23-可愛い生徒
「ちょ、ちょっと!?」
思わぬ展開に頬が急速に熱くなる。これは単純な羞恥から来るものだと思いたいが……
周りの生徒はというと、この競技……いや、今日が始まって一番の大歓声を上げる。
いくらなんでもやりすぎだ。佐仁田しか表情が見えないであろう角度に顔を向け、思いっきり睨む。
「ご安心を。間違っても落としたりなんかしませんよ。それに一応、競争ですしね。女性を抱きかかえるのであれば、これが一番でしょう」
わざわざ抱えなくとも一番先にゴールに着くのは目に見えている。だというのにさも抱えなければ間に合わないとでもいうような誰が聞いてもそれと分かる言い訳を口にして、佐仁田は走り始める。
認めたくはないが佐仁田の抱え方はとても丁寧で、多少揺れはするものの、落ちそうだ、なんて恐怖は一切感じさせない。それでいて私が走るより若干ながら速いのだから、これ以上の文句は生徒という立場では言い辛かった。
帰ったら酷い目に合わせてやる。そんな意思を視線に込めることしかできずにいると、内山先生とすれ違う。どちらかと言えば走っている、そんな速度だ。
「んーと……」
のんびりと言った後、目的の人物を見つけたのか、先生はその人物の名前を呼ぶ。
「
祁答院にとっては特別であろう呼びかけは、まるで授業の出席をとるかのような、いつも通りの呼びかけだった。
「……え?」
祁答院の間抜けな声が聞こえる。あれだけ祈っておいたのに、呼ばれるなんて思いもしなかった、そんな声だ。
「え?ってお前……こんな珍しい苗字、学年どころか学校全体でもお前しかいないだろ。それとも、こんなおっさんと一緒は嫌か?」
「い、いえ、そんなことありませんわ! よ、喜んでご一緒させていただきますわ!」
「良かった。ああ、急がなくていいぜ。どうせ今からじゃ最下位だ。のんびり行こう。それに、ニコチン中毒のタール信者にゃあ、この距離を急ぐのは少々辛い」
相変わらずいつも通りのんびりした声の内山先生。上擦った祁答院の声とは対照的だ。
二人は何やら話しているが、内山先生は宣言通りのんびり移動しているのだろう。距離が離れて会話の内容は徐々にノイズがかかって聞き取りづらくなってくる。
「さて、到着しましたよ」
佐仁田は美術品でも扱うかのように、そっと私を降ろす。下僕なのだから私を丁寧に扱うのは当然なのだが、この場でそれを完璧にこなされると少々周りの目が痛い。
熱くなったまま戻らない頬を手で隠し、やめた。これではまるで感激した乙女だ。
遅れて、他の先生と生徒が到着してくる。当然ながら、内山先生は最下位のようだ。見ると、最早走っていない。散歩でもしているかのようだ。マイペースにも程がある。
祁答院はというと、恥ずかしそうに両の手で顔を隠している。それでも耳が真っ赤で、照れているのが一目瞭然だ。
「内山先生! 急いでください!」
見かねた放送部員がマイク越しに声をかける。それを聞いた内山先生は観念したように頬を掻き、
「参ったな、怒られちまった。ちょっと急ぐぞ、祁答院」
祁答院の手を取り、駆け足を始めた。祁答院はというと、手を触られた瞬間ビクッと肩を跳ねさせ、真っ赤な顔で手を引かれていく。
「ふう、到着っと。すいませんね、お待たせしちゃって」
内山先生はへらへらと他の先生に謝る。
「えー、では引いたお題を見ていきましょう! まずは霜崎先生!」
実況係の放送部員はマイクを手に持ち一番近い霜崎先生の紙を受け取る。
「優秀な生徒、でした! では前田先生!」
前田先生に連れられた彼女は……真面目といったイメージではない。となると可愛いか元気が残るが……
「元気な生徒です! まだ可愛い生徒は出ていません! 運命の紙はどちらの先生が持っているのでしょうか!」
勢い任せに適当なことを言う放送部員。運命とは大げさな。これで結ばれるわけでもあるまい。
「ではそうですね……内山先生から行きましょうか!」
話題の佐仁田を最後に回したいからか、わざわざ遠い内山先生を指名する放送部員。
彼女に促されて、内山先生は紙を見せる。
「お、おお! 可愛い生徒、です!」
佐仁田のパフォーマンスを見ていた放送部員は期待が外れたのか、少々残念そうな声で言う。
