7-胸派です

「な、な、なんでいるんですかこの変態がー!」


六浦の叫びは、面倒を呼び込むものだった。



私と佐仁田は初対面。別にそう宣言したわけではないが、暗黙の了解でそう演じてきた。それが、私お付きのメイドと新任教師の佐仁田が面識があると分かる上、事実なのは置いておくとして、公然と変態呼ばわりしてしまったのだ。面倒な状況この上ない。実際、変態という言葉に、周囲はザワついている。


……キツい折檻が必要ね。


「えー……ええと」


佐仁田は私の反応を伺っている。要するに、すっとぼけるか、話を合わせるか。決めかねているのだろう。


「ど、どうしたの六浦。佐仁田先生とお知り合い?」


とりあえず、私は知らなかった体で行く。ここまでは確定だ。ここから、どうしたものか。


「あっ、お嬢様! お知り合いってそりゃムグ」


これまでの人生で一番の瞬発力を出した気がする。瞬間的に六浦の口を塞いだ。


「六浦? 私は佐仁田先生と今日初めて会ったのだけれど、以前どこかで会ったのかしら?」


馬鹿な六浦にも分かるようにわざとらしく言う。


「え? あ、えーと……」


分かりやすく目を泳がせる六浦。適当な嘘が思いつかないらしい。


「ああ、先日変な輩に絡まれていた女性ですね。あの時は危ないところでしたね。偶然通りがかって良かったです」


すかさず佐仁田が助け舟を出す。優秀な下僕だ。


「え、ええ、そうでしたそうでした。あの時は助かりました」


佐仁田の嘘に乗っかる六浦。後は変態呼ばわりのカタをつけるだけだ。


「いえいえ。それにしても、変態呼ばわりとは不服ですね。私は変態から守った立場だというのに」


「す、すみません。あの時は気が動転していたもので」


少し苦しいが、なんとか乗り切っただろうか。と思った矢先、


「そうですよ。あの変態は尻を触ろうとしていましたが、私は胸派です! 間違えないでいただきたい!」


佐仁田はやはり変態だった。この問題発言に対して向けられる白い目に、愉悦を感じているのが見て取れる。


「せ、先生? あまりそういった発言は……」


佐仁田に近づき、そっと声をかける振りをしながら、足を踏む。


「ん゛ぅっ……いえ、すみませんつい。忘れてください」


自分の立場を思い出したのか、取り繕う佐仁田。まあ、取り繕えていないのだが。


こっちもこっちで折檻ね……


「そ、それじゃあ私は帰ることにするわ。途中で悪いわね、夢乃さん」


所有物達の失態にいたたまれなくなり、急ぎ目に別れの挨拶をする。


「ううん! いいよいいよ! むしろここまでありがとね! 分かりやすかったよ!」


じゃあねー!とブンブン手を振る夢乃さん。


「幸恵さんも、また明日」


「……え!? う、うん、また明日!」


何故かボーッとしていた幸恵さんも私に手を振る。


「……胸派か」


ボソリ、その大きな胸を見ながら彼女が何か呟いた気がしたが、聞こえなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


