第8話 取引の条件

 レイチェルの発した言葉に驚いたのは永遠だけではなかった。食堂のあちこちから沿っ頓狂な声が上がる。


 そんな中でも貴恵は冷静だった。


「新しいクランってどういうこと?」

「言葉通りの意味ですよ。全員が一緒になって目的のために行動できる場所がないなら、自分たちで作ってしまえばいいんです」


 レイチェルはあっさりと言ってのける。冴えたアイデアを披露しているという自信に満ちていた。

 菖蒲は疑わしそうな目つきで言った。


「言うほど簡単ではないでしょう? 私たちにはこの世界に戸籍もありませんから……」

「そもそも漂流者が勝手にクラン立ち上げるのってあり?」


 歩が問いかけると、ミラが答えた。


「可能か不可能で言えば可能だ。漂流者の身元保証人が必要ではあるがな」


 身元保証人。即ち、漂流者の人格や能力に問題がないことを認める人間の存在だ。しかし、今の四組にそんな存在がいないことを誰もが知っている。

 それにも関わらずレイチェルが提案したことは、一つの事実を示唆していた。


 菖蒲はレイチェルの言わんとしていることに気づき、はっとした。


「身元保証人ってまさか――」

「はい、お察しの通りです。我々青嵐が皆さんの身元保証人を引き受けましょう」


 部屋中にどよめきが生まれた。

 永遠は漠然とした警戒心を抱きつつ、彼女を観察した。


「……何が目的ですか?」


 菖蒲は敢えて不信感を露わにして訊ねた。レイチェルは不快そうな顔をせず、それどころか満足そうに微笑んだ。


「そこで喜ぶのではなく疑ってかかるのは良いことです。だからこそ、この話を持ちかけたんですから」

「言うまでもなくこれは慈善事業などではない。《青嵐》が一年四組に支援するのは我々にとっての利益のためだ」


 二人が真剣な表情をしていることを見て取った一同は、自然と静かになり彼女らの話に耳を傾ける姿勢をとる。


「まず、《青嵐》がどんな理念を掲げるクランなのかご説明しましょう。《青嵐》の目的は至ってシンプル。《メイリム都市迷宮》の頂上へ辿り着き“冥樹の果実”を手に入れることです」

「“冥樹の果実”……?」


 新たな単語の登場に、杏樹が鸚鵡返しした。


「《メイリム都市迷宮》の頂上部にっていると云われる果物だ。非常に強大な魔力が凝縮されていて、食した人間に叡智や不老長寿など多大な恩恵を与えると言い伝えられている。これを最初に手に入れるのが《青嵐》の理念だ」

「迷宮の最上階に、その果実が生る植物が自生しているってことですか?」


 晴臣がそう訊ねると、レイチェルは首を横に振った。


「いいえ、そうではありません。本当に頂上部に生っているんです。《メイリム都市迷宮》は外から見るととてつもなく大きな建造物がそびえ立っているように見えますが、実はあれ大樹の周囲に建造物が・・・・・・・・・・築かれているんですよ・・・・・・・・・・。皆さんは多分目にしていないと思いますが、中心部分には樹の幹があるんです。《冥樹ラビア》――それがあの迷宮の中核ともいえるこの世界最大の植物です」


 永遠は無言のまま驚きを顔に表した。杏樹と晴臣は思わず声を漏らした。千紘は目を丸くした。歩は面白そうに口元に笑みを浮かべた。


「大樹……あの迷宮の内側にですか? 何メートルあるんです?」

「ブルジュ・ハリファより高いのは確かでしょうね。ちなみに、地球で一番大きな樹が約百十五メートルだそうです」


 スケールの大きさに動揺している杏樹が誰に訊くわけでもなく呟くと、樹神が丁寧に返答した。


 ミラは重い表情で言った。


「我々はクラン発足以来、あの迷宮に度々足を踏み入れ調査を重ねてきた。迷宮の構造把握、魔物と冥樹の生態研究、迷宮内の遺物回収。そうしてあの迷宮の正体を追究してきた。その結果、あの迷宮は本来冥樹を信奉する民が住まう巨大都市として建造されたものであると判明した」

「成程、だから“都市迷宮”なんだね」


 千紘は納得したように頷いた。


「かつてあの場所に住んでいた住民は“冥樹の民”と呼ばれている。彼らは“冥樹の果実”の存在を知っており、それを神から与えられた物として扱っていたそうだ。回収した文献によると彼らは果実を儀式に用いたとされているが、具体的にどのような儀式なのか、実際に冥樹を食した人間がどうなったのかなど、正確に残されてはいない」

「叡智や不老長寿を授けるというのも、ほとんどがこちら側に残った伝聞で正確な情報は何一つないんですよ」

「そんなお宝が本当にあるなら天文学的な値がつきそうですわね」


 一人の女子生徒が優雅に微笑んだ。永遠は彼女について歩が紹介していた内容を思い出した。森重商事のオーナー一族の名を連ねるという少女だ。


「おや、森重さんは興味があるんですか?」


 樹神が好奇心を隠さずに訊ねた。


「ええ、私も商売人の子供。希少な商品にはとても興味が湧きます」

「それは将来森重グループを掌握する好材料になるという期待からですか? 貴女も“冥樹の果実”を手に入れたいと?」

「お好きなように想像していただいて結構ですわ」


 真正面から真意を探ろうと言葉を刺してくる樹神に対し、彼女は風に揺れるように受け流した。

 若干気まずい空気が漂った。


「話を続けるぞ。《青嵐》は頂上部に“冥樹の果実”があると断定し、そこへ辿り着くことを目標に掲げた。だが、事はうまく運ばなかった。迷宮は上層へ上がれば上がるほど大気中の魔力濃度が増していき、棲息する魔物も強力かつ凶暴になる傾向にあった。そうして途中で行き詰ってしまったんだ」

