゴの二社を呼んで、どのような条件(価額他)で買収するつもりかを提案させるつもりだ。その結果、より良い条件を出した相手と最終契約を締結することになる。
「それで、おれは何を?」
「ヴァーゴのプレゼンターを迎えに行ってほしい」
「なるほど。相当な役職の人物がプレゼンされるということですね」
「ヴァーゴのCFOメアリー氏が来てくれるとのことだ」
「なるほど。重要な役目ですね」
「正直、ハルトにしか頼めない」
四次元ワープが必要な異世界間の移動は危険が伴う。特に要人は四次元海賊に襲われやすい。ヴァーゴのCFOといえば、かなりの権力を有する要人だしな……責任重い役目だ。
「わかりました。で、ヘルクレスのお迎えは誰が?」
「トミーが迎えに行く」
けっ……やっぱり奴が仕切っているのか。まあ、いいや。ヘルクレスはなんだか好かないからな。ヴァーゴのお迎え役の方が100倍気分が良い。
「わかりました。では、四次元リムジン借りていきますよ」
「ああ、よろしく頼む」
こうして、おれはヴァーゴのCFOを迎えに行くことになった。
おれは内心わくわくしていた。今日はVIPを送迎するための高級車、四次元リムジンを使うことができる。
おれは運転席のコンソールに、四次元ワープに必要な情報入力を行った。現在座標、行く先の異世界座標、搭乗人物の重量……これらの入力データがリムジンに積まれた高級四次元AIに送られ自動で経路計算を行い、勝手に目的地まで航行してくれる。
リムジンの運転席の隣には、VIPリビングルームがある。おれはその部屋に設置された大きなソファにドカッと座った。まさに移動できるスイートルームだ。おれはソファで目をつぶる。リムジンはそっと宙に浮く。そして、そのまま四次元へ空間転移し、四次元ワープを開始した。
『エラー発生、エラー発生。リムジンは予定航路を大きく外れています』
アラートに起こされたおれは、慌てて運転席に戻る。そして、AIに問いただした。
「何が起きた?」
『わかりません。目的地から大きく離れた軌道に入っています』
「外敵攻撃か?」
『そのような兆候は見られません』
「では……なぜだ?」
『入力情報にミスがあったようです』
それはつまり、おれのミスか。
「どんなミスがあった?」
『はい、おそらく搭乗人物の重量を入力ミスされたようです』
おいおい、自分の体重を入力ミスしたってのか。おれは自分にあきれて、入力内容を確認したが……
「ん? おかしいな。おれの体重は合っているぞ?」
ちょっと待てよ?それって、まさか……まさか、密航者がいるのか?
おれはとっさに武器を探したが、助手席にさしておいた日傘しか見当たらない。素手よりはマシなはず……それを片手にリビングルームに駆け戻った。
すると、奥のベッドルームのドアが半分開いた。そして、聞こえるのは甘えたような可愛らしい声……
「こ、こんにちわ?」
ドアの隙間から、申し訳なさそうな顔をちらっと見せている女性。見間違うわけがない。
メイだった。
「メイ?なんで勝手に潜り込んでるんだ?」
「あ、いや、あの、ね?ハルトさんが新しい任務に行くって聞いたから……」
「あのな、メイは新入社員期間終了してチームは解消したんだぞ?」
「うー、わかってますよー」
「わかってないだろ、職務規定違反だぞ?」
「むー」
そんな可愛い顔したってダメだ。さすがに、無視できない重大な状況だ。
「……しかも、今回はトップシークレット指令なんだぞ。危険を伴うんだ」
「じゃあ、補佐役がいた方がいいじゃないですか」
危険と聞いてもまったく物怖じしない。こんなところは最初にあったときと変わらないが……
「本当になんでこんな無茶な真似を……」
「だって……」
「ん?」
メイが下を向いて小さな声で呟いた。
「またハルトさんとコンビ組みたかったんです……」
……泣いている?
