第12話
庭園は薔薇の花が見頃だった。花弁は大きく枚数も多い。クイーンローズの名に相応しく豪奢で気品のある佇まいをしていた。
アーチを潜った先には池があり、水鳥が悠々と泳いでいる。夏の強い陽射しが水面に照り返し、アルノルドの目を焼いた。
その傍らのガゼボには既に本日の招待主が姿勢正しく腰掛けている。
国王と同じ銀の髪は項で切り揃えられ、風に遊ばせて、色白の頬を染めて、アルノルドの姿を認めて立ち上がった。
「初めまして、アルノルド様。コンラートと申します」
「この度はご招待頂きありがとうございます。アルノルド・フォン・サンタバユスです」
差し出された手を握る。柔らかそうな見た目に反し、手のひらには剣だこが出来ていた。
「ハドラ国はいかかでしょうか」
「とても過ごしやくす豊かな国ですね。皆、私にも良くしてくれています」
しかし些か暑すぎる。
ガゼボの屋根のお陰で直射日光は避けられているが、蒸された空気はアルノルドの額に汗を浮かべさせた。
コンラートはくすくす笑って冷えた紅茶をアルノルドに勧めた。
「ハドラは南にあるので夏はどうしても暑いのです。どうぞ、冷たい紅茶を飲んでください」
透明のグラスには透き通った赤色の液体が注がれていた。グラスの表面は温度差で曇り、紅茶の冷たさを物語っている。
アルノルドは勧められるまま、グラスに口を付けた。
「氷を入れると薄くなるので、熱い紅茶を直ぐに冷やしているのです」
「美味しいですね」
「僕は魔法は使えないので簡単そうに使っていて凄いなあと思うのですけど」
コンラートは人懐っこい性格で、ころころ笑って、側仕えにも気安かった。こっちが専属騎士で、こっちは筆頭侍女で、と手のひらを向けて紹介してくる。
アルノルドは背後に控えるカルロを紹介した。
「アルノルド様と仲良くなれそうで良かったです。父上も安心するでしょう」
「それは……」
何か素性を疑われているのだろうか。内心気色ばむアルノルドに気が付いたのか、慌ててコンラートは首を横に振った。
「僕には友人がいないのです。仲の良い貴族の子たちにもどこか一線引かれてしまって」
「コンラート様が王族だからですか?」
アルノルドにもその気持ちはわかる。腫れ物ともまた違う、なにか崇高な者を相手にするような、恐ろしい者を相手にするような、そういう一線が確かにあるのだ。
アルノルドをひとりの人間として見ずに、王族という括りで見られるのは仕方がない事かも知れない。王族というのは貴族の、国民の頂点に位置するのだから。
けれどもコンラートの様な性格で、多少気安く接して問題になるだろうか。ならないのではないか。
「この国では、王家は神の子なのです」
——ああ。
思わず出そうなため息を紅茶でやり過ごす。冷たい液体が喉を通り食道を通り胃に到達するのをまざまざと感じた。紅茶はずっと冷たいままだった。
彼の持つ加護はなんだろう。時代の流れを先取る様に、ハドラ王家の子供は準じた加護をその身に宿す。
加護を受けると髪色が代わり、子供から神の代行に成り代わるのだ。
「神と人は対等ではないのです」
政治的な問題もなく、家族仲も恐らく良く、使用人たちも皆優しく思いやりに溢れる王宮で、彼は可哀想な程に孤独を感じているのだ。
「私も似たようなものですよ」
え、と驚いて目を丸くするコンラートに笑い掛け、アルノルドは手のひらを上向けた。
「私の国では光魔法を殊更特別視します」
争いの絶えない国だった。隣国と国土を奪い合い、食い物を奪い合い、死体を埋めた土から疫病が流行る国。
それでもなんとか生活出来るのは光魔法を持つ人間が生まれるからだ。
「光魔法は病を癒し怪我を癒し土地を癒します」
「すごい……光ってる……」
この世の魔法の殆どは四大元素の火水風土だ。光を灯すのに火を使い、土地を潤す為に水を使う。光魔法は、そして闇魔法もその原理に準じない。
これは純粋な魔力の素質だと提言したのは高名な魔術師だった。
「手を」
