第5話 漂流者のための異世界講座
「ミラさん……外まで連れ出してくれたことには感謝しますが、もっとこう心の準備というものを……」
菖蒲がじとっとした目つきでミラを見る。
ミラは何も問題はないと言いたげな顔だ。
「なに、この世界に少しでも早く慣れるようにと見せつけたまでだ」
一方、一部の生徒は突然の出来事に対する感想を述べあっていた。
「おお、今のってワープ? 教室からこっちに来たのと似たようなもの?」
「急に景色変わったら脳が混乱する」
そんな中、一人の少年が光の集まる遠方を見つめている。永遠は彼の名前を知らなかったが、樹神重工の社長の息子だと歩に説明されたことは憶えていた。
「あそこに見えるのが人里ですか?」
樹神少年の言葉に、ミラは肯定を返した。
「そうだ。我々の住む街――王都メイリムだ」
「メイリム……」
晴臣が呟く。その名には聞き覚えがあった。
「ミラさんはこの迷宮のこと《メイリム都市迷宮》って呼んでましたね」
「ああ、《メイリム都市迷宮》は王都メイリム北にある湖の上に塔のようにそびえ立っている。ここは入口付近だから見え辛いが、向こうからは空高く伸びた迷宮の外観を見ることができるぞ」
永遠が訊ねると、彼女はそう教えた。
背後を振り返り、見上げる。そこには天を貫かんとするほど高い建造物があった。頂上部を見ようとして首を傾けても見ることはできず、首の痛みだけが唯一の成果だった。つい先程まで自分たちはあの建造物のどこかにいたのだと考える。もし、自分の足でここまで辿り着こうとすれば、どれだけ時間と労力が必要だったのか。そう思うとぞっとした。
杏樹は湖の方を見回していた。
「街へ行くならこの湖を渡らないといけないんですよね? 船はどこにあるんですか?」
「あっちだ。私の帰還を待っている」
そう言ってミラは四組を船の停泊位置にまで先導した。船は階段を下りた先にあった。石畳に覆われた地面といたるところに陥没した箇所が見受けられる事実は、ここが元は整備された港であることを窺わせた。
ミラの視線の先にある桟橋に、一人の男が立っている。人畜無害そうなたれ目が印象的な若い男だ。
男はミラの姿を認めると、人懐っこそうな笑顔を浮かべた。
「ミラさん、よくぞ御無事で。おや、随分と大所帯ではありませんか」
「すまないリオ、客が増えた。向こう岸まで乗せてやってくれ」
リオは永遠たちをじっと興味深そうに眺めると、納得がいったような表情になる。
「かしこまりました」
リオは唐突な団体客の追加に嫌な顔一つすることなく、当然だとばかりに仕事に移った。
ミラは皆を振り返る。
「さあ、乗ってくれ」
「乗ってくれって、どう見ても四十人以上乗れる大きさじゃなくないか?」
男子生徒の一人がそう言うと、数人が同意するように頷いた。
船は十人が乗れるほどの大型クルーザー程度の大きさしかない。
ミラは再び悪戯っぽい笑みを見せた。
「乗ってみれば分かる」
そう言って一足先に船に乗り込むと船室へと続く扉を開け、中へ入っていった。
四組の面々は互いに顔を見合わせたが、晴臣が意を決したように乗り込み、ミラの後を追い船室へと消えた。
晴臣が驚きに満ちた声を上げたのは、その直後だった。
何事かと駆けつけるように次々に船に上がった彼らは、扉の先を見て同じように驚愕した。
そこには異質な空間が広がっていた。
ホテルのロビーを思わせる吹き抜け、左右に伸びた廊下、そしてそれらを彩る絢爛豪華な意匠。
小さな船からは想像もできない現実が彼らを出迎えた。
「あれ? 明らかに広くない?」
誰かが困惑した声を聞き、中で待っていたミラが言った。
「リオのスキルによるものだ。この船の内部は一種の異空間になっていて、外からは分からないほど広い。四十人くらいなら問題ない」
生徒たちは口を開けて船内を見回す。
樹神が絨毯や照明、壁や床をじっくり観察しながら感嘆した。
「いやはやこれは。内装や調度品も見事な物が揃っていますし、設備だけなら高級クルーズ船に匹敵するんじゃないですか?」
「これってどこまで広くできるんですか?」
菖蒲が訊ねる。ミラは記憶を辿るのにいくらか時間を要した。
「そうだな……以前三百人くらいで乗ったことがあったはずだ。その時も全員分の個室に加え、食堂、調理場、倉庫、医務室なども用意できていたな」
「すっごい優秀。スキルってそんなこともできるんだ」
歩は好奇心に満ちた目で言った。既にスキルの摩訶不思議さに魅了されているようだった。
「お前たちも似たようなことができるかもしれんぞ。スキルの可能性は無限だ」
ミラは未知への憧れを抱く少年に対して優しく言葉を返した。