そうだ。特例で二回も新入社員実習でおれに同行したメイ。三回目も社長にだいぶ食い下がっていたらしいがさすがに認められなかった。そこまでしなくても、いつかまた一緒にパートナーを組めるときはくるだろうに……
でもたしかに……メイがいないと何か物足りなかったのも事実ではある。
「……ついて来ちまったものはどうしようもないな。途中では降ろせないし」
ぶっきらぼうにそう言うと、メイの泣きそうな顔がみるみる明るく輝き始めた。まったく、現金な奴だ。
「ありがとう、ハルトさん。やっぱり密航した価値あったわ」
抱きついてくるメイ。おれはメイを胸で受け止めた。
「まったく、二度とやるなよ」
「はーい」
この匂い、久しぶりだが、落ち着く……なんて言っている場合じゃなかった。
AIへの入力が間違えていたので自動運転は継続できない。再度計算しなおす余裕もない。つまり、マニュアル運転に切り替える必要がある。
おれは汗ばむ手でハンドルを持つ。次元ギアをドライブに入れる。ハンドブレーキをリリースしアクセルを軽く踏む。それとあわせて、クラッチペダルを徐々にリリースする。エンジンの唸りがリムジン自身の動きに変わっていく。
おれは目的地へと手動運転を始めた。全く……せっかくのリムジンなのに、自動運転でくつろげないなんて。これじゃ商業用ワンボックスを運転しているのと変わらない。
「一応トラブルの報告と、念のため救援要請を出しておくか。あの社長が要請に応じるとは思えないけど……」
要人護衛用超高級リムジンには様々な緊急対策手段が積み込まれている。
例えば、四次元伝言用無人運転四次元ドローン。電波が届かない他の異世界へ自動で伝言を送り届けてくれる超高級機器だ。もちろん、それなりの時間は要するが。
『トラブルに見舞われてマニュアル運転で現地に向かうもスケジュールは厳しい。念のため応援を求む』
「ふぅ……やっぱりメイがいるとなぜかトラブルに見舞われるな」
「それってどういう意味ですか?」
「メイが……トラブルメーカーだっていう意味。違うか?」
「うー……違うもん」
真っ赤に赤面してプルプル震えて恥ずかしがっているメイ。これはこれで、可愛いんだけどな。
「まあ、でも、君がいなかったここ最近は仕事が楽しくなかったかもな」
「……本当ですか? もう一度、もう一度言ってください」
「ええい、うるさい、何度も言うか」
それでもお構いなしにみっちりと腕に絡みついてくるメイ。その……たわわが腕に絡みついてくるんですけど?
「こら、運転が乱れるだろ?」
「大丈夫ですよ、リムジンがそんなことで乱れたりなんか……」
その瞬間。
ドドーン!
大きな音と衝撃がリムジンを貫いた。とたんに鳴り響く警報音。
「……メイ、やっぱり、君がトラブルメーカーと言うことで異論ない?」
「……それは困ります。本当に私がトラブルを持ってきたみたいに聞こえるじゃないですか……」
警報音は止むことなくけたたましくなり続けていた。
「どうなってるんだ?」
AIに聞くと、すぐに答えが返ってきた。
『砲撃を受けたようです』
それを聞いて、びっくりして、おれはメイと目を合わせた。
次の瞬間、二度目の爆音が聞こえる。
ドーン!!
『左舷後部のウインカーが被弾し破損。ブレーキランプも中破』
「このリムジンの高耐久外装にダメージを与えるって、どういうことだ?」
『おそらく軍用兵器が使われていると思われます』
「はあ?」
ドドーン!
言っている間に第三弾の被弾。
『後部トランク破損』
鳴りやまない警報。
「ええい、なんとか目的地の異世界までは切り抜けよう」
「わかりました。私、ナビします。目的地はサンワールドの第三惑星、地球(アース)でしたね」
言うが早いか、メイは四次元レーダーの前のナビ席に座った。
おれは、ハンドルを左へ右へと切り替えながら蛇行運転で追撃をかわす。
相手もびっくりしているだろう。リムジンは通常AIによる自動運転をしているはずだ。このような(素人的な)回避運動は絶対しない。メイが密航していたことが、ここにきて幸いした。
……いや、違う!
そもそもメイが密航していなければとっくに自動運転で地球に到着できていたはず。惑わされてはいけない。やっぱり、メイはトラブルメーカーだ。
「急がないと、どんどん攻撃が迫ってますよ」
「わかって、いる、よ」
会話する余裕もない。
ドどどーん!
