第18話
初めてこの力に気付いたのは、母に渡す花に虫がついていたせいだった。
まだまだ蕾のその花は、星の形に開いて可愛らしいのだ。白い花びらの中心部は薄い青色をしているのでブルースターと呼ばれていた。
ブルースターは多年草で、寒い集落でも花をつけるので、贈り物や飾り物として良く摘まれていた。
その日のアビーも母への誕生日プレゼントにブルースターを摘み回っていたのだ。まだアビーは八歳で、狩りに出掛けて獲物を獲ることも出来ないでいた。
小さな花をひとつ摘み、花束を作ろうか、花冠を作ろうか、なんてネーヴェに話し掛けていた。
そんな可憐な花に、虫がついていた。五ミリもない小さな虫だ、アビーが息を吹きかけて追い出そうとしたのは当然の結果だった。
花びらが揺れる程度のささやかなものだったのに、アビーの足元では草が伸び、蕾だった花は開き、木々は青々と繁った。アビーは突如現れたブルースターの花畑に驚いて、次いで飛び跳ねて喜んだ。
これでお母様に花冠も花束もあげられるわ!
ネーヴェが尻尾を振る度に草木が揺れる。アビーはせっせと花を摘み、花を組み、出来上がった花冠をネーヴェの耳に引っ掛けた。
「それで、興奮して母に言ったんです。母は勿論驚いて、そして真っ青になってしまって」
その頃にはもう、アビーの髪は銀に染まってしまっていたから、母も心の準備は出来ていただろうに。それでも母の表情は驚愕に彩られてしまった。
「思うに、あなたがため息ひとつで力を使ってしまうのは力が余っているからではないのか?」
「そんな事、考えた事もありませんでした」
「私も詳しい事はわからないが……コンラートは定期的に治療院に行っていた筈だ」
話しながらアルノルドは壁際のテーブルを寝台の傍に移動させた。そしてアビーが持っていた盆を置く。村長が僅かばかりの食料をくれたのだ。
くず野菜のスープとカチカチに乾いたパンと水だったが、何も無いより有難い。
アルノルドは丸椅子に腰掛け、アビーに寝台を勧めた。
「学院でも怪我人を率先して治していた」
「でもわたしが勝手をする訳にはいきません」
「だがこれからは人前に出る機会も増えるだろう」
ハドラ王家の加護の力は、本人が祈る事によって発揮するものと、そこに居るだけで周囲に影響を与えるものの二通りが存在する。アビーは明らかに前者だ。
「ため息ひとつで実るのは異常だ」
そうは言ってもアビーにはどうする事も出来ないのだ。
否、山や森の中ならば多少草木が生えても問題はないだろう。問題はアルノルドが懸念するように、人前で力を使ってしまう事なのだ。
「これが実りの季節なら問題ないのですが」
「問題しかないことを自覚してくれないか?」
アビーはアルノルドからの視線を避けるように固いパンを食んだ。ほのかな酸味と小麦の風味を味わうように唾液でふやかし咀嚼する。殆ど味のしないスープは冷め始めて温かった。
「アルノルドがいなければ今頃わたしは母の故郷にいたのでは……?」
「…………」
それはそうだな、と思ったのでアルノルドも黙ってパンを食んだ。
旅は続いた。ネーヴェは今頃なにをしているかしら、と考えはするものの、それは集落にいた頃も同じだ。
ネーヴェはどこからともなく現れて、溶けるように姿を消すのだ。魔物もどこからか現れるけれども、彼らは人知れず巣を持って繁殖するのだから、聖獣とは別の生き物なのだと思い知らされる。
村長宅を出る際に食事の礼だと再度小銭に握らせて、アビーたちは早朝に村を出た。
冬の終わりとは言え、早朝はまだ肌寒い。突風が吹いて、アビーはローブの前身頃を握りしめた。人気が無いとは言えどこに人目があるかわからないのだ。
フードが脱げないよう用心深く被り直し、アビーは隣を歩くアルノルドを見上げた。
「カルロさんはいついらっしゃるのでしょうか」
