第10話

 悲劇の王女アビゲイルは、生まれと共に死を告知された。王妃の懐妊は国民にまで知れ渡っていたからだ。

 城内ではその元気な産声を聞いた者も多く、病死とするには不自然だった。


 国民は勝手な侍女に憤り、偽の絵姿が巷に出回ると冤罪を被せられる事件が横行した。茶色の髪に茶色の瞳は多く存在したのだ。王都では警備隊が監視の隊列を組み、教会は王女への冥福で賑わった。


 この国は唯一神ハドラと並行して王族信仰も顕著であった。


 神からもたらされた加護が続くのは王族だけだからだ。神話の男はこの国の始祖であり、初代国王であり、神の代行だった。


 唯一神ハドラを信仰する事は、王族を信仰するのと同じであった。


「王族は神の光を受けて髪の色が白く染まったと言う」

「なるほど」


 久しぶりにフードを脱ぐと開放感に見舞われた。風呂上がりの湿った髪をがしがしと拭って、分厚い寝巻きに上着を羽織る。


 アルノルドはアビーの粗雑に胡乱げな視線を向けて、長いため息をついた。


「手紙には書いていなかったのか」

「敢えて書かなかったのだと思います。他人に見られた場合を想定したのではないでしょうか」

「ハドラの内情を知らなければ意味は伝わらない、か」

「髪の色さえどうにか出来れば良いのですけど」


 不思議とこの髪は染まらなかった。インクをつけても拭えば落ちる。よく染まると言う髪染めも、水を浴びれば綺麗に溶けた。


「神の祝福だからだろう」


 始祖から脈々と受け継がれた祝福は、加護の顕現と時を同じくして髪色に現れる。


「他国の事なのによくご存知なのね」

「王妃の癇癪が面倒で遊学していたんだ」

「サンタバユスとハドラは国交がおありなのですか」

「無い、とは言いきれない」


 随分と歯に挟まった物言いをするものだ。アビーは冷めた不味い茶を啜って視線を向けた。


「私が遊学する数年前に我が国は凶作で、ハドラに援助をして頂いた」

「ハドラは不作とは無縁でしたかしら?」

「あれこそ正に祝福の恩恵だろうよ」


 あなたはハドラの建国神話を知っているか。アルノルドはテーブルの上で手を組んで、じっと己の手を見つめている。アビーはそろりと首を横に振った。


 母は言葉を教えても、地図を教えても、ハドラの内情は教えなかった。


「あの国が中立国家でいられるのは、神話が事実だと国土が物語っているからだ」





 あれは確か十四、五年前だったと、男は静かに語り出した。アルノルドがまだ四歳になるかならないかの歳だ。


 今年の誕生祭はいかが致しましょうかと、幼いアルノルドの侍従はにこにこと微笑みながら問いかけた。


 ひとりでじっと椅子に座っていられるようになっていた。年頃の近い子息を呼んで、友人という名の側近選びがアルノルドを他所に始まっていたのだ。


 まだまだ遊びたい盛りだったものだから、友人を呼んで庭でパーティーがしたいと思った。


 けれども今年の兄の誕生祭で父も兄の母も兄も、そして自分と自分の母すらも檀上の豪奢な椅子に座ってひたすら貴族の挨拶を聞くばかりだったのだ。


 きっと自分の誕生祭も似たようなものだ。


 幼いアルノルドは、うーんと声に出して悩んだ。


「おなかいっぱいケーキがたべたい」


 油っこい食事より、デザートの甘さが好きだ。侍従は「それは良いですね」と笑って、じゃあどんなケーキが良いか考えないと、と幼いアルノルドに一枚の紙を差し出した。


 苺を挟んだ焼き菓子に、生クリームをたっぷり掛けたケーキ。チョコレート味のプディング。食べたいデザートがどんどん出てきて、仕舞いにはお腹が鳴った。ごほっ、と笑いを誤魔化す咳払いがあちこちから幼いアルノルドの耳に入る。