今回はひときわ大きな振動だ。
『左次元跳躍エンジンに着弾。エンジンスローダウン』
「えー? エンジンはまずくない? 大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。まだ右のエンジンが残っている」
正直、本当に大丈夫かわからなかったが、大丈夫と言わざるを得ない。
「メイ、ワープアウトする。その瞬間にフレアとチャフを全弾放出だ」
「はい。それで逃げ切れます?」
「まあ、時間は少しは稼げるさ」
ワープアウトとは、四次元から三次元に次元遷移することだ。当然追手の追尾から一瞬逃れることができるチャンスではある。その瞬間にフレアやチャフで邪魔をすれば、時間を稼げるかもしれない。
「いくよ、3、2、1、今だ」
「はいっ」
その瞬間、ゴゴゴゴゴと凄まじい衝撃が聞こえる。チャフとフレアが打ち出された証拠だ。そして、リムジンの運転室の目の前の窓には、青い惑星が映し出された。
「よし、ワープアウト完了。このまま大気圏に突入する」
こうして、おれたちは科学技術がまあまあ発展している異世界サンワールドの惑星『地球』へと降下を始めた。
激しい振動が収まると、リムジンは大気圏を滑空し始めた。体に重みが戻ってきている。重力だ。
「メイ、次元迷彩を展開してくれ」
「はい……展開完了。これでしばらくは見つかりませんね」
次元迷彩は目視で見えなくするだけではない。時空をゆがめて機体を隠す。だから、通常レーダーなどでは簡単には発見されないはずだ。
「ああ。でも、さっき襲ってきた連中は間違いなくプロ。見つかるのは時間の問題だ」
「合流場所は、日本という国の東京という地域ですね。座標は35.63、139.77。丸い球が目印です」
「わかった。あれだな。見えてきたよ」
大きな湾の奥にいくつかの大きな橋、島。その奥に高層ビルが立ち並んでいる。一番奥の橋のふもとに、ひときわ目立つビルがあった。ビルの高層階に、完全な球体が乗っている。高さは約100メートルちょっと。
「あれの横につければいいんだな」
それくらいなら、四次元普通運転免許しか持っていないおれでもできる。
そして、おれたちは次元迷彩に隠されたリムジンを空中にホバリングさせたまま、球体の施設に乗り移った。
「すみません、少し遅れてしまいました。セクスタンスのハルトです」
球体に入り、大声で挨拶をしてみるが、誰もいない。
球体の中は、ほぼ半球の大きな空間。周囲の窓からほぼ四方八方を見渡せる。近くの海や橋、電波塔、そして高層ビルの摩天楼。遠くには夕日が落ちていく山々。
「景色はいいんだけどね。VIPがいないのはなぜだ?」
「……VIPって、誰と待ち合わせているんですか?」
「ああ。言ってなかったっけ。ヴァーゴのCFOを迎えに来たんだ」
「……え? そんな……だれの指示で……」
メイが何か言いかけたとき、外から複数のサーチライトが照らされた。まぶしさに思わず手で目を覆う。容赦なく、大きなマシンボイスが聞こえてきた。
『大人しく、ヴァーゴCFOのメアリーを引き渡せ』
「さっきのやつらか。早くも見つかるとはな。というか、もともとCFOのメアリーが狙いだったのか」
おれは、メイを手元に引き寄せる。目を細めてサーチライトの方向をチェックをした。どうやら、大型ドローンを複数台用意しているようだ。当然無人コントロールだな。おそらくはこの球体施設を破壊しうるだけの火力も有しているのだろう。
「先ほどの軍用艦といい、このドローンといい。装備が本格的すぎる。狙いはヴァーゴのCFO。おそらくは、競合相手のヘルクレスカンパニーからの依頼を受けた傭兵部隊か」
ヴァーゴが最終ビッドに来なければ、ヘルクレスの言い値条件で決まる。それを考えれば傭兵を雇うコストなど安いもんだということか。それにしても、本当にやり方が汚いやつらだ。そう考えながらメイに顔を向けると、その顔面は蒼白でぶるぶると奮えていた。
「……メイ、大丈夫か? さっき……」
そう言いかけたとき、またもやマシンボイスに邪魔をされる。
『もう一度言う。ヴァーゴCFOメアリーを引き渡せ』
おれは大声で答えた。
「そんな人はここにはいない」
