第4話 スキルという未知
「はい、これで大丈夫ですよ」
天麗は自分の手をしげしげと見た。水で洗われた傷口の上からガーゼがテープで貼りつけられている。
「ありがとな」
彼女は一言そう言うと、小さく頭を下げる。
手当てを終えた女子生徒は片付けをしつつ、ミラへ向き直ると礼を述べた。
「ミラさんが水を持っていて助かりました。私たちが持っているのは一部の人が持っている菓子類くらいでしたので」
「水くらい好きに使え。この建物から少し歩けば水辺があるから水の確保は難しくない」
ミラは部屋を見回した。
「しかし全部で四十一人もいるとはな。一度にこれだけの漂流者が現れるのは、私が知る限りでは初めてだ」
「この世界に僕たちみたいな人は少ないの?」
ミラは少し考える仕草を見せた。
「それなりにいる、というところか。探そうと思えば見つかるくらいの数だ」
「ね! だから言ったでしょう! 異世界は本当にあったんですよ!」
異世界転移の推測を最初に挙げた少年が興奮気味に言った。
「分かったから黙ってろ! はしゃぎ過ぎだ!」
「自説が証明されて活き活きしてるねー」
先程少年と議論を繰り広げていた二人が口を挟んだ。言葉を交わす間に距離感が縮まったように思えた。
ミラは意外そうに目を丸くした。
「思っていたよりも動揺は少ないな。こういう時は取り乱すのが普通だと思っていたが」
「その辺は事前にケアしておいたからね。むしろミラさんと会ったことでほっとしてる人の方が多いかな。ここの地理にも詳しいんでしょ?」
「ああ、望むなら街まで送ってやる」
それを聴いた女子生徒の一部が湧いた。
「やった! 異世界とかはよく分からないけど人里へ行けるなら十分よ!」
「食料の調達をどうするか皆悩んでいましたから……」
「寝床の確保もしたいなあ」
歩が同意するように頷いた。
「こんな場所じゃおちおち眠れやしないよ。あの狼……狼でいいのかな? あれがまた出るかもしれないし」
「ハリオオカミだな。この一帯に棲息している魔物で、群れで行動するのがほとんどだ。最初に一匹だけ遭遇したのは運が良かったな」
魔物という単語を耳にして、永遠はここが本当にフィクションで何度も診た非日常の世界であると実感しつつあった。
異世界。魔物。迷宮。
目を覚ましてから聞いた単語は馴染みがありつつ現実では使いどころのなさそうなものばかりだ。それが当然のように口に上がっている。起きてからの体験すべてが夢で、唐突にあの教室へと引き戻されても決して不思議ではないだろうと彼は思った。
「本当に運が良かったよ。ミラさんが来るまで時間を稼げたのは晴臣のお陰だからね」
歩は離れた場所で男子生徒に囲まれている晴臣を見やった。
「聞いたぞ織田! 貴様化け物から皆を守ったそうではないか!」
「勇気あるなあ。僕なら多分逃げていたよ」
「やるじゃねえか
称賛の声を浴びる晴臣はどう対応していいか分からず、適当に言葉を濁していた。
「随分と人気者になったねえ」
「理事長の孫ということで一目置かれていたけど、今回の件で一層信頼を勝ち取ったみたいだ」
苦笑する歩に、陶山千紘が言葉を返した。永遠は祀り上げられる晴臣の姿を眺め、溜息を吐いた。
そこへ一人の女子生徒がやって来た。小柄で胡乱気な目つきをしている。
「それで? あんたらは何やってたのさ? まさか何もやってないわけじゃないよね?」
永遠はその声に聞き覚えがあった。入学式で水城杏樹が新入生代表の挨拶をした時、陰口めいた言葉を発した女子生徒だった。
「えっと、君は――」
「
稲荷貴恵は詰るというより小馬鹿にするような言い方で二人に問い質した。
永遠が何も言えないでいると、歩が首を振って答えた。
「いやあ、恥ずかしいけど何の役にも立てなかったよ」
「……同じく」
貴恵は鼻で嗤った。
「はー、情けないったらありゃしない。足手まといになるくらいなら行かなけりゃよかったのに」
杏樹がむっとした顔をした。
「稲荷さん、言葉が過ぎますよ」
「どうした優等生。私の言ったこと何か間違ってる?」
「何も行動しなかった人が行動した人を非難する資格など誰にもありませんよ」
杏樹は貴恵を真っ向から睨みつけ、貴恵は嘲笑的な笑みを浮かべた。
不穏な空気が漂う。杏樹の友人たちはあたふたとして二人の顔を交互に見た。
千紘が手を叩いた。
「そこまでだ。水城さんも稲荷さんも喧嘩することないだろう。まだ安全が確保されたわけでもないのに争うなんて無駄なだけだ」