最後にリオが船内へやって来た。彼はゲストが予測通りの反応を見せたことに満足していた。
「到着まで二時間ほどかかります。その間お部屋でお寛ぎください。お部屋に浴室も備え付けてありますので、ご自由にお使いください。簡単な食事も出せますよ」
生徒たちから歓声が沸いた。杏樹と千紘もまた嬉しそうな表情であった。迷宮の中にいた頃より表情から険が除かれている。クラスメイトの精神的ケアから解放されてほっとしていた。
菖蒲は苦笑した。
「大分気が緩んでいますね……」
「いいじゃない。内心神経擦り減らしていた人もいただろうから。僕たちも休もうよ。流石にいろいろありすぎて疲れちゃった」
「そうですね。できるなら仮眠しておいた方が良いでしょう」
菖蒲の一言でその場は解散となった。生徒たちは個室の並ぶ廊下の方へと駆けていく。彼らの後ろ姿を眺めながら永遠も続いた。
個室の内装も立派だった。豪華客船の一等客室と言われれば信じてしまいそうで、実際にそれほど見事だった。
永遠は鍵をかけると、ふかふかのベッドに寝転んだ。天井を見上げぼーっとする。
「ふう……」
教室から迷宮へ転移させられてからどれほど時間が経過しているか不明であるが、体感時間にして一日も経っていないのにあまりに体験したことが濃すぎた。肉体的にも精神的にも疲労が溜まっている。菖蒲の言う通り仮眠をとるべきだろう。
(異世界か……本当なんだな)
今自分のいる場所が名前も知らない世界だと思うと、奇妙な感覚に見舞われた。夢と現実の狭間でうろうろしているようだ。
父は、母は、妹は、今どうしているのだろうか。
永遠は住み慣れた家と家族の顔を思い浮かべたが、余計に疲労が溜まりそうな気がすると無理矢理脳の中から打ち消した。
(一旦寝るか)
彼はそのまま目を瞑った。
微かな船の揺れが彼をすぐに眠りへと導いた。
船は予定通り街へ到着した。
四組一同は夜の王都を前に声を漏らす。
「わあ……」
迷宮側の河岸から見たように、夜でも王都には光が溢れている。路上に設置された街灯がその光源だ。薄く黄色い光を放ち、王都の町並みを永遠たちに曝け出している。
港には賑わいがあり、多数の人間が動き回っている。その中には船乗りとは異なる装いの人間が何人もいた。永遠は彼らを見てミラに似ていると思った。
「あれは私より先に帰還した探索者たちだ。この時間は一斉に帰還した連中と顔を合わせることになる。絡まれても面倒だから早く行こう」
皆はミラの指示に素直に従った。港に集まった探索者たちは異様なほどの大所帯と、ミラ以外の探索者とは似ても似つかぬ連中を目にして怪訝な顔をしていた。彼らの中には好奇心から声をかけようとしていた者がいたが、ミラがひと睨みするとすぐに退散した。
「まずは私のクランハウスへ行こう。リオが船にいる時に連絡をしてくれたから、既に準備しているはずだ」
「ところで、ずっと気になっていたんですけど、クランとか探索者ってどういう意味ですか?」
一人の女子生徒が訊ねると、ミラは説明を忘れていたことに気づいた。
「ああ、探索者とは迷宮の調査や遺物の収集、魔物の討伐などを生業とする職業だ。クランは探索者が効率よく迷宮探索を進めるために集まってできた組織を指す。私やリオは同じクランに所属する同志の関係だ」
港の外へ出ると、途端に賑わいは鳴りを潜めた。人の姿はまばらだった。静かな街に夜風が吹く。
港を出てすぐの場所に一人の女性が立っていた。黒髪のショートボブで、仕立ての良いさっぱりとした服を着ている。
ミラは彼女の元へ歩いていくと、慣れた様子で話しかけた。
「すまないシーリア、こんな時間に仕事をさせて」
「仕方ありませんよ。漂流者が迷宮に現れた際の対処はうちの役目ですから」
シーリアと呼ばれた女性は肩をすくめた。
「とりあえずうちのクランハウスで簡単な説明だけしようと思う。その後は……」
「ええ、うちにお任せください」
二人が会話を終えると、生徒たちへと視線を向けた。ミラの目はついてこいと語っていた。
クランハウスは徒歩五分程度の場所に建っていた。その一帯で一際目立つ三階建ての建物だ。周辺の建物と比べるとデザインが独特で、門扉や柱に彫刻が施されていた。
玄関の扉を開くと、リオの船と似たような豪奢なロビーが目に入る。
ミラは我が家を見せびらかすように自慢げに笑った。
「ようこそ。ここが私が所属するクラン《青嵐》のクランハウスだ」
彼らの元に新たな人物が現れた。紫色の縁の眼鏡をかけた女性だった。
「お帰りなさいミラさん」
「ただいまレイチェル」
「話はリオから聞いています。会議室が空いているので案内してください。私もすぐに向かいます」
「ありがとう」