『そんなはずはない。隠すとこの球体ごと破壊することになるぞ。さっさと引き渡せ。あと1分待ってやる』
くっ、1分とはせこいやつらだ。絶体絶命だ。どう切り抜けるか……おれが思考を巡らそうとしたとき……メイがおれの手を突き放して窓に向かって歩き出した。
「メイ?何をしている?危ないから……」
「ハルトさん。やつらは私を狙っています。だから、私が出ていけば、これ以上の犠牲は発生しません」
「……何言ってんだよ?」
「……ここでお別れです。お達者で……」
メイは振り返らずにサーチライトに向かって真っすぐ歩き出した。
……待てよ。認めない。おれは絶対に認めないんだ。そんなことは……
今考えれば、おれはもっと前に気付いていたんだと思う。
普通、こんなにたくさんの偶然は連続して発生しない。
新入社員なのにとんでもない知識と度胸を持った才女の能力。
四次元リムジンに密航する実行力。
スピカやミルファクの宿であえて一部屋だけ残し相部屋にする経済力。
新入社員実習といってM&Aの現場への参加を許可させる政治力。
……ヴァーゴの巨大な力が関与していたんだとすれば理解できる。
うちの会社に潜り込んでいたんだな。
でも、なぜ、密航までして、おれのそばにいるんだ?
買収のための調査や準備なら本社にいた方がしやすいはずなのに。
……おれは、その答えを知っている。
メイは、ずっと教えてくれていた。おれの心も、ずっと認めていたじゃないか。だからこそ認められない。
「おれは……おれは認めない」
おれは走り出し、メイの手首をもう一度ガシッと捕まえた。メイは驚いた表情でゆっくりと振り返った。
「ハルトさん?」
サーチライトがおれたちを照らす。
「ここにはCFOなんていない。ここには、おれの大事なパートナーしかいないんだ」
「……ハルトさん……」
メイは驚いた顔をして……そして、その瞳に大きな涙が浮べた。
敵が引き続き何か警告を言っている。
だが、もうおれの耳には届かない。サーチライトも眩しくない。
おれには、メイの声しか聞こえない。メイの姿しか目に入らない。
おれはメイの手を強引に引き戻した。メイは力なくおれの胸元に吸い込まれる。
「お前はおれの大事なパートナーだ。だから、おれから離れるな」
「……はい。ハルトさん」
おれはメイを強く抱きしめ、その唇を奪い取った。
おれは、今まで知らなかった。こんなに柔らかくて暖かい唇があったなんて。
敵の威嚇射撃が始まった。
その爆音と閃光は、おれたちの初めての接吻を祝うバックグラウンド花火のように美しく煌めいていた。
威嚇射撃がひと段落すると、敵は最後通告をしてきた。
『次が最後だ。出てこなければ、この球体と共に、すべてを破壊する』
メイはそっと唇を離し、涙を手で拭って気丈な表情に戻る。
「どうやってこの危機から脱出しましょうか?」
「……」
おれは時計を見た。来るならそろそろ来ているはずだ。
「次の一斉射撃が来たら、反対の窓に向かって走り、そして飛び降りるよ」
ここは高度100メートルちょっとのビルの上。落下し始めたら数秒で地面に到達する高さだ。普通なら、はいそうですか、と言える話ではない。が……
「わかりました」
「怖くないか?」
「ハルトさんが行けるというなら、信じてます。怖くないですよ」
「よし、いい返事だ」
『出てこないなら仕方がない。これで最後だ』
アナウンスと共に、今度は威嚇ではない大射撃が始まった。窓がことごとく割れて、銃弾が球体の内部を飛び跳ねる。おれはメイの手を掴むと走り出した。
「飛び降りる!救助を要請する」
リストバンドに向かって叫ぶ。
そして、割れた窓から二人で外に向かってジャンプした。
おれがつけているリストバンドは特殊な電波を出している。もちろん四次元空間には届かない。でも、この異世界に来ているセクスタンス社員がいれば……おれの位置は把握しているはずだし、この状況も理解しているだろう。このSOSを受け止めてくれるはずだ。
おれは、メイを抱きかかえながら落下しつつ、周りを確認した。
きらりと何かが光った。
直後、おれたちの体を大きな四角錐の膜が覆った。落下速度が鈍る。やがておれはメイを抱きかかえたまま、ゆっくりと地面に着地した。
「本当に、心配したんですよ?まったく、無茶ばっかりしないでくださいね」