杏樹は不満そうだったが渋々といった表情で引き下がる。貴恵は無言で踵を返すとその場から離れていった。
ぎこちない空気の中、歩が突然思い出したかのように声を上げた。
「あ、そうだ。狼の話で思い出したけど、結局あれって何だったんだろう?」
抽象的な表現であるが、永遠は何を指しているのかすぐに理解した。
「ああ、織田の手から出た光?」
「光? なんだいそれは」
「晴臣が攻撃する時に急にぱーって出たんだよ。その光を浴びた狼の躰が焼けて苦しんでたんだ」
千紘の問いに歩は答えた。
ミラは思い当たる節があるのか「ああ」と言った。
「それは恐らく“スキル”に覚醒したんだろうな」
「スキル?」
永遠が訊き返すと、ミラは続けた。
「人間が持つ異能の力だ。すべての人間は生まれながらにして異能の素養を持ち、性格、思想、経験などによって各々の力を覚醒させる。それがスキルだ。ただ、スキルに覚醒するには何かしら強い切っ掛けが必要で、子供の時に覚醒する者もいれば年老いてから覚醒するなど人によって様々だ」
「強い切っ掛け……まさか、この世界に来たこと?」
歩の言葉は正解だったらしく、ミラは頷いた。
「ああ、世界を渡ることは肉体的にも精神的にも多大な負荷がかかる。スキルに覚醒しても不思議ではない。実際に過去の漂流者もその多くがスキルを使えたと聞いている」
「スキル! やっぱりあれですか。チートスキルで無双するってやつですか!」
“異世界オタク”と永遠が内心名付けた少年が、目を輝かせながら言う。
彼と言い合っていた男子生徒が疲れたように息を吐いた。
「テメーはいちいち食いつきすぎなんだよ……」
「だって期待するじゃないですか! 織田くんがスキルに目覚めたってことは僕たちも目覚めたかもしれないんですよ!」
「それは……確かに気になりますね」
杏樹はどこか不安げに言った。奇妙な力を知らない間に獲得している可能性があると言われて気になったようであった。
「スキルの有無を確認することなら街に戻ればできるぞ。専門の魔法道具を使えば……」
「魔法道具! そういうのもあるのか!」
「
永遠によって異世界オタクと命名された宝田少年が腕をぶんぶん振り回す。周囲の生徒が迷惑そうに彼を見つめていた。
ミラはもう一度部屋を見回すと言った。
「そうだな、まずは街へ行こう。詳しい説明は落ち着いてからゆっくりした方がいい」
「人里へ行くのは賛成ですけど、外には織田くんたちが遭遇した魔物がいるんですよね? ミラさんは魔物を倒せるくらい強いそうですが、私たち全員守りながら動けるんですか?」
杏樹がミラにそう訊くと、彼女は笑顔を見せた。
「ああ、その心配はいらない」
ミラは杏樹の顔を見つめる。
「確認するがお前たちの仲間は今この部屋に全員いるな?」
「え? はい、そうですね。全員います」
「ならいい」
そう言うと彼女は懐から何かを取り出した。
永遠たちは顔を近づけ、それを観察する。赤紫色のピンポン玉サイズの球体で、鮮やかな光が球体の中心から発せられていた。
球体を見つめる彼らが首を傾げていると、ミラは言った。
「この部屋の中身を丸ごとあっちまで
「飛ばす?」
杏樹が訊き返すのと、球体が突然割れるたのはほぼ同時だった。
割れた球体の破片が周囲に飛び散るようにして消え、その瞬間球体の中心にあった光が広がり、彼らがいる部屋全体を包み込んだ。
部屋の景色が赤紫の光に覆われたかと思うとモザイクがかったように朧気になる。そして、再び鮮明になった時には景色は一変していた。
彼らは宮殿の広間のような場所ではなく、より開けた場所にいた。
肌に冷たい風の刺激が走る。夜の闇が彼らを見下ろす。視界の遙か遠くにはいくつもの光の点が集まっている。建物の光だった。
永遠はゆっくりと周囲の様子を確認した。足元は石畳が敷き詰められ、一部に穴が開いている。遠方の光との間には黒い水平線が横切っており、手前は川か湖が広がっていた。
外であった。
悪戯が成功したようにミラは片目を閉じた。
「――とまあ、私は迷宮から脱出するための魔法道具を所持している。この通り大勢を連れていくなど造作もないというわけだ」
誰も一言も発しなかった。一年四組の面々は呆れと困惑が入り混じった感情で、ミラを見つめた。
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