アルノルドは目を丸くする。そうすると涼やかな表面に幼さが滲むのが新鮮だ。しげしげと眺めるアビーから顔を逸らし、アルノルドは考えるように目を伏せた。
そうだな、と懐からカフスを取り出し指先で弄ぶ。
「あと二、三日と言ったところか」
「それは?」
「魔力を注ぐと片方に反響して返ってくる」
ほら、と手渡されたそれを、アビーは物珍しげに空に翳して見せた。
「ふ……」
「なにか」
「ふふ……っ」
ふっふっふっ、アルノルドは口元を抑えて震えている。なにか。アビーの口からは同じ問いかけがつい出てくるのに、その響きは先程よりずっと拗ねていて、アルノルドの震えはますます大きくなってしまった。
「なんなんです」
「その、じっと見る癖が面白くて」
アルノルドは闊達に笑ってそう言った。金色の髪が揺れている。彼はこんな風に大口を開けて笑うのか。
アルノルドの笑う様をじっと見て、じっと見ている事に気が付いた自分がおかしかった。
「だって見た事がないのですもの」
「カフスを?」
「カフスと言うのですか?」
「それも知らないのか」
そうだ、自分は何も知らないのだ。
カフスも、カフスに使われている輝く石も、それが魔力を通すものだと言う事も。アビーは何も知らないのだ。
「わたし、本当に何も知らないのね」
蒼色の石は傷ひとつない。表面のファセットは滑らかで、角度を変える度に濃淡が変わった。
「これは大蛇の眼球が魔核になったものだ。ふたつでひとつだからこう言う使い方が出来る」
「大蛇は聖獣なのでは」
「それは白蛇の事だろう。これはただのサーペントだ」
へえ、とアビーは頷いた。大蛇の魔核にしては小さいなと思ったし、サーペントとは強そうだなと思ったのだ。
子供みたいな感想で口にはしなかったけれど、アルノルドには伝わっていたのだろう。
彼は苦笑しながらカフスを取り上げた。
「魔核は不純物も多いから、純度を上げようとすると削ったりなんだりで小さくなるものだ」
「思ったより割に合いませんね」
「その分高価ではあるから金銭面を考慮すると十分儲けは出る」
ならばあの集落でも魔核は手に入ったのだろうか。
そうしたら収入源になったのに。
「アビー、どうした」
「なんでもありません」
まだ集落を出て五日なのに既に昔の事のようだった。
それからもふたりは黙々と歩き続けた。相変わらず馬車とは行き合わなかったが、ひとり、ふたりと旅人とは出会った。
一方は駆け出しの冒険者で、もう一方は旅商人だ。どちらも北側からやって来たようで、この辺りの寒さはマシですね、なんて笑っていた。
「冒険者なんてわくわくしますね」
「無理はするなよ、頼むから」
「わくわくしすぎて溢れ出しそうです。丁度畑もありますし」
「雑草だったら可哀想だろう」
休耕中なのか、茶色い畝だけが残る畑が左右に広がっている。村長宅から出て半日が過ぎて、三つ目の村を通り過ぎた辺りだった。
アルノルドの言葉を信じるならば、あと半日で村より大きな町に出るらしい。
村と言うよりは農繁期に住む集落のようで、農閑期の今は数戸の家族がひっそりと暮らしているだけだった。町に家を持っていないか、金がないか、人混みが苦手かのどれかだろうとアルノルドは言った。
「母君との約束はどうした」
「覚えておりますよ。だから何もしていませんでしょう」
「不安だ……」
アルノルドの言う通り、雑草が生えてしまっては可哀想だ。土手の周りに生えるくらいなら気にはしないが、今までの結果を見るにコントロール出来るものでもないだろう。
田畑に種子でも植わっていれば、それが成長するのだろうけれど。
「早く春になってくれないかしら」
「あと一月もすれは春だろう」
そうか、あと一月で春なのか。
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