「上層に上るほど負傷者が増加し、探索の効率が著しく下がっていきました。残念ながら死者も数名出しています。今以上に先へ進める状況ではないんです。そして、それは他のクランも同様です。我々以外にも“冥樹の果実”を求めるクランは多く、彼らもまた足踏みしています」

「そんな時に私たちが現れた、と」


 杏樹が言った。レイチェルは面白そうに顎を撫でた。


「興味深い話です。迷宮のど真ん中に現れた大量の漂流者。しかも全員がスキルに覚醒している。何かの予兆ではないかという噂も既に立っていますよ」


 予兆。その言葉を聴いて永遠は言いようのない感覚に襲われた。

 これまで自分たちは不幸な事故に巻き込まれただけの被害者だと考えていた。だが、レイチェルの言葉はそうでない可能性を示唆していた。


(俺たちがこの世界に転移したことには、何か理由があるのか?)


 運の悪い人間ではなく、何らかの必然によって選ばれた人間。それが一年四組だったとでも? 永遠の思考はスキルへの不安と現状への不安が混ざり合って、どんどん暗い深みへと嵌まっていきそうだった。


 レイチェルはそんな永遠の内心を知らずに話を続けた。


「実際のところどうなのかは分かりません。ただ一つ言えるのは一年四組に目をつけているクランがいくつもあるということです。《青嵐》も含めて」

「言いたいことは分かりました。つまり、こういうことですね? 私たちが自立するための支援をする代わりに、《青嵐》の迷宮探索に助力してほしいと」


 菖蒲が長々とした説明の意図を要約した。


「はい、簡潔かつ完璧な回答ありがとうございます。この世界の地理、経済、文化、法律、学術など生きていくために必要な知識はこちらでレクチャーします。勿論魔物と戦うための戦闘指南、スキルを活用するための実践的な授業も請け負いましょう。そして、身に着けた力を私たちに貸してください」


 レイチェルは隣に立つミラへ視線を向ける。ミラは戦いに慣れた戦士の顔で頷いた。


「戦闘訓練は私たち実働班が引き受けよう。スキル持ちの戦いは、何もスキルを活かすだけではない。実はスキルに覚醒した人間は、身体能力が大幅に強化されるという特質を持つ。強靭な肉体でなければスキルの負荷に耐えられないからだ。まだ自覚していないだろうが、今のお前たちは元の世界にいた頃よりも強くなっている」


 細身の女子生徒たちが自分の手を見つめて、握ったり開いたりする姿が永遠の目に映った。

 男子生徒も強靭な肉体に関心があるような反応を見せていた。


「へ~、じゃあ今の僕はリンゴを握り潰すことができるんでしょうか~」

「儂は元から握り潰せるし、拳で砕くこともできるぞ。うちでは次々に飛来するリンゴをすべて拳で粉砕する試練を突破できて、初めて一人前と認められるからの」

「それこの世界に来る前から人間やめてないか?」


 物騒な経験を口にする男子生徒に、晴臣が呆れた顔で突っ込んだ。


「そして、最大の懸念事項である他の組織からの接触についても、我々との友好関係が盾となってくれるでしょう。皆さんに手を出すと《青嵐》が介入してくる可能性があると知らしめれば抑止力となるはずですから」

「でもさ、それって私たちを《青嵐》だけで独占すると受け止められるんじゃない? 一つのクランとして独立するって建前があっても、あんたらの支援を受けたなら事実上その下部組織として認識されない?」


 貴恵が再び疑義を挟んだ。物言いは失礼であるが、永遠も彼女が指摘した点は気にかかっていた。《青嵐》の支援を受ける以上、どうしてもその影響力から免れることはできない。実際は体の良い別動隊として扱われるのではないか?

 そう考えた者が他にもいることは、皆の表情を観察すれば分かった。


「勿論他のクランの交流は自由にしていただいて構いません。私たちだけが皆さんの力を借りることのできる立場にあると、他のクランから目の敵にされますからね。あくまで他のクランより優先順位を上げてほしい程度です」

「これは先程も話に出たあまり良くない組織に人材が流れるのを防止するという目的もある。スキル持ちが素行の悪いクランや犯罪組織に流れる事態は絶対に避けたい。そのためにも全員を同じクランに押し込めて、お前たち同士で、あるいはクラン同士で監視しやすい体制が欲しいのだ。他のクランもこの点は賛同するだろうよ」

「やれやれ、監視と密告はどの世界も変わりはないんだね」


 貴恵は皮肉めいた口振りであるが、納得はしているように見えた。


 必要な説明を終えたレイチェルは眼鏡を光らせた。


「さて、皆さん如何でしょうか。この提案を受けていただけますか?」


 選択を突きつけられた少年少女は互いに反応を窺い合った。

 相手の顔の下にどんな意思が隠れているのか判断はつかない。しかし、提案に積極的に反対する意思は誰からも見られなかった。

 彼らの中の一人が決心したように頷くと、一人また一人と続いた。


 菖蒲は一度大きく息を吐くと、《青嵐》の二人に告げた。


「分かりました。お受けしましょう」

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