その側では、メイド姿の女の子が、おれたちを覆っていた次元重力制御シートをいそいそと折りたたみながら文句を言っていた。ユナだった。
「よかった。救援依頼、本社に無事届いたようだね。それにしても、君がきてくれるとは」
「はい。ミルファクから本社に異動になったばかりでちょうど手が空いていましたので。それにしても、ハルトさんからの救援依頼なんて前代未聞だって。社長が笑ってましたよ」
「……ひどい話だな。でも助かった。ありがとう」
「とんでもございません」
おれはメイをゆっくりと立たせる。
「メイさん、お久しぶりです。お元気そうでよかったです」
「ユナ、助けてくれてありがとう」
メイとユナが厚い抱擁を交わす。
「ドローンが襲って来るぞ。武器はあるか?」
「そうね……ユナ、地対空ミサイル持ってる?」
メイが冗談としか思えない要求を口にする。が……
「小型のでよろしければ、3発あります」
……あるのか? 驚きつつぼーっとみていると、ユナの顔が恥ずかしそうに赤らむ。
「スカートの中を覗こうとしていらっしゃるんですか?」
そうだった。メイドはスカートの中に四次元ポケットを忍ばせているんだった。慌てて反対方向を向く。
すぐに、地対空ミサイルの発射音が響き渡る。
1発、2発、3発……続いて命中音3発分。そして、この空間に沈黙が訪れた。
「すごいな。一瞬であのドローンが全滅だ」
「ふふふ。これもメイドの嗜みですから」
メイドってそんなすごい職業なのか?何でもできるし何でも出てくる。それにしても、ユナのスカートの中身……一体どれだけの武器が入っているんだろう?
おれたちは、四次元リムジンに乗り込んだ。
「ユナ、運転できるか?」
「もちろんです。私は国家一級資格を持つメイドです。AIの自動運転よりは早くセクスタンスに帰還できますよ」
「本当にメイドって何でもできるんだな。ありがたい、ちょっと頼む」
こうして、ユナに運転を任せ、おれはリビングでメイと向き合った。
「メイが最終ビッドでプレゼンをするというのは事実なのか?」
「はい。でも……それが今夜だとも、待ち合わせ場所が地球だったことも聞かされていませんでした」
「そうだろうな。おそらくは、メイをおれから孤立させるための罠。犯人はトニーか」
「私が素性を隠していたから危険に巻き込んじゃいました……ごめんなさい」
「いいさ。とりあえずは無事だったんだし」
色々あったけど、メイはこれからセクスタンスに行き、ヴァーゴCFOとしてセクスタンス買収の最終ビッド大会でプレゼン(演説)する必要がある。
「プレゼンの準備はできているのか?」
「……それが、この騒動で、なかなかまとまらなくて」
「おれでよければ、アドバイスをしようか?」
「本当ですか? 助かります」
メイは嬉しそうに、プレゼン内容を説明した。
セクスタンス本社に戻ったおれたちは、まずは社長室へと向かった。
「おかえりなさい。メイさん、いや、ヴァーゴCFOのメアリーさん。よくお越しくださいました」
社長はふかぶかと頭を下げる。
「社長、その節はいろいろとありがとうございました。おかげさまで、今日は良い提案ができそうです」
メイも礼をしながら答えた。
「ハルトやユナも大変だったようだが、よく戻ってくれた。これで、最終ビッド大会も無事に開催できそうだ」
「そりゃよかったです。お相手さんも準備できてるんですか?」
「もうすぐ来るよ」
「じゃあ、おれたちは先に会場の控室に行ってますよ」
「ああ、わかった。ではメアリーさん、後程」
こうして、おれたちは社長室から退室する。
「会場はすぐ近くのホテルのレセプションホールだ。控室も準備されている。そちらで待機しよう」
「わかりました」
おれたちが廊下を歩きだす。向こうから嫌いなやつが歩いてくるのが見えた。
トミーだ。
「久しぶりだな。ハルト」
こいつは強引な力押しばかりでおれとはそりが合わない。
「地球から無事に帰ってこれて良かったな」
「その口ぶりだと、おれたちが襲われると知っていたように聞こえるぞ」
「まさか。さっき受付で顛末を聞いてびっくりしているところさ」
こちらも証拠はないけど、裏で手を引いていてもおかしくない。
トミーは社長室へと入っていく。
