ヴィーガン

@aki4009

第1話

 最初に断っておくが私は決してヴィーガン肯定派でも、否定派でもない。その上で読んでほしい。

 よくSNSではヴィーガン(完全菜食主義者)に関する動画が流れてくる。その動画の内容は、ヴィーガンの方々による肉食反対運動、ヴィーガンを否定する動画などの過激なものや、単に自分の食生活を紹介する穏健なものなど様々だ。その中で私が気になったのは、ミータリアン(この場では肉を好んで食べる人と定義する)によるヴィーガン否定動画だ。彼らによれば、過激な反対運動しているヴィーガンに対し、押しつけるのは違う、美味しいから肉を食うんだと言う意見があった。

 しかし私はこの意見は少々浅はかなのではないかと考える。今の時代、肉を食べることが美味しいからという理由だけでは済まされる問題ではなくなってきている。地球温暖化、食糧不足、健康問題など世界が抱える様々な問題と密接に関係している。

 だが人々は自分の都合の良いことしか口にしない。もちろんこれはヴィーガンもだ。客観的に話しているように見えて主観がその人の意見を占領している。適切に議論するためには適切な意見つまり客観的な意見が必要だ。

 話題は逸れるがここで日本語について話したいこと思う。ある論文によれば日本語は主観で話すことが大前提としてあるという。なぜならば客観性を重視し主観を手放すと、共感性がなくなり、道徳性も失われてしまう。よって日本語を母国語とする人は、客観的に物事を話す人を批判の対象としてしまう傾向があるそうだ。

 そうならば、彼らは自分の主観を剥き出しにして話すのか。そう言われてしまうと、私は決して自分の首を縦には振ることはできない。私は、彼らは自分の主観に満ちた意見を客観性で塗り固めているのではないかと考える。実際学校では、論文などを書く際、客観的に書きなさいと言われる。もちろん生徒はその指示に従今自己中心的な表現は避けて書くが、その根底にあるのは常に主観である。

 ここで話を戻そう。私の意見がもし正しいのであれば、先程のヴィーガンの問題とこの日本語の特徴は類似している。ヴィーガンもミータリアンもどちらも自分が正義であると信じている。自分たちの意見のメリットにしか目を向けず、デメリットには一切言及しない。要は自分たちは自己中心的ではないと陰に主張しているのだ。実際は自分のことしか考えていない、自己満足でしかない意見だとは気づかずに。しかし上記で示したように、共感性、道徳性を持たせるためにはやはりその自己中心性は必要になってくる。

この矛盾を解決するためにはどうすれば良いのか。私は、まず全ての人が自分の意見を客観的に見ることが必要だと考える。恐らくこれを読んだ全ての人が私のことを無責任だと考えただろう。しかし、問題解決の一番の近道は、間違いを正すことだ。間違いをお互いに正し、皆が一つの方向に向かっていくことが重要だ。そのうえで初めて主観の話をするべきである。

 もちろん私の意見だけで解決するのであればこれ以上に簡単な問題など無いが、少なくと全ての問題解決における基礎となるのは間違いないだろう。

 

 

 

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