永遠たちが案内されたのは一階廊下を進んだ先の大きな部屋だ。日本にいた頃に見たことのあるオフィスビルの一室とよく似ていた。
生徒は思い思いの席に座っていく。永遠は最後部の一番端の席を選んだ。前の方ではなく、両隣に誰かが座る恐れのない場所ならどこでもよかった。隣に座ったのは歩だった。比較的ましな結果だなと思った。
しばらくするとレイチェルが入室した。彼女は前方で立っているミラとシーリアへ視線を向ける。ミラは「頼む」と答えた。
レイチェルは咳払いをした。
「まずは自己紹介から。本クラン《青嵐》の事務主任を任されているレイチェル・ハンターです。よろしくお願いします。こんな時間ですが皆さんが現在置かれている状況について説明しておくべきだとミラさんから相談を受けて、この場を設けました。お疲れでしょうがしばしお付き合いください」
まるで学校の授業のようだと永遠は思った。ほんのつい昨日までは悠城学園でこのような日常を送るはずだと信じていた。今は異世界で授業を受けている。
「最初に、今皆さんがいるこの国について説明します。ここはセレイア王国の首都メイリム。セレイア王国は温暖な気候の島国で、迷宮とその生産物を活用した産業が盛んです。経済力や技術水準も他国と比較して高いですね」
それは事実だろうと多くの生徒が思った。メイリムの街はほんの少し目にしただけだったが、整備された街並みは確かな豊かさを表していた。
レイチェルは「さて」と言うと、会議室を見渡した。
「皆さんはこの世界へ迷い込んだ“漂流者”です。漂流者についてはもうご存じかと思いますが、改めて私から説明させていただきます。漂流者とは、こことは異なる世界からこの世界へ世界を越えて移動させられた人間を指します。この国にも過去に何度か漂流者が現れていますね。流石に数十人も同時に現れたのは今回が初めてですが」
レイチェルは一拍置くと、人差し指を立てた。
「何故この世界へ迷い込んでしまうのか? これについて詳しい原因は判明していません。ただ、迷宮やその周辺地域で大規模な魔力の歪みが観測されることが度々あります。過去に観測された時期と新たな漂流者が迷い込んだ時期が一致しているので、恐らく他の世界と繋がった時に起こるのでしょう。歪みが発生する原因は現在も研究が進められています」
最前列に座っていた樹神が手を挙げた。レイチェルは彼に「どうぞ」と促した。
「待ってください。それってつまり漂流者を元の世界へ返す方法もまだ知られていないってことですよね?」
レイチェルは肯定した。
「残念ながらその通りです。漂流者が帰還に成功したという話は未だありません」
会議室のあちこちから呻くような声が上がった。
それを収めたのはミラだった。
「希望を捨てるにはまだ早い。確かに漂流者が帰還した事例はないが、だからといってお前たちが帰るための手段が存在しないとは言い切れん。それはお前たち自身がよく理解しているはずだ」
「スキルですね?」
杏樹が回答した。レイチェルはにっこり笑った。
「御明察です。世界を渡ってきた貴方たちなら、スキルに覚醒している可能性は高い。既に一名覚醒が確認されているそうですね。スキルとは人知を超えた力であり、不可能を可能にすると云われています。もしかすると皆さんの中に元の世界に帰還できるようなスキルに覚醒した方がいるかもしれません」
不安そうな表情をしていた生徒たちの顔に一縷の望みが灯った。
永遠は期待を抱く反面、本当に都合良くいくだろうかと心配していた。簡単に元の世界へ帰還できる希望があるなら、既に帰還している漂流者の一人もいるはずではないか? そのような疑問が浮かんだからだ。
永遠が皆の様子を窺うと、同じ疑問を抱いたと思われる人間が他にも見受けられた。隣の歩、前方に座っている杏樹と千紘、永遠の反対側の端の席に座る天麗、永遠の前方に座る稲荷貴恵、そしてミラの傍にいる菖蒲。永遠が確認した限りこの六人の様子は安堵に満ちた生徒たちとは異なる反応を示していた。
「今日はもう遅いのでお休みになられた方がいいでしょう。皆さんは今夜迷宮管理局の所有する施設に泊まっていただきます。今は使われていない古い寮ですが、問題なく使えますよ。今後の詳しい話やスキルの確認などは明日にしましょう。それから新たな漂流者が大量に現れたことについて聞き取り調査などが行われるかもしれません。皆さんにはしばらく窮屈な生活を送ってもらうかもしれませんが、どうか我慢してください」
レイチェルはそう言って話を締めくくった。
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