「……嫌な雰囲気ですね。やっぱり、彼らが傭兵を雇ったのでしょうか」
ユナがぼそっと呟く。ふと横を見ると、メイがほっぺた膨らませて、あっかんベーしている。戦いの幕が切って落とされたようだ。
最終ビッドは、両社がそれぞれ個別にセクスタンスKKの役員たちにプレゼンをする。
「ハルトさん、本来は先攻が有利ですよね。でも、今回は後攻の方がいいと言っていましたよね?」
「うん。本来公平な競争環境なら、先攻の方が印象は良く有利だ。だからやつらは先行を希望するだろう」
「では、なぜ私たちは後攻を選ぶんですか?」
おれは小声で答えた。
「多分トミーは受付を買収していると思う。今頃メイの提案書の内容を熟読しているんじゃないかな」
「……そんな。不正じゃないですか」
「そういうやつだ、あいつはね。でも、今回はそれを逆手に取ろうと思う」
「逆手に?」
「ああ。多分、奴らはメイの事前提案価額をみて価額修正するだろう」
「なんてずるい人たち……」
メイはぷんぷん怒っている。相変わらず単純だ。でも、おれはにやっと笑った。
「おれたち後攻で、奴らが出す価額よりさらに高い価額を提案しよう」
「……彼らが不正を働けば、逆に彼らの提案価格が予想できるということね」
「そうだ。それに、後攻を取れば奴らがその後更に再提示する機会はない」
「なるほど……だから提案書の段階では価額は安めにしておいたんですね」
「うん」
セクスタンスへの帰路の中、おれがメイに授けたアドバイスは三つ。そのうちの一つ目がこれだった。そして予想通り、ヘルクレスは先攻を希望した。メイは予定通り後攻でプレゼンすることとなった。
控室の扉が叩かれる。
「ヴァーゴ様、お時間になりました。レセプションホールへお越しください」
それを聞いて、メイは覚悟を決めた表情でうなづいた。
「では、行きましょう」
「よし、行こう」
プレゼンへ出席できるのは、プレゼンターのメイと迎え係のおれだけ。ユナは控室で留守番だ。
「メイさん、頑張ってくださいね。あ、申し訳ありません。メアリー様でした」
「やめてよ、ユナ。私はこれからもずっとユナの友達のメイよ。これからもメイって呼んでね」
すると、ユナの目に涙が浮かぶ。
「はい、メイさん。ありがとうございます。メイさんなら絶対大丈夫です。頑張ってください」
「ありがとう」
そして、おれたちはレセプションホールの大扉の前に立った。
「……ハルトさん」
「どうした?」
「もう一回、私に勇気をくれませんか」
「勇気?」
震えている。流石に、ここ一番の大舞台。メイも緊張しているんだ。おれの方をみて、顔をあげて、目を瞑る。唇をそっと突き出す。
おれは、そっと唇を重ねた。
これが……最後のキスになるかもしれない。そう思いながら……
やがて、唇を離したメイはもう震えてはいなかった。覚悟を決めた表情だ。
うん、メイならやれる。がんばれ。
おれは大扉を開く。室内にずらっと並ぶセクスタンス社役員たちに、メイを紹介した。
「ヴァーゴ・ホールディングスのCFO。メアリー・スピカ様をお連れしました」
「今日はこのような提案の機会を頂きありがとうございました」
メイは丁寧な挨拶、そして自己紹介をそつなくこなす。そして、早速提案内容の説明に入った。
「私は直接御社の新入社員としてしばらく一緒に働かせて頂きました」
メイはちらりとおれの方をちらりと見て、また役員に向かって語り続ける。
「御社のフェアな仕事の進め方は、必ず顧客からの高い満足を獲得できるものと思いますので、価値をさらに上乗せし1兆カルマを提案させて頂きます」
メイの提案に、役員たちはざわめいた。
この様子だとヘルクレスより高い提案ができたようだ。
そして最後にこう付け加えてプレゼンを締めくくった。
「……それ以外にも、さらにたくさんのシナジーも考えられます。ぜひよろしくお願いいたします」
早速役員が手を上げる。
「さらなるシナジーとは具体的には何でしょうか」
彼は餌に食いついた。質問させて答えることで、提案の印象がさらに向上する。二つ目のアドバイスだ。
「異世界運営業界へのM&Aの拡大です。ヴァーゴの資金を投入できるようになります」
「なるほど、素晴らしい」
役員たちが唸る。ヘルクレスの提案を上回っている証拠だった。しかし、メイの提案はそれだけに終わらなかった。