恐る恐る伸ばされる手に、アルノルドは出現させた球体を触れさせた。
「あたたかい……」
「コンラート様は随分お疲れのようですね。剣の稽古が大変なのでしょう」
「実は昨日模擬試合でこてんぱんにやられました」
コンラートは朗らかに笑った。徐々に収束する光の中から、剣だこのなくなった手のひらが現れる。
日に焼けた肌が小麦色をしている事に、アルノルドは今更ながら気が付いた。稽古は外で行われているのだろう。顔には怪我をしない様に兜をつけているのかも知れない。
「すごい! 剣だこが治ってる!」
見て! コンラートは背後の騎士や侍女に自分の手のひらを見せた。
「治ったという事はまたまめが出来て潰れるという事ですよ」
騎士が態とらしい厳しい顔つきをしている。侍女は「まあまあ」と目を丸くしてコンラートの手のひらを撫でた。
「アルノルド様の魔法はすごいのですね!」
「これでも光魔法使いの中ではまだまだ修行の身です」
だってアルノルドは十二歳の少年なのだから。指先ばかりの灯りが、やっと手のひらの大きさにまでなった。
ちょっとした傷ならなんの苦労もなく治せるようにもなった。けれども神殿に勤める聖女たちのように、喘鳴を繰り返す病床人を健康にするまでには届かない。
「それでもすごいです! 僕と同じ歳なのに全然違う」
コンラートは柔らかさを取り戻した手を握りしめて苦笑した。
「コンラート殿下は治癒の加護をお持ちだそうです」
「そうなのか?」
夜、コンラートにねだられて夕食を共にした後、アルノルドはカルロを連れて部屋に引き下がった。
コンラートはもっと話したいと引き止めたが、到着したばかりのアルノルドはやる事が山積みなのだ。
父王に使節団としての成果も報告せねばならないし、ハドラ国の勉強もしなければならない。魔法の修練も、剣の稽古も後回しには出来ない。
ハドラの穏和に慣れてしまうのは命取りだった。
執務机に向かってアルノルドは父王への手紙を認めた。ハドラ国王は問題なく献上品を受け取った事、遊学の便宜も苦言なく図ってくれた事、使節団にはハドラで買い付けた日持ちのする食料や、工芸品や織物を持たせる事を書き綴る。
「治癒の加護なら自分の疲れも取れそうなものだが」
「自分にはあまり効果がないようですね。この国の加護は根本的に民の為にあるのでしょう」
「なるほどな」
しかしカルロはどこからそんな情報を得るのだろうか。ハドラの歴史書には過去の加護について記されているが、歴史と言うからには先王までの話なのだ。
過去、武力でもって王族の力を得ようとする蛮族がこの国になだれ込んだ挙句に高位貴族の娘が拐かされた事例も存在する。
故にハドラは秘密主義ではなかったが、神に纏わる事柄について大々的に公言したりはしない。
「専属騎士殿と手合わせをして仲良くなりました」
「お前は他国で何をしているんだ?」
「仕事ですが」
「…………今回はそういう事にしておこう。それで?」
「妹にあたる王女殿下を救えなかった事をずっと悔やんでいるそうです」
悲劇の王女アビゲイル。他国にまでその名が轟くのは外交国の多さ故だろう。ハドラを訪れていた旅人が、商人が、貴族が情報を得て拡散したのだ。
侍女が殺したアビゲイルは国民により語り継がれ、今なお彼女の生まれた日には花束が王宮へと届けられる。
「治癒の加護を持つ者がいながら救われなかったアビゲイル王女か……」
なにか、少しきな臭い。
ハドラ国王の加護は時代の流れに沿って現れるのに、アビゲイルはなぜ救われなかったのか。
王妃の不貞など有り得ないだろう。彼らは各王族から見ても仲睦まじい夫婦なのだ。
神の国で、神の代行の直系である子供が簡単に死ぬ運命にあるのだろうか。
ならばなんの為の加護なのだ。
「まあ、私は次期からの学院を楽しもう」
考えたって仕方がない。アルノルドは光魔法が使えるだけの客人だ。
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