4-そうよ。ドM

六浦が玄関へ向かってしばらくした後、六浦とライダースーツに身を包んだ彼女にそっくりな女性が入ってくる。


このライダースーツの女性は六浦 ひとみ。今まで私の世話をしていた六浦 めぐみの双子の妹だ。そして私の家庭教師でもある。


「どうもお嬢様! 今日も授業していきましょー!」


指を二本立てて額に当ててピッと離す『崩し敬礼』をする瞳。


「瞳、お嬢様に失礼の無いようにね。ではお嬢様、私は家事をしていますので」


お辞儀をして部屋を後にする恵。


「大丈夫大丈夫! 今まで通りちゃんとやるって! それに、お嬢様と私の仲だしね!」


私の肩に手を置き恵にピースをする瞳。


ここまで私にフランクに接する人間は他にはいない。まあ、そこが私が彼女を気に入っている部分なのだが。


「ところで、この人はどなたです?」


佐仁田の方を見て聞く瞳。


「ああ、これね。私の婚約者」


「こ、婚約者ー!? え、お嬢様、あんなにお見合い嫌がってたのに!?」


「これはね、婚約者兼私の下僕なの。気に入ったのが見つかってね」


「下僕、ってことは……?」


「そうよ。ドM」


「ああんッ!」


言いながら佐仁田の尻を蹴ると、佐仁田が喘ぐ。


「気持ち悪い声を出さないで」


「ああッ!!」


もう一度蹴るとまた声をあげる佐仁田。


「わー、顔はイケメンなのにキモいですねー!」


にこやかに言う瞳。


「くっ……女王様以外からの罵倒に悦びを感じてはいけないのに……!」


嬉しそうな顔をする佐仁田。


「あら、浮気?」


佐仁田の顎に手を当て目を合わせる。


「い、いえ、そんなことは!」


目を逸らす佐仁田。


「ふん、いいわ。後で誰が主人か分からせてあげる」


雑に顎を前に押し出す。


「ありがとうございます!」


「んじゃ、着替えてきますねー。戻ったら授業にしましょう!」


佐仁田の事など気にせずに相変わらずにこやかに言う瞳。


「そうね。そうだわ、佐仁田も授業を受けなさい。貴方の優秀さを計るいい機会だわ。」


私が頷いたのを確認して、瞳は部屋を出ていく。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「じゃあ、今日はここまでにしましょうか。相変わらずお嬢様は理解が早くて助かります!」


シャツにタイトスカートを着た瞳が手を合わせて言う。


「当たり前じゃない。誰だと思ってるの?」


優秀じゃなきゃ社長令嬢なんてやっていられない。


「ところで、佐仁田さんはずっと黙ってましたけど……流石にいきなりは難しかったです?」


瞳が私の隣の佐仁田に聞く。


「いえ別に。授業の邪魔になってはと黙ってはいましたが、理解はしていましたよ」


平然と言う佐仁田。


「本当ですかー? じゃあ、今回話題にした貞観政要ですが、そもそも編纂したのは誰か知ってます?」


「呉兢ですよね。有名じゃないですか」


サラッと言ってのける佐仁田。


流石は私の婚約者だ。


「ふむ……お嬢様が選ぶだけありますねえ。まあいいです。今日の授業時間は終了してますし、お給料も時間分しか出ないですしね!」


手をパチン、と合わせはい終わり!と言う瞳。


「ところで佐仁田さん」


にこやかな顔のまま佐仁田に話しかける瞳。


「なんでしょう?」


「ちょっとバイクの調子が悪くてですねー。男性の手伝いがあると楽なんですが、手伝ってもらえません?」


「私は構いませんが……」


チラリとこちらを見る佐仁田。いい反応だ。所有物としての意識がある。


「構わないわ、手伝ってあげなさい。瞳には世話になってるしね」


「分かりました、では行ってきます」


私の許可を受けて、瞳の後を付いて行く佐仁田。


「じゃ、お嬢様! 佐仁田さん、少し借りますねー」


相変わらずのにこやかな目で瞳は挨拶をして部屋を出て行った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「バイクの調子ですか……エンジンについては座学程度の知識はありますけど、実際に触ったことは無いのですが……大丈夫でしょうか?」


屋敷の駐車場にて、バイクの前で向かい合う佐仁田と瞳。


「大丈夫ですよー。力の要る作業だけしてくだされば十分なので! とりあえず工具箱があそこにあるので、運んでくれませんか?」


瞳が指さす先には大きな工具箱が。


「なるほど、これは確かに女性が運ぶには少々重そうですね。ところで」


佐仁田は工具箱に背を向け、瞳の方を向く。


「何故レンチだけ持っているんですか? それも私に隠して」


佐仁田が言うと、


「なんだ、ただの馬鹿なドMかと思ったら、意外と目ざといんですね」


ガラン、と後ろ手に持ったレンチを地面に転がす瞳。


「こんな性癖をしていると、やりすぎて他人に迷惑をかけることも多いのですが、稀に殺されかけることもありまして。何回か経験するうちに、殺気のようなものに敏感になりましてね。貴方からはそれをハッキリと感じたもので。何故私にそんな殺意を?」


