第3話

「人に追われていたから警戒していた。申し訳ない」

「こんな所で行き倒れているのですから相応の理由があるのでしょう」


 疲れたのでわたしは寝ます、とアビーが宣言して丸一日の事だった。男は律儀にアビーが目覚めるのを待っていたのか、薄暗闇の中で膝を抱えて入り口の狭間を睨みつけていた。


 男の手元には球体が浮かんでいる。最初に見た頃よりも色が薄いのは、ランプの代わりなのだろう。


 アビーはのっそりと起き上がり、転がしたままだった水筒に口をつけた。そして落ち着いた頃に男は突然話し始めたのだった。


「狙われる理由はわかっているのですか」

「十中八九政敵だろうな」

「せいてき」

「政治の敵だ。私と敵対関係にある派閥が差し向けているのだろう」


 なるほど面倒な人間と顔を合わせてしまったようだ。不幸中の幸いと言えば相手にアビーの顔が見られていない事だろうか。やはり男は貴族だったのだ。それも光属性を持っている。


 魔法属性は八割は四元素に振り分けられるのだから、光属性の持ち主は希少なのだろう。それも魔力量によって変わるのだが、狙われるくらいなのだから相応に多いのかも知れない。


 もしかしたら元々ここに着いた時分は傷を負っていたのだろうか。光属性は聖属性とも言う。傷を治し病を癒す。女性に多く見られ、神殿に担ぎ上げられて聖女にされるのだとか。


「人は信仰無くしては生きられないのですねえ」

「そんな話はしていないが?」

「失礼致しました。光属性なら聖女にされるのだな、と考えたらあまりに」

「まあ、そうだな……。聖女は平民が殆どだから成り立っているようなものだ」

「平民でも魔法が使えるのですね」

「魔力が無い人間はいない。殆どの平民は目立つ魔法が使えるほどの魔力が無いだけだ」


 男が言うことには、魔力は血液と同じなのだとか。血液のように体内を循環し、大地や大気、動植物から漏れ出るそれを得て生きている。


 魔力が枯渇すれば生命を脅かすから、貴族も平民も物心がつく頃には神殿で魔力測定をされるのだ。そこで現われた属性こそが、本人の一番得意とする魔法だった。


 とにかくも、男が光属性だからネーヴェはここまで自分を連れてきたのだろう。腑に落ちた理由に内心で苦笑して、アビーはようやく立ち上がった。


 寝る為に洞窟に入ってきたのだ。寝たからには旅を再開しなければならない。冷えて固まった身体を縦に横にと伸ばし、ふぁあと息を吐いた。


「………………ああ」


 ぼんやり光に浮かぶ男の顔は驚愕に彩られている。これが森の中なら問題はなかったのに、残念ながら陽の光も届かない暗闇なのだ。


 周囲は土と岩に囲まれて、苔くらいしか生えないだろう。アビーはため息代わりに「ああ……」と呻いた。


 これが自分の魔法だと誤魔化せるだろうか。いや、無理だ。母が言っていたではないか、どれほど魔法を修練しても、無から有は生み出せないのだ。土肥の改良は出来ても成長の促進は出来ない。


 生死は神の領域だ。聖属性の光魔法でも死者は蘇らないし赤子は大人にはならない。


 アビーは力なく周囲に浮かぶ蔦を眺めた。きっとこの洞窟のある崖の上には同じ植物が生えるのだろう。


「豊穣の加護……」


 男は未だ呆然と天井を見つめ、アビーに目をやり、球体を移動させてアビーの顔を浮かび上がらせる。


「あなたの母君の名は……?」




 そうね、アビーがもう少し大きくなったらね。と母は笑った。アビーが六歳の頃だった。


 アビーの髪はネーヴェとそっくりね、どうしてかしらと母に話したのだ。まず自分のことは「わたし」と言いなさいと優しく叱られて、その次にアビーの髪は柔らかいわね、と頭を撫でてくれた。


 ネーヴェの毛はアビーよりちょっとだけ硬いのだ。


 波打つ癖のついた自分の髪がアビーはそんなに好きではなかったけれど、頭を撫でて髪を梳いてくれる母の手つきが甘くて、だからアビーは自分の髪が自慢だった。


「アビーの髪は特別なのですから、この集落から出る時は隠さないとなりませんよ」


 背中の中頃まで伸びた髪を二つに縛って、それを更に三つ編みにした。ぐるりと巻いてピンで留めればちょっとしたお嬢様だ。母はあんまり器用ではなかったから、お団子の位置がずれていたけれどそれすらも今は愛おしい。


「どうして?」

「ここは天気が悪い事も多くて陽射しも強くはありませんが、外では違います」

「お母様の故郷とか?」

「ええ、そうですね。もしかしたら陽射しでアビーは火傷をしてしまうかも知れませんね」


 それはいやだな、と思った。頭を火傷したら母に頭を撫でてもらえなくなるではないか。


「だから外に出る時は帽子を被らなければなりませんよ」


 アビーは必死に頷いた。集落の外での話だったのに、いつの間にか小屋の外の事と勘違いして夏用のローブをねだったものだ。母は微笑んで行商からアビーの好きな色の布地を買い取った。


 冬はどうせコートや帽子で着膨れなければ外には出られないのだ。アビーは行商の運んできた布の中から、母の髪色に一番近い色を選んだ。お母様とおそろいね、と笑った。




「あなたの名前も知らないのに教える訳にはまいりませんね」


 亜麻色のローブはアビーの背が伸びる度、生地を継ぎ足していった。フードは少し小さくなってしまったが、だからこそ多少の風では脱げたりしない。


 髪は縛って後ろにまとめた。長さが煩わしく思う事もあったけれど、母が誰よりもアビーの髪を好きだったのだ。


「それもそうだな。失礼した」

「わたしはきっと母の子ではありません」


 そうと気付いたのはいつだっだろう。いつということもなかったろう。


 母は夜な夜な手紙をしたためる。時折泣いて、時折微笑んで、蝋燭一本を手元に置いて狭い机に向かっていた。そして誰に送るでもなく戸棚の引き出しに仕舞い込むのだ。


「だからわたしは母の言いつけを守ります。他人は信用しません」

「それは良い母君の教えだな」


 そうでしょう、とアビーは得意気に微笑んだ。そして、


「力を使うなと言われたのにうっかりあなたの前で使ってしまったので、出来の悪い娘です」


 と言うものだから、男は思わず腹を抱えて笑ったのだった。

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