17-怖くなんてない

大方の事項が決定し、ロングHRは終了した。帰りの準備をしていると、祁答院けどういんが近づいてくる。


「朱音さん!!! リレー、順番隣になりましたわね!!!」


彼女が犬だったら尻尾を千切れそうなほど振っているのだろうな、という笑顔で言う祁答院。そういえばこいつは私に憧れを抱いていたらしいのだった。私が話し合いに参加したのは前半のみ。その段階では彼女の順番は決まっていなかった。もしかしたら、祁答院が希望してこの順番になったのかもしれない。


「まあ、そうね」


だからどうした、という言葉は飲み込んだ。そんなことを言うのはあまりにもこの子犬ちゃんが可哀そうだ。


「それで、佐仁田先生が仰っていたのですけど、走り方の練習会を開くらしいですわ!!! なんでも佐仁田先生高校で陸上のインターハイに出たとか!!! そんな人に指導される機会もそうありませんわ!!! 行きませんこと!?」


「あー、そうねえ……」


佐仁田も面倒なことをする。まあ、朝走っていた辺りやるのは知っていたが。さて、なんと断ろうか。


「そ、そうなんだ! 行こうよ朱音ちゃん!」


幸恵さんが珍しく大きめの声を出す。


「そうだよー! 折角だし、朱音ちゃんも行こ!」


夢乃さんまでやってくる。うーむ、劣勢だ。適当に用事をでっちあげるのもいいが、私だって社長令嬢とはいえ人間で、更に言えば女子高生だ。友人と一緒の時間を過ごしたいという気持ちはある。だが、あの佐仁田にわざわざ放課後まで教えを乞うのも……まあいいか。


「そうね、じゃあ行きましょうか。丁度今日は体育着もあることだし」


今日の3限は体育だった。汗をかいた服をもう一度着るのは少し抵抗があるが、仕方ない。


「じゃあ佐仁田先生! 私たち着替えてくるね!」


じゃあねー、と佐仁田に手を振る夢乃さん。幸恵さんも会釈をして教室を出る。


「ええ。グラウンドで待っていますよ」


にこやかに言う佐仁田。そういえば、


「先生。グラウンドは使えるんですか?」


別段強豪校なんてお世辞にも言えないが、一応この学校にも運動部はある。


「使えませんよ」


当然のように言う佐仁田。


「え、じゃあどこで?」


こちらも当然のように生まれた疑問をそのまま言う。


「旧校舎裏の方に陸上用の運動場があるのですよ。まあ、龍造寺さんが知らないのも無理はありませんが。使われなくなって久しいという事らしいので」


旧校舎裏、という言葉に教室の生徒達が一瞬動きを止める。


旧校舎裏は所謂、”出る”、と噂のスポットだ。私は幽霊など信じないが、怖いと思う生徒達も多いのだろう。


「旧校舎らしいけど……行くの? いや、私は別に気にしないけれど」


友人らを案じて言う。重ねて言うが、私は怖くなどない。


「幽霊なんて取るに足りませんわ!!! やってきても私の力に怖れをなしてUターンですわー!!!」


……こういう時、この馬鹿の自信過剰っぷりは羨ましい。


「うん、別に古いだけだよね。地震とかは怖いけど」


幸恵さんも冷静に言う。流石だ。


「……夢乃さんは?」


「私? 私は平気だよー。叔父さん家、神社だし。何かあっても安心安心!」


元気に言う夢乃さん。


友人らはなんともないらしい。


「……じゃあ、行きましょうか」


「朱音ちゃん、無理しなくてもいいよ?」


心配そうに言う幸恵さん。


「む、無理なんてしてないわ! ……失礼、大きな声を出してしまったわ。まあ、私は大丈夫だから」


「その割には汗かいてるけど……」


「そ、それは……今日は少し暑いからかしらね。とにかく、更衣室へ行きましょう」


体育着の入った袋を引っ掴み、更衣室へと急いだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


着替えて指定された場所に着くと、朝のジャージ姿の佐仁田がいた。しかし、他に人はいなかった。


それにしても、こんな場所があるとは。ゴム製の地面に、50mだろうか。陸上のコースが白い枠線で作られている。


ここまでの道は寂れていて、少し不気味だった。友人と一緒でなかったら通りたくない道だ。


「待っていましたよ! 他の方は来そうですか?」


「いえ、部活動をしている生徒以外は更衣室にいなかったですよ」


見た通りの事を答える。実際、私たちだけなのだろう。他の生徒がいない理由としては、基本的に集団で行動するのが女子高生の習性だが、グループのうち最低でも1人は旧校舎を嫌がったというところだろうか。