茹でダコと見まがう程に赤面する祁答院。しかし、パワフルに行くと言っていたのが関係あるかは分からないが、黙らずに彼女は口を開く。
「う、内山先生! 先生は、わ、私(わたくし)のことを……」
「おう。手のかかる生徒程可愛いってモンだからなあ」
にへら、といつも通り笑って言う内山先生。だが、その言葉は少し期待外れのようで。
「そ、そうですわよね……」
気の毒なくらい肩を落とす祁答院。内山先生はというと、特に変わらない。適当に見えつつ生徒思いな先生だ。いつもなら何かしらフォローを入れるはずだが、今日に限って落胆する祁答院を気にもしない。
「では、佐仁田先生ですが……」
当然、真面目な生徒だろう。それしか残っていない。
「不思議ですねえ」
佐仁田がボソッと言いながら紙を渡す。
「おお!? なんと、こちらも可愛い生徒です! 何かの手違いか、はたまた運命か! 二枚目です!」
「えっ!?」
会場が大いに沸く。私も予測していなかった出来事に思わず驚きの声を上げてしまった。ようやく冷めてきた頬が、再加熱される。
「彼女の、どこが特に可愛いと思いますか!」
ヒートアップした放送部員の彼女は、佐仁田にインタビューまでし始める。
「大きな目、美しい鼻、上品な唇。顔だけ取ってもまだまだありますし、綺麗で艶のある髪だって素敵です。それに、体のラインも華奢で美術品のようです。それに―――」
私を抱き寄せ、褒め言葉を並べる佐仁田。
「せ、先生!」
なんだこれは。公開処刑か。いくら私でも、流石に目の前でマイクを持ってベタ褒めされると恥ずかしい。かなり恥ずかしい。素で、勘弁してくれという意思のこもった声が出た。
「おっと、失礼しました」
にっこり微笑む佐仁田。そのままマイクを握り直し、まあ、と言葉を続ける。
「ここの学校の生徒は皆、それぞれ素敵ですけどね!」
大きな声で佐仁田は言った。
……のぼせていた頭が急速冷却される。いや、そうだ。本来私はこいつの主人であって教師と生徒というのは仮の姿のはずだ。それをなんだあの醜態は。まるで恋する乙女だ。皮肉にも私を怒らせようとしたのであろう佐仁田の言葉で気付かされた。
観客はというと、佐仁田が私に傾倒していないことを喜ぶ声、私と佐仁田のラブロマンスへの期待が外れて残念そうな声、あそこまで褒め称えておいて最後の言葉がそれか、と佐仁田の行動のブレに怒る声など、様々だ。
なるほどそうか。……そうか。佐仁田の言葉を反すうする。ここまで持ち上げたのは最後のコメントに向けた布石か。そりゃあ、思ってもないことだって口から出るだろう。私は自分の容姿に自信がある方だが、だからといってあれだけの誉め言葉を素直にそのまま受け止める程のナルシストでもない。冷静になればそうだ。下僕の分際で主人の心を弄んで……許しがたい所業だ。
「……素晴らしいです、佐仁田先生。一人の生徒に傾いた評価をせず、全体を見回せるなんて。教師の鑑、なんて言葉じゃ足りないかしら」
本当ならば言葉とは正反対の表情をしたいところだが、グッと堪えて最大級の作り笑顔を贈る。ただし、手元では佐仁田の皮膚を千切るつもりの力で佐仁田の手の甲をつねる。
私の口元には当然のようにマイクが向けられており、私の発言はグラウンド全体に響いた。
別に、この発言は自分の株を上げようと思っての事ではないのだが、結果的にそうなってしまった。おお、という声が聞こえる。まあ、私も逆の立場なら感心していたところだ。ある種裏切りともとれる行為に対し、少なくとも表面上は賞賛を贈ったのだから。
「流石は我が校の理事長のご令孫、龍造寺家次期当主といったところでしょうか! 見事なコメント、ありがとうございます!」
放送部の彼女は同学年であったか。でなければ知らない情報だ。わざわざ私の立場を大きな声で言わないで欲しい。謎の期待をする人間が増える。第一、龍造寺家当主の椅子は別に約束されたものではない。適当なデマを振り撒くなと言いたいが、ここは公の場。祖父だって見ている。わざわざ面倒を増やす訳にもいかず、黙って聞き流す。
「それでは名残惜しいですが、借り生徒競争はこれにて終了です! 皆さん拍手!」
拍手を浴びながら退場門へ向かった。
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