「最後に、もう一つの提案があります」
メイはメイン画面に追加の資料を投影した。
最後に『もうひとつ』を加えること。おれがメイに授けた最後のアドバイスだ。
この、もう一つに最大のサプライズを忍ばせることができれば、役員たちを落とせる。
おれは、セクスタンスがヴァーゴと一緒になりメイが主導するならばできるかもしれないアイデアを授けていた。
「私たちの経済力と御社の高いM&A能力が手を組めば、これまでヘルクレスやヴァーゴも参入できなかった上流業界の買収に取り組むことができます」
これを聞いた会場からは大きなどよめきが起こった。
「つまり、転生バリューチェーンの上流である転生リクルート企業から、中核の転生マッチング企業、そして下流の異世界運営までの完全垂直統合を目指すことができます。転生業界の世界を根本から変えていけるのです。ぜひ力を貸してください」
メイは深々と礼をする。
やがて、一人の役員が立ち上がると拍手を送り始めた。続いて一人、さらにまた一人と役員たちの拍手がどんどん増えていく。メイは、やっとほっとした表情で振り返る。
メイのプレゼンは、大成功で完了した。
控室に戻ると、メイはすぐにソファに転がった。全力を使いつくしたということだろう。
「どうでしたか?どうでしたか?」
ユナがそわそわして聞いてきた。
「メイは完璧にプレゼンをしていたよ。見事だった」
「それはよかったです。では、おそらく合格通知、期待できますね」
「そうだといいね」
そして、待つこと1時間。ドアがノックされる。
「メアリー様、もう一度レセプションホールへお越しください。役員から結果をお伝えいたします」
「わかりました。じゃあ、ハルトさん、いきましょうか」
「いえ、メアリー様おひとりでお越しください」
「え?」
メイは、不安そうにおれの方を見る。
「ここから先はエージェントが出る幕じゃないということさ。大丈夫だ」
おれは極めて冷静な態度を心がけた。
「うちの役員と君が直接一堂に会して契約にサインをする。そのあとは成約歓迎パーティも開かれる」
信じられない、といわんばかりに開いた瞳から、また涙がとめどなく流れだした。おれはメイの肩をやさしく両手で抱きしめる。
「よくがんばったね。長い間。さあ、胸を張って行っておいで」
「でも、ハルトさんも一緒に……」
「これがルールだよ。みんなそれぞれの役目があるんだ。さあ、君の役目を果たしておいで」
メイはこくんと頷くと、何度も振り返りつつも、ついにひとりでレセプションホールへと歩いていった。それを見送ると、おれはユナに向かった。
「ユナもありがとう」
「とんでもないです。メイさんがCFOの会社と一緒になれるんだから、私もうれしいです」
「そうだな。さて、おれたちもここで解散しよう。ミッションコンプリートだ」
「はい。では、またどこかのプロジェクトで。ハルトさんとメイさんとご一緒できるように期待していますね。失礼いたします」
ユナが出ていく。一人残ったおれは、控室の冷蔵庫から勝手にシャンパンを取り出す。
グラスに入れると一気に飲み干した。もう一杯、さらにもう一杯。
仕方がない。
これでお別れなんだ。
おれは現場を走り回るエージェント。一方、メイ、いやメアリーは買収後は親会社CFO。どう考えたって、一緒の世界にいられる関係ではない。
おれはメイを抱きしめたときの温もりと、あの柔らかい唇を思い出す。ひとときの夢だったな。いい夢だった。
「おめでとう、メイ。元気でな」
いつの間にか、おれの視界は涙でにじんでいた。
たどたどしい足取りで、ホテルの部屋に戻る。
部屋の明かりすらつけずに服を脱ぎ捨ててベッドに倒れこむ。
今日一日の出来事、長かった。明日からどうなるのだろう。
今までは……いつかどこかでまたメイと一緒にチームを組める。そういう気持ちがあった。でも、今日、その期待すら消え去ってしまった。
今後、おれと一緒に現場でタッグを組むことなどあり得ないだろう。本当は……
「また、メイと組みたかったな……」
口に出すと寂しさが倍増するのはわかっている。でも、ついつい口に出してしまう。
今夜だけ。今夜だけは、寂しさを口にしても、いいだろ?
