第13話 陶山千紘の助言
四日目の朝、レイチェル・ハンターは《青嵐》の職員を数名連れて一年四組の寮を訪れた。
職員たちは寮の玄関にいくつかの箱を運び込んでいく。箱の中には厚めの本が何冊も詰められ、表紙には歴史や地理といった文字が書かれていた。玄関に集まった生徒たちは運び込まれていくそれらを物珍しそうに眺める。
レイチェルはラウンジで白坂菖蒲と話していた。周囲には他の生徒の姿もあった。
「氾濫ですか……」
レイチェルから氾濫の発生について説明を受けた菖蒲は、表情を曇らせた。
「ええ、明日から明後日にかけて王都内に魔物が発生します。皆さんには氾濫の終息が宣言されるまで寮内に留まってもらいたいのです」
織田晴臣が納得したように言った。
「成程な。街の様子が妙に騒がしいなと思ってたらそういうことだったのか」
「氾濫ねえ。それって大丈夫なの?」
帆足歩が訊ねる。レイチェルは薄く笑みを浮かべて言った。
「ベテランの探索者が総出で対処に当たりますので心配はいりません。不要な外出さえ控えてくだされば被害はないでしょう。魔物の発生地点の予測はできていて、ここから近い場所にはありません。発生予測地点の近隣住民には避難してもらっています。我々探索者の仕事は発生地点で待機し魔物を討伐すること。それに避難所に魔物が襲撃してきた際の防衛に、警戒区域の外に魔物が抜け出すのを防止するための警備です。こちらに魔物が来ることはありませんよ」
「それなら大丈夫そうですね」
水城杏樹は安堵した様子を見せた。
「じゃあ、今日と明日の授業は中止ですか?」
菖蒲の質問に、レイチェルは答えた。
「はい。とはいえ流石に授業開始して二日目で休講というのもなんですから、自習用の教材を持ってきました。この国の歴史、経済、地理などの教本です。ここの図書室にも参考文献があるはずですよ」
湧井穂菊はがっかりしたように肩を落とした。
「うーん、折角ミラさんにいろいろ訊こうと思ってたのに残念ね。スキルの成長案考えてきたのに」
隣に立つ蜂須賀藍も同意するように頷いた。
「まったくだ。しかし、私のスキルがどれだけ魔物相手に通用するのか早く試してみたいものだ」
藍の言葉を聴いた歩と晴臣が揃って顔を顰めた。
「……実際に目にした人間として言わせてもらうと、ろくな訓練もなしに相対するのは自殺行為だと思う」
「そうそう。俺もスキルが発動しなかったら絶対死んでたし」
「僕は何にも役に立てなかったからねえ。二度も醜態を晒したくないし、次に戦う時にはちゃんと準備をしておきたいな」
久住永遠は二人の言葉を聴きながら、心の中が憂鬱な気分で満たされるのを覚えた。
(俺はスキルが使えない中でどれだけ戦えるか分からないな。スキルに覚醒した時点で肉体が強化されてると聞いたけど、それだけじゃ足りないのは明らかだ)
そんな永遠の内心に気づいたらしい歩が、肩をばんばんと叩いた。
「そんなに心配しなくてもいいって。トワ一人で戦う場面なんてそうそうないだろうし、そもそも無理して戦いに参加する必要もない。スキルが使えるようになるまでじっくり待つのが最善だよ」
「それはそうだけどさ……皆が仕事してる時に何もしないってのは居心地悪いだろ」
永遠が引け目を感じながら言うと、晴臣が微笑みながら返した。
「いいんだよ、そんなこと。帆足の言うようにお前は自分の最善を尽くすのが一番だ」
曇りのない瞳で真っ直ぐ言う美男子の姿は眩しく見えた。身も心も美しいとはこういう人間のためにあるのだろうと永遠は思った。
男たちがそんな会話を交わしている様を、星加天麗が奇妙な表情を浮かべながら見つめていた。
菖蒲とレイチェルの話が終わると、菖蒲は玄関に運び込まれた教本を確認したいと言い出した。二人は生徒たちをラウンジに残して去っていく。
二人がいなくなった後で、天麗が永遠に声をかけた。
「……久住、お前スキルが使えないのか?」
どこかしおらしいとも思える彼女に、永遠は驚きと違和感を抑えながら答えた。
「ん? ああ、俺のスキルは条件を満たさないと発動できないってタイプみたいで、今は条件を満たせるように頑張ってるんだ。だから今は戦うとしたらスキルなしでやらないといけない」
「自分だけ何もできないっていうのはしんどいか?」
天麗の問いかけには、永遠の胸の内を探るような響きがあった。
「そりゃあまあ……何もしないで楽してると思われるのはいやだし」
「そうか……変なこと訊いて悪かった」
天麗はそう言い残すと、足早にラウンジから出ていった。
晴臣は「うーん」と唸る。
「星加の奴、どうしたんだろう? なんか元気ないよな」
天麗の様子に不審な点があることは既に多くの生徒が察していた。皆それとなく気にしてはいるものの、最初の頃に威圧感を放っていた彼女に話しかけることには躊躇していた。
「実は……」
杏樹は多少迷ったが、問題点を全員で共有するべきだと判断して昨日訓練場で交わした会話の内容を伝えた。
「戦うためのスキルか。確かに探索者として活動するなら有利だと思うけど、こだわる必要もないんじゃないか?」
晴臣が意見を述べる。杏樹は同意の頷きを見せた。
「ただ、星加さん自身はそう思っていないみたいなんです。何故なのか理由は分かりませんが……」
「迷宮でも人任せが嫌だから探索に名乗り出たって言ってたよね。そこも何か関係あるのかな?」
歩は狼の魔物と懸命に戦った彼女の姿を想起した。あの時のメンバーの中で、彼女が一番戦闘に積極的だったと考える。
