第17話
昼間に一眠りして、夕食を食べて、また眠って早朝に宿を出た。気のいい女主人はわざわざ朝食にサンドイッチを二人分用意してくれていたのだ。
チーズとベーコンを挟んだだけの簡単なものだったが、時間を考えれば無理をさせただろうに。
寝起き顔の店主と身支度をすっかり整えた女主人に見送られ、アビーたちは村を後にした。
「村をいくつか経由すると大きな街に出るはずだ。そこでギルドに登録しよう」
「ギルドは街にしかないのですか」
「魔獣が頻繁に出る村ならば簡易的なギルドがある所もあるが、基本は領主のいる街だろうな」
村から村へは徒歩で半日程度掛かる。運良く行商人にでも会えれば相乗りを頼む事も出来るだろうが、今の季節ではやや難しい問題だ。
かと言ってネーヴェを呼ぶには見晴らしが良すぎた。山林は目視出来ても遠く、周囲は畑と小高い丘が広がるばかりなのだ。
アビーたちは黙々歩き、川を見つければ休憩を挟み、すれ違う旅人に挨拶をした。
「旅人さんはどちらからいらっしゃったのですか?」
「俺はサデースの辺境にあるハフクって村の出だ。細々と両親と畑を耕してたんだが、昨年その両親がおっ死んじまってなあ」
旅人を含めた三人は、丘の上にぽつんと生える木の木陰に座り込んでいた。
宿を出て早六時間、休憩を挟みつつも疲労は蓄積されている。アビーは棒のような脚を擦り、アルノルドが用意した水を口にした。水はアルノルドが魔法で出したものだ。
旅人も「よっこらせ」と気の抜けた声で草の上に座り込んでいる。
「最近……と言ってももう二月は前だが魔獣が頻繁に出るようになって村を捨ててきたんさ」
「まあ、大変でしたのね」
「国境に魔獣が出るのか?」
「いや、うん、どうかねえ……辺境とは言え村は国境よりずっと内側だからねえ」
旅人は随分と草臥れて見えた。着の身着のまま家出したような、粗末な服にごわつく上着を羽織って首に手拭いを巻いている。
どうかねえ、と旅人は再び呟いた。
「最初は一角兎程度だったのになあ」
一角兎は文字通り額に鋭い角を一本持っている。基本的に臆病な性格で、滅多に人里に現れる魔獣ではなかったが、全くないとも言い切れなかった。
主食が草なものだから、草木の枯れる冬の間に作物を荒らしにやってくるのだ。だからこの旅人も、当初はまた一角兎が現れたな、程度にしか思っていなかった。
はて、おかしいなと気がついたのは、一角兎の数が増え、ロックバードが上空を旋回した時だ。
そもそも男の住んでいた村は、辺境と言ってもそこまでにも二、三の村が点在している。百人程度の村人たちが細々と田畑を耕し暮らすだけの小さな小さな村だった。
そんな村にロックバードがやってきたのだ。村は恐慌に陥った。ロックバードは獰猛な肉食獣だ。普段は山岳地帯に巣を構え、野生動物や魔獣を狩って生活している。
巣に足を踏み入れた人間を食うことはあっても、わざわざ縄張りから離れることもない。だというのに。
「ロックバードは一角兎を追ってきたんだろう、ということになった」
一角兎に畑を荒らされ、一角兎を狙ったロックバードに土地を荒らされた。
追い払おうにもロックバードは大人が両腕を広げてもあまりある躯体をしている。筋肉質で羽根は硬く、羽ばたきは突風をもたらした。
「それで逃げてきたのですね」
アビーは神妙な顔で頷いた。集落でも一角兎は見たことがある。大人の膝丈程の大きさで、子供の狩りの練習相手だった。噛みつかれれば肉を剥がれるが、命に関わる程でもない。追いかけ回せば立ち向かうより逃げるような魔獣だった。
だから、旅人の慢心は理解が出来た。
「村人の半分は持って行かれた。残ったのは歩けもしない老人と、運良く村を離れていた奴らと潰された家の隙間で難を逃れた連中だけだ」
それでも半分生き残ったのは僥倖だったのか、それはもはや旅人にもわからないことだった。旅人はすぐさまあの村を捨てたのだから。
「あんたらも気をつけなよ。聞いた話じゃ他にも魔獣にやられたって所があるみたいだからさ」