そんなおれの頭の中では、メイの美しい声がこだまして離れなかった。未練が強すぎるのか、しだいに空耳が明確になってくる。
(ハルトさん、待ってたんですよ)
……いや、空耳じゃない。おれはガバッと体を起こす。
すると、薄暗い部屋の奥に、バスローブ姿のメイがほっぺをぷっくり膨らませて立っていた。
「メイ?なんでここに?」
「ハルトさんのいないパーティなんて意味がありません。さっさと抜け出してきたんです」
「……まったく、君という奴は」
「それよりも、パートナー解消みたいな口調でしたけど。そんなの嫌です」
「何言ってるんだよ」
「だって、ハルトさん、私のことを大事なパートナーだって言ってくれたじゃないですか。私も、ハルトさんと一緒じゃなきゃ嫌です」
メイはさらにぷっくりとほっぺたを膨らませた。
「無茶言うなよ」
「どこが無茶なんですか?」
「だって、君はCFO。おれはエージェントだ。立場が違いすぎるだろ」
「だったら、CFO辞めます」
「え?」
まったく、無茶も大概に……そう言いかけて、おれは言葉を飲み込んだ。メイの表情が真剣だったからだ。
「ハルトさんと一緒にいられないんなら、私CFOなんかやらない」
メイはいまにも泣き出しそうだった。
ありえない。ヴァーゴほどの優良企業のCFOの地位。これは常人では何百回転生を繰り返しても到達できる地位ではない。その地位を放り出すなんて……
「ハルトさんと一緒にいたい。一緒に仕事して、一緒に遊んで食事して、夜は一緒に寝たいの。だからCFOになってこの買収を計画したんです」
「それって?」
「私は以前ハルトさんに助けられたことがあるんです。だから、ハルトさんに会いたかった。今回の買収の件をつかって新入社員としてもぐりこんだのも、買収のためじゃなくてハルトさんに会いたかったから」
「……そんな……」
「だから、もうCFOの肩書なんていらない。ハルトさん、さっき言ってくれたでしょ。私のこと、大事なパートナーだって」
メイの顔は涙でぐしゃぐしゃだ。それでも、懇願するようなまなざしでおれを見つめる。
「私も同じ気持ちです。あなたは私の大事なパートナー。私は、あなたのことが好き。だから、あなたと一緒にいられないなら、CFOなんか辞めてもいい」
おれは言葉をなくした。唐突すぎる。非現実的だ。
それなのに、おれの体は勝手に動いていた。
メイは立場なんて関係ないと伝えてくれた。
おれも、メイに伝えたいんだ。本当はおれも……
おれはメイの両肩にそっと手を置く。
雲が流れて、窓から月の明かりが差し込んでくる。
メイのプロポーションが月明かりに照らされた。
あまりにも美しく神秘で、おれは言葉もなく魅入った。
「触っても、良いんですよ?」
いつものように、からかう口調。でも、今ならわかる。メイの肩は、メイの声は、震えていたんだ。
そうか。
今まで、ずっと不安だったんだな。それでも、こうやって、ずっとおれを待っていてくれたのか。
おれはメイを強く抱きしめた。
「……お月様が見ているわよ」
「見せつければいいさ」
メイの温もりはおれの全身に染み渡っていった。
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