「なるほど。いやー、場所が悪かったですかねえ。まあ皆さんが来ただけいいです。それでは始めましょうか」


今日は事前に六浦に連絡した。この間のようなことは起きないだろう。


「よろしくお願いしまーす!」


「よろしくお願いしますわ!!!」


「お、お手柔らかにお願いします……」


三者三様の挨拶をする友人ら。


「よろしくお願いします」


私も、ここでは教師と生徒の関係なので、一応挨拶をする。


「よろしくお願いします。それでは……そうですね、人数も少ないですし、一人一人フォームを見ていきましょうか。一人一人に時間を使えると思えば、小人数というのも悪くはないでしょう。では、龍造寺さんから。50m走ってみてくれますか?」


名指しで走れと言われた。


……下僕に命令されるのは非常に腹が立つが、そこは既に妥協した部分だ。言われるがままにコースの端に移動する。


「折角です。スタートから見ましょう。クラウチングスタートでお願いします」


スタンディングスタートで始めようとしたところ、佐仁田にこう言われる。


「分かりました」


仕方なくクラウチングスタートの姿勢をとる。


この、クラウチングスタートというもの。あまり好きではない。地面に手を付けるのが嫌だ。


「ああそうだ。折角ですしタイムも計りましょう。ひとまず……西川(さいがわ)さん、ストップウォッチを。山田さんは旗を振ってください」


「分かりました」


「はーい!」


道具を受け取り、各々準備する二人。


「では用意……スタート!」


佐仁田の合図でスタートする。そのまま50mを走る。


……一生懸命走る姿を下僕に見られるというのも嫌だな。盲点だった。


走り終え、少し乱れた息を整えていると、佐仁田が駆け寄ってくる。そして、幸恵さんのストップウォッチを見てから言う。


「そうですね。スタートは割といいです。ただ、走るフォームは要改善、といったところでしょうか。まずこれは龍造寺さん限定ではなく、短距離走で速く走るために全般的に重要な事柄なのですが―――」


佐仁田は様々な例を挙げつつ、理想的なフォームについて私と集まった友人らに解説する。流石は元陸上部の現教師。分かりやすいし、納得感もある。


「と、いうことでまずは爪先だけで走る。それと」


佐仁田は屈み、


「腿をしっかりと上げてください」


私の太ももを下から触り、持ち上げた。


「ひゃっ! ちょ、ちょっと先生!」


思わず変な声が出た。


下僕の癖に私の体を許可なく触るなんて……後で殴ってやろう。


「おっと、失礼しました。男性にしか教えたことがないもので。配慮が足りず申し訳ない。まあ、今説明した通りです。全てを一気に実践するのは難しいかもしれませんが、少しづつ改善していきましょう」


では次は祁答院さん、と指名する佐仁田。


「任せてくださいまし!!! 風のように速く走って見せますわ!!!」


相変わらず自信たっぷりに言い、準備をする祁答院。


全く、短距離走に限って言えば私より大分遅いだろうに、その自信はどこからくるのやら。


「では、用意……スタート!」


バルン、という効果音が似合いそうな様子で弾む祁答院の胸。


アレを抱えていちゃ、プロの陸上走者だってかなり遅くなってしまうだろう。実際、幸恵さんの読み上げたタイムは私と1秒近く差がついていた。


「はぁ、はぁ……先生! 私の華麗な走りはいかがでした!? 修正点など見つからない程かしら!!!」


タイムを聞いて尚自信たっぷりの祁答院。


こいつの底なしの自信の源泉は何なのだろうか。


「そう……ですね……その、私は先程申し上げた通り男性にしか教えたことがないもので。龍造寺さんはともかく祁答院さんへのアドバイスは中々に難しいですね……」


私の胸部を見つめながら言う佐仁田。わざとか。わざとなのか。……後でハバネロパウダーを目に擦り込んでやろうかとすら思う。まあ、そこまではしないにしろ、後でキツいお仕置きが必要だろう。


「ですがまあ、基本は変わらないでしょう。加えて、祁答院さんの場合、スタートにもたついている印象があります。クラウチングスタートは前傾姿勢で素早く加速できるのが利点ですが、前に傾くほどいい、というものでもありません。祁答院さんは少し前に傾きすぎのように見受けられます。適切な角度を探していきましょう」


「分かりましたわ!!!」


素直に答える祁答院。


……まあ、素直なことはいいことだろう。なんて考えていると、後ろから昼にも聞いた声が聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る