「今すぐケーキをたべろと腹が言ってる」


 ゴホッゴホッ! 侍従はぶるぶると肩を揺らし、傍に控える騎士はそっと顔を背ける。


 侍女はぎゅっと眉間に皺を寄せながらベルを鳴らした。


 そんな恥ずかしい思いをしてまでデザートを書き出したのに、アルノルド少年の記念すべき四歳の誕生祭は質素倹約な催しとなってしまった。


「すまない、アルノルド。国の備蓄を民に配ったのだ」

「びちく?」

「城にある食べ物や飲み物を民にあげたのだよ」

「そうなのですか」


 兄の時と同じように貴族の挨拶を受け続け、我慢と同時に腹が鳴った。ここ最近、食事の量が少ないな、とは思っていたのだ。


「民に食べ物をあげないといけなかったのですか?」

「これから暫くは」


 伺い見た父親の表情は険しかった。幼いながらも、なにか困った事が起きているのだとは理解が出来た。


「父上、私はへいきです」

「そうか……すまないな。事が落ち着いたら好きなだけケーキを食べると良い」


 しかし一年後も二年後も、いっかな国は落ち着かない。日照りが続き干ばつが起きた。豪雨で川が氾濫した。蝗害で農作物を食い荒らされた。


 領地間での援助では間に合わず、被害を免れた各領地から広く薄く物資は届けられたが、到底次の収穫までは間に合わない。


 城の中は落ち着きがなくなって、文官たちはひりりとした空気を纏っていた。


 ハドラに援助を申入れよう、となるのは自然な流れだ。近隣諸国ではサンタバユスを定期的に援助出来る程の収穫は見込めない。


「ハドラって神の国でしょう?」

「アルノルド殿下、お言葉が乱れていますよ」

「はい、申し訳ございません、先生」

「結構です」


 父親よりもずっと年上の教師は目尻に皺を刻んで微笑んだ。丸眼鏡からはチェーンが垂れて首の後ろに回っている。乱れなくスーツを着こなし、白いクラバットを赤い石のついたブローチで留めている。


 白髪混じりの黒髪なのに、ぴんと伸びた背筋が彼を若々しく見せた。


 教師はぺらぺらと教本を捲った。描かれた地図の一部に指を置き「ここがハドラです」と言う。


「殿下の仰る神の国と言うのはハドラ建国神話の事でしょうか」

「その通りです。先日本で読みました」

「ええ、ええ、ハドラの建国神話は面白い! 非常に胸の踊るお話です」

「作り話なのですか?」

「建国史の殆どは大仰に誇張されております。しかし……」


 教師は一度言葉を区切り、顎に指を掛けて何かを考えるように視線を巡らせた。


「ハドラに関しては事実ではないかと昔から議論されております」


 この世には魔法がある。魔物も聖獣も存在するが、それらがいつから存在しているのかは、歴史学者でも解明出来ない世界の謎だ。


 古代文明が突如出現する訳でもなく、地面を掘っても化石は出ない。魔物は殺すと魔核を残して土に還る。魔力の源となるからだ。


「先生はなぜそう思うのですか?」


 魔法があり、魔物がおり、聖獣が生きているのなら、神もこの世にいるのだろう。だが魔物を切っても麦は実らない。


「不思議な事にハドラは不作凶作になった事がないのです。国民は皆肌艶も良くふくよかで、土地は瑞々しく病気にならない。あの国で疫病が流行ったと言う話は一度も聞いた事がございません」

「不作がなくて疫病がないから事実なのですか?」

「天候は地形に恵まれているから安定しているのかも知れません。しかし疫病を予め防ぐのは難しいのです」


 薬で治る疫病はただの病気だ。幼いアルノルドは未だ流行病を目の当たりにしてはいないが、過去には一日で何百何万と民が死んだ病もあるのだ。


 原因を突き止める為に年月を費やし、病人を隔離し、村を焼く。


 思い出される文章に身震いした。時代は暗黒を極めただろう。もし今後疫病が蔓延したら、自分は役に立てるだろうか。


 まだまだ指先程度の明かりしか灯せない己の小さな手のひらよ。


「祝福……」

「王家の直系には加護が宿ると言われております。初代から三代までは豊穣の、その後は時代によって叡智や戦、法の加護もあったとか」

「それは……不思議ですね」

「ええ、全く不思議な事に、加護を持つ王家の方々は魔力を持たないそうですよ」


 神はいるのだ、本当に。


ならばなぜハドラだけに加護を与えたのだろうか。この国は今飢えに直面していると言うのに。

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