手を広げて問う佐仁田。


「要らないんですよ、私たちの世界に貴方みたいな気持ち悪い変態は」


キッと佐仁田を睨み言う瞳。


「私たちの世界?」


「お姉ちゃんの周りには私とお嬢様さえいればいいんです。貴方みたいな気持ち悪い豚の席はない。お姉ちゃんの周りに存在しないで欲しい。死んでくれませんか? その方が世のためですよ? 存在価値のない生ゴミなんて」


佐仁田を睨みつけたまま言い放つ瞳。


「ああ、いい目つきと罵倒です。女王の才能が有りますよ。まあ、朱音様には到底敵いませんが」


ニヤリと口角を上げる佐仁田。


「はぁ……あんなことを言われて笑うなんて、本当に救いようが無いですね。まあいいわ、今日は帰ります。お姉ちゃんやお嬢様に手を出したら次は本当に殺しますよ」


バイクに跨る瞳。


「約束はしかねますね。女王様の命ならばなんでもするのが私の立場なので。それではまた今度」


恭しくお辞儀をする佐仁田。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


翌朝、月曜日。学校に行く支度をして玄関に立つ。


「さてと、行ってくるわ。佐仁田はこれから仕事?」


スーツに身を包んで同じく出かけようとする佐仁田に声をかける。


「はい。また後で会いましょう」


「後で……?」


学校が終わるのは当然ながら15時過ぎ。そこから帰るとなれば16時くらいになる。仕事をする佐仁田は当然もっと遅いだろう。それを後でとは、時間の感覚がゆったりしているというかなんというか。


「お嬢様、そろそろ」


六浦が私に声をかける。


「そうね、行きましょうか。佐仁田? 仕事は完璧にこなすのよ」


「はい、もちろんです!」


即答する佐仁田。まあ、仕事ぶりに関しては大して心配はしていない。性癖以外は完璧な男だ。


佐仁田に背を向け、車に乗り込む。


「ところで、すぐに仕事が決まったようだけど、内容について聞いているかしら?」


つい聞き忘れてしまった。


「それが、聞いたのですけれど、昇蔵様から秘密にされているとしか……」


運転しながら六浦が答える。


「そうなのね。お爺様が秘密に……何の仕事かしらね」


「そうですね……意外と近い場所で働かせる、とかですかね?」


「近い場所ねえ。そういえば、例の数学教師、どうなったの?」


「あの痴漢で捕まった男ですか? 当然、クビになったみたいですけど」


「それは良かったわ。変態に学業を教えられるのなんて、ゴメンだしね」


今までそんな輩に教わっていたと思うと、気分が悪くなる。


「そうですね。私も安心です」


なんて話しているうちに、学校に到着する。


「それでは、いつもの時刻にお迎えに来ますので」


学校の前の道路に停まった車から降り、六浦は私の隣の後部ドアを開ける。


「ええ。それじゃあ」


六浦に軽く手を振り、校門をくぐる。


さてと、少し気を張らなければ。外での私には、完璧が求められる。


廊下を歩き自分の教室へ入る。


「おはよう龍造寺さん。今日も早いわね」


教室で勉強していたクラスメートが顔を上げて挨拶をする。


「ご機嫌よう山田さん。朝から勉強? 頑張るわね」


感心なことだ。彼女は山田 幸恵ゆきえ。この学校には珍しい奨学金で努力して入った人間だ。事実、成績はトップクラス。総合評価では私の方が上だけれども、個別の教科では負けたりもする。努力する人間は嫌いではない。私も負けられないと、張り合いが出てくる。


「うん。成績落とすわけにいかないからね」


他のクラスメートは正直、私を家柄で見ているところがあってあまり好きではないのだが、彼女は違う。彼女からすればクラスメートは全員等しくお嬢様。だけれど、それを理由にへりくだったりせずなるべく対等に向き合おうとする姿勢が私は好きだ。


「素晴らしいと思うわ。私も負けられないわね」


そう言って、予習のため自分も教科書を開く。


私は優秀だ。自覚はあるし、結果だって残している。だがそれは天性のものだけで補えるものではなく、努力だって必要なのだ。


そうするうちに、段々と教室には人が増えてくる。そして、担任の教師が現れる。


HRを聞き流していると、例の痴漢教師の話題になる。


「えー、牧田先生の代わりが決まりました。丁度この後数学の授業なので、紹介しますね。佐仁田先生、入って」


今、なんて?


思わず口にしかけた。いやいや、そんなはずは。そりゃ、この学校はお爺様が理事長だ。人事くらいどうとでもなる。佐仁田だって、教員免許くらい持っていても不思議ではない。だからって、この短期間で雇用を決めて、わざわざ私の授業を受け持つ立場にするだろうか? きっとたまたま苗字が一緒の他人だ。そこまで珍しい苗字でもない。きっとそうだ。下僕に勉強を教わるなんて、私はゴメンだ。


短時間でそこまで思考を回していると、呼ばれた人物は入ってくる。


「どうも、佐仁田 浩一といいます。数学の担当です。よろしくお願いします」


私の願いとは裏腹に、入ってきたのは私の下僕だった。

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