見慣れた道路が車の窓越しに視界に入る。しかし、私はというとそんなもののことは全く気にしていなかった。


「六浦、帰ったら覚悟しておきなさいよ……」


声に怒りが混じっているのが、自分でも分かる。危うく、初日にして私と佐仁田の関係が露呈するところだった。


「す、すみません……駄犬の姿を見たらつい……」


まるで叱られた子犬のようにしおれる六浦。垂れた耳が見えるかのようだ。


「ついでで済めば折檻なんて言葉はこの世に存在しないわ。どうしてやろうかしら……」


怒りが収まらない。六浦が最も嫌がる仕置きを考える。そうだ。


「瞳は明日、暇かしらねえ?」


言葉に仕置きの内容を含ませてゆっくりと言う。


「お、お嬢様!? そ、それだけは……!」


六浦の顔が青ざめる。本気で仕置きをする時は、やはりこれが一番有効だ。


「それって、なんのことかしら? さっぱり分からないわ」


敢えてとぼける。期間や内容をハッキリ伝えないことだって、仕置きの一環だ。


「え、いや、だって、そんな話をしたら、きっとアレじゃないですかあ! 私嫌ですよお!」


懇願するように言う六浦。後部座席からは見えないが、きっと涙目だ。内心ほくそ笑みながら携帯を操作する。


「もしもし瞳? ええ、ええ。そうなの、流石勘がいいわね。詳しくは屋敷で話すから、ひとまず屋敷に向かってくれる? ええ。悪いわね。報酬は弾むわ」


瞳と電話をする。


「勘弁してくださいよお嬢様ー!」


恵はというと、最早声だけで分かるくらいに泣きべそをかいていた。


「これは決定事項よ。諦めることね」


まあ、この罰をここまで嫌がるほど私の事を慕っているのは所有物として褒めてやれる部分なのだが。


そうこう話しているうちに、屋敷に到着する。


「ああ、着いちゃった……」


悲し気に呟きながら後部ドアを開ける六浦。やはりと言うべきか、その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。


「さて、具体的に内容を詰めていこうかしらね」


車から降りると、聞きなれたエンジン音が後ろの方で鳴る。


「早いわね、瞳。流石だわ」


トレードマークのライダースーツに身を包んだ瞳はフルフェイスのヘルメットを脱いで近づいてくる。


「最速で最高がモットーなので! で、今回はお姉ちゃんは何をやらかしたんですか?」


左手を腰に当て、右手でVサインを作って言う瞳。


「期間やら報酬やら諸々含めて、中で話すわ」


「了解ですっ!」


今度はサムズアップをしてウィンクする瞳。


「もう、こんなに早く来なくていいのにぃ……」


相変わらず恵は泣きべそをかいている。


「早く来るのも仕事のうちだからさー。悪く思わないでよね、お姉ちゃん!」


瞳は恵の肩をポンポンと叩く。


「まあ、とりあえず二人は乗り物を駐車場に停めてきなさい」


「はーい!」


「はい……」


同じ返事ながら、二人の声色は対照的だった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


ダイニングキッチンの部屋で恵の淹れた紅茶を味わいながら、私は事の経緯を瞳に説明していた。


「あちゃー。あわや大惨事、ってトコですねー。ただ知り合いってことを漏らすならともかく、変態呼ばわりまでしちゃうなんて」


経緯を聞いた瞳は大きく頷く。


「でしょう? お陰でこの私が素早く恵の口を塞ぐなんてことまでしなくちゃならなかったんだから」


「ほえー、お嬢様直々に。そりゃ相当切羽詰まってますねえ」


目を瞑ってうんうん頷く瞳。


「そうなのよ。それに呼応してか、佐仁田まで変な言動を始めるし。こちらはこちらでお仕置きが必要なのだけれど」


まあ、それも元はと言えば恵が原因だ。


「変態は我慢ってものを知らないんですかねー」


「さあねえ……まあいいわ。話を進めましょう。一番重要なのは期間よね。瞳にとっては報酬かもしれないけど、それは期間に比例するし」


「そうですね! 私は言われればいつまででも働けますよ!」


えいえいおー、と謎に掛け声まで出す瞳。


「お嬢様ー! 嫌ですよう、離れ離れなんてー」


恵が涙でグチャグチャの顔を私の太ももに擦って懇願する。


「ちょっと、汚い顔を私の体に擦り寄せないでちょうだい」


「だっでぇー!」


最早恥も外聞もないのか、顔を擦るのを辞めない恵。


「はぁ……まあそうねえ。結果としてはなんとか誤魔化せたし、そこまで長くはしないであげる」


「ほ、本当ですか!?」


ガバッと顔を上げる恵。


「ええ。ところで瞳? 今日は何曜日だったかしら?」


当然、今日が何曜日かなど、私は知っている。けれど敢えて聞いた。


「月曜日です」


瞳も私の意図を察してか、余計な言葉は挟まずに答える。


「そうよね。では平日は後何日?」


「お、お嬢様!? それは長いですよー!」


再び青ざめる恵。表情がコロコロ変わるのは見ていて楽しい。


「そうですねえ。火、水、木、金なので……4日ですね」


楽しそうに数を数える瞳。流石、分かっている。


「じゃあ丁度いいわね。恵は……」


敢えてすぐには言わないようにした。


「どうかお慈悲をお嬢様ー!」


もう恵の顔は見ていられないくらいグチャグチャだった。

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