「どうにか彼女の悩みを解決したいんですよね。出だしから躓くのは不味いですから……」
「だよなあ。ここで遅れるのは生死に直結するかもしれない」
杏樹の懸念に対して晴臣が同意する。
二人が頭を捻っていると、歩が思わぬ発言を口にした。
「あのさ、トワが訊き出してみたらどう?」
「は? 俺?」
永遠は何故そこで自分の名が出るのか理由が分からなかった。
歩はその理由を語る。
「うん、さっき星加が話しかけてきたじゃない。あれってスキルを使いたくても使えない、イコール戦うことができないトワにそれとなくシンパシーを感じたからじゃない?」
「成程な。それでしんどいか訊いてきたのか」
晴臣は納得したように言った。
「そうだと思う。だったらトワが訊ねたら詳しいこと答えてくれるんじゃないかと思うんだ。どうかな?」
歩はウインクしてみせる。永遠はこれも彼なりの気遣いのつもりなのだろうと当たりをつけた。『絆』をまともに使えるようになるにはクラスメイトとの交流はどれだけあっても困らない。彼は永遠にその切っ掛けを提供しようという意思で案を提示したのだ。
杏樹も永遠の顔を見つめて言った。
「……そうですね。私たちよりも心を開いてくれる、という可能性はあると思います。久住くん、お願いできますか?」
彼女の懇願するような瞳が、永遠の背中を後押しした。
「分かった。やれるだけやってみる」
了承の言葉に、杏樹は顔を綻ばせると感激の余り永遠の手を勢いよく握った。
「ありがとうございます!」
「あ、ああ」
永遠は生まれてこの方女子の手を握ったことなどろくになかった。精々体育祭のフォークダンスくらいだ。彼は顔を逸らし、赤面を見られることを避けた。
歩が感心するように言った。
「水城さん、星加のこと本当に心配してるんだね」
杏樹は優しく微笑んだ。
「これから一緒に生きていくクラスメイトのことですから。できる限り力になりたいんです」
「それが稲荷でも?」
歩が稲荷貴恵の名を出した。杏樹の顔が一瞬強張った。
「……稲荷さんも大事なクラスメイトの一人なので、
「そこでそう返せるのは素直に尊敬するなあ」
歩は心から称賛の言葉を送った。
それから少し経ち、皆と別れてラウンジを出た永遠は、早速天麗の姿を探し求めた。クラスメイトの大半は届けられた教本の中身を確認していた。彼らの中に天麗の姿はなく、彼らも彼女の居場所は知らなかった。
仕方なく一人廊下を歩きながら、永遠は天麗を見つけた後のことを考えた。
(さて、とりあえず何も考えずにぶつかってみるか?)
ぼっちの自分に小粋なトークなどできるはずもない。まずは素直に疑問を投げかけてみるのが最善だろうと判断する。
そんなことを考えていると、廊下の奥から陶山千紘が歩いてくる。
永遠は彼女に天麗の居場所について訊ねようと思ったが、それより先に相手が話しかけてきた。
「やあ久住くん、星加さんを捜しているのかい?」
「知ってるのか?」
永遠は目的を言い当てられたことに驚きを覚えた。
千紘はくすくすと笑いながら言った。
「先程ラウンジの近くを通りかかった時に、君たちの話が偶然耳に入ってきたものでね。星加さんなら中庭に出ているはずだよ」
「ありがとう。行ってみるよ」
永遠は礼を言うと中庭の方角を目指そうと、千紘に背を向けた。
そうして歩き出した彼の背中に、千紘が再び声をかける。
「久住くん、一つアドバイスだ」
女子高生にしては低いはっきりとした声が、唐突な言葉を告げた。
「アドバイス?」
永遠は意味が分からず訊き返した。
千紘は普段の眠たそうな顔ではなく、目をはっきりと開いた真剣な顔だった。
「星加さんが何故戦うことに異様にこだわっているのか。その理由は凡そ見当がつく。彼女は過去に
千紘はいつになく饒舌で、言葉には確信に満ちた響きがあった。彼女の言うことは抽象的であり捉えどころがなく、何が言いたいのか分からない。それはこれまで見てきた彼女に似つかわしくなかった。
陶山千紘は曖昧な内容を口にするような人間ではないというのがクラスの中での評価だった。そんな彼女が、何故天麗の過去を知っているような口振りで語るのか?
永遠はストレートに疑問を口にした。
「何でそんなことが分かるんだ?」
千紘は小さく笑った。
「強いて言うなら
意味深な回答を受けて永遠は考える。
千紘は今発言した内容が真実だと確信している。そして、“そういうものだから”という奇妙な言い回しは、何らかの手段を以って天麗の過去を知ったのだとほのめかしていた。
永遠は一つの可能性に思い至った。スキルだ。
彼はまだ千紘が持つスキルが何か知らない。もし、彼女がスキルを使って天麗の秘密を知り得たのだとしたら?
(もしかして他人の記憶を読むスキルか?)
永遠は目の前に立つ少女が、何もかも見透かしてしまうのではないかという不安に駆られた。
だが、彼の心配をよそに千紘は呆れたように言った。
「安心するといい。ボクのスキルは相手の心や記憶を読むものではないよ。ボクのスキルは――そう、もっと別のものさ。いずれ明かす時が来るだろう。もっとも、君が今何を考えているかくらいはそんなスキルがなくても容易に読めるけどね」
千紘は愉快そうに笑った。
(安直な発想だったか……)
永遠は恥ずかしくなって俯いた。
千紘と別れた彼はすぐに中庭へと向かった。
目的の人物はすぐに見つかった。中庭の中央に鎮座する噴水の前に、それを見上げる天麗の姿があった。
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