旅人はのそりと立ち上がって手拭いを首に巻き直した。ズボンについた土埃を払い、軽く会釈して歩き出す。後ろ姿は随分とくたびれていた。
これからアビーたちの出立した村へ行くのだろう。
「旅人さんもお気をつけて」
「ああ、ありがとよ」
ざくざくと擦り切れた靴底が乾いた土を踏みしめる。ふたりは旅人を見送った。
「……はあ」
恐ろしい話を聞いたしまったな。胸いっぱいの不安を吐き出すように、アビーは思わず息をこぼす。
「アビー……気をつけろと言っただろう」
頭上には青々とした葉が揺れて、眼前には瑞々しい草花が揺れている。
「山桃の木でしたか」
「呑気すぎる」
アルノルドは頭痛を堪えるように眉間を押さえ、頭上を見上げた。たわわに実った赤い木の実は今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。細かな粒状の表面が際立っていた。
仕方がない、と思う気持ちもあった。誰だってため息をつきたい気分の時はあるだろう。それをやめろというのも酷な話なのだ。
アルノルドは、つい、と指先を操ってみせた。
「間食にはなるだろう」
「まだまだ先は長いですものね。馬車が通ってくれればいいのですけれど」
「あと半日頑張れば村に着く。食べたら出発だ」
瞬く間に山桃はアビーの膝に集められた。木の実の付け根は刃物で切ったような滑らかな切り口をしている。一房、二房、次々集められる山桃の房を落とさないよう、アビーは慌てて腕で囲った。
「アルノルドもどうぞ」
「ああ」
「甘酸っぱくて美味しいですね」
「そうだな」
ぎゅっと詰まった果肉と果汁は口の中で弾けていった。
「アビーは魔獣を見たことはあるのか」
「もちろんです。さすがにロックバードはいませんでしたが、一角兎やコボルトが多かったですね」
「他にはいなかったのか?」
「他は……鹿? でしょうか」
「なんだその疑問符は」
鹿? の魔獣はアビーも一度しか見たことがないのだ。ネーヴェと森の奥にある湖で遊んでいた時に、さらに奥からやってきて、水を飲んで帰ってしまった。
青々しい毛皮に蔦のような紋様が浮かんでいて神々しかったのを覚えている。二本の角は大きく美しい金色で、何度も枝分かれをしていた。
「ネーヴェが警戒していなかったので、悪いものではなかったのかなと思って」
「聞いたことのない魔獣だな」
「雪山にしか生息していないのかもしれませんね」
たわいない話を続けながら二人は街道を歩き続けた。土色ばかりが広がる田園を抜け、小川の凍る草原を抜け、夕陽が沈み終わりそうな時刻になって、やっと次の村へと辿り着いたのだった。
「明日の早朝に出発で構わないか?」
「問題ありません」
次の村には宿が無かったので、村長に金と余った山桃を握らせて一部屋借り受けた。埃っぽく寒々しい部屋だったが、突然訪ねたのだから文句も言えない。
藁を詰めただけの簡素な寝台は長年放置されていたように見える。四角い四本足のテーブルは狭く、丸椅子が一脚壁際に置かれていた。きっと子供の部屋だったのだろう。
アビーは気にした様子もなく、村長の妻が用意してくれていた湯桶に手拭いを浸していた。ギュッと固く絞ったそれをアルノルドに手渡して、もう一枚用意する。
湯気のたつ手拭いで顔を拭くと気分がすっきりとした。
「集落を出ればもっと豊かなのだと思っていました」
「食うに困らない、と言う話なら狩りで生活が成り立つ集落の方が余程豊かだろう」
作物は日々の天候に左右される。雨季が長引けば作物は腐り、日照りが続けば干からびる。
毎日水をやり、虫を取り、間引きをする。そうして汗水垂らして育てた作物でさえ、少なくとも三割は徴収される。
家畜を育てるにも餌がいるのに、ただ雑草をやれば良いだけでもないのだ。
「大変なのですね」
「だからあなたの加護は誰もが欲しがる。例え人を殺してでも」
だから、迂闊に力を使ってはならないのだ。
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