其ノ弐

痣の鋭い痛みが自分を現実に引き戻した。気が付けば、あの重苦しい気配は消えていた。あの少女の姿はどこにも無い。玄関のドアは閉まったままだ。自分が意識を失っている間に、少女が家から出ていったのであれば、鍵の閉まったドアから一体どのように出ていったのだろうか。そもそも、ここはオートロック式のマンションだ。部屋までどうやってやって来たというのだ。いや、あれはきっとこの世のものではない。ドアや施錠など無意味なのだろう。


未だ事態を飲み込めないまま痣に目をやる。いつの間にか痛みは引いていた。火傷の様だがそれとも少し違う。裕子の腕の痣とよく似ていた。


そういえば、一体どれほどの間意識を失っていたのだろうか。急いで時計を確認する。


「まだ、0時…?」


最初のチャイムが0時と考えれば、あまりに時間の経過が遅すぎる。時計が止まっていたのか、それとも時間そのものが止まっていたのか。もうこの際どちらでも良い。まずは状況をまとめることにした。


2週間前の時点で裕子はツクヨミアソビに巻き込まれており、今度は自分がツクヨミ様とやらに選ばれてしまったようだ。そうなると、あの和装の少女こそがツクヨミ様だったのだろう。そして、あの少女は恐らく、裕子を人質に取っている。自分があの少女の遊びに付き合わなければ自分は勿論、裕子も死ぬ。


あの少女のいうアソビとは何を意味するのかはまだ分からない。しかし、逃げるという選択肢だけは存在しない。裕子を死なせる訳にはいかないのだから。


大きく深呼吸する。


「四ノ辻のお地蔵さん…だったか…?」


場所は何となくだが分かる。月影市で四ノ辻のお地蔵さんといえば、聖山(ひじりやま)のふもとにある地蔵尊の祠に違いない。あいにく移動手段は自転車のみだ。今から行けば、15分ほどで着くだろうか。あの少女曰く、他にも誰かがいるらしい。まずは行って確認する他ないだろう。


スマートフォンと財布、小型の懐中電灯だけを持って、急いで家を飛び出した。


生暖かい風を全身に浴びながらの深夜のサイクリングは、あまり気持ちのいいものではない。この時間でも都心であれば明るいのだろうが、郊外のベットタウンであるこの近辺はそうもいかない。コンビニとコンビニの間隔も、都心と比べるとそこそこ離れている。この時間に自分と同じような徘徊者は殆どいない。


市街地を抜けると、一気に田舎を感じさせる風景と聖山が顔を見せる。聖山は標高約200メートルの低山だ。頂上には月影市を一望できる展望台があるようだが、現在は整備されておらず、わざわざ立ち寄る人間もいない。地蔵尊の祠は、そんな山のふもとにポツンと存在していたと記憶している。


地蔵尊の祠に着いた頃には0時半を回っていた。周囲に街頭はなく、月の光がやっと視界を保たせている状態だ。自転車を近くに停め、周囲を当てもなく調べてみる事にした。


「なあ、あんた。こんな所で誰かと待ち合わせかい?」


低い男の声だ。こちらに誰か近づいてくる。咄嗟に手元の懐中電灯をその方向に向けた。


派手な柄シャツを違和感なく着こなす人相の悪い中年男性が、威圧的な表情で自分を見つめている。


「あ、えっと…。確かに、待ち合わせと言えば、待ち合わせになるんですかね…?」

急な出来事に若干言葉が詰まりながらも、苦笑いと共に彼に返答した。


「質問を質問で返すたあ、全く最近の若けえ奴はなってねえ!」

説教されてしまった。


「ほらほら、番場さん。お説教はもう良いじゃないですか~!多分その人も、私たちと同じ…なんじゃないですかね?」

若い女性が割って入る。よく通る高い声だ。


「これで揃ったんじゃないですか?」

奥からもう一人、女性が現れる。ロングヘアのスラっとした女性だった。この中では、彼女が一番落ち着いているように感じた。


「あの…同じとか、これで揃ったとか、もしかして皆さんも例の都市伝説に巻き込まれたって事ですか…?」


「おう、まあそういう事みてぇだ。ちなみにこれ、覚えがあるか?」

番場と呼ばれた男性が胸元をはだけさせる。鎖骨の下あたりに例の痣がある。やはりこの人たちも自分と同じように、あの少女に選ばれたという事か。


「ところで、お地蔵さんに来いって言われたんですけど、具体的にこれからどうすればいいんですかね?」

若い女性が誰に問いかける訳でもなく、そう口にした。当然の疑問だ。あの少女からはここに来るように言われただけだ。


「ああ、それなんですけど。祠のあたりを調べてみたら、こんな紙が落ちてました…」

ロングヘアの女性が、四つ折りの紙を全員に見えるように掲げた。全員が彼女の元に集まり、その紙に書かれた内容を確認する。


ヒキサキオンナ ヲ ヤッツケテ

ヤッツケタラ ミンナノカチ

ヤッツケラレタラ ミンナシンジャウ


「ヒキサキオンナ?皆さん、知ってます…?」

彼女が全員を見回した。


「いや、俺は知らねえな…。そもそも怪談なんか気にしてたら、こっちは商売なんかできやしねえよ」

番場という男性は、見た目通りカタギではないらしい。勿論自分もヒキサキオンナなんて知らない。もう一人の若い女性も、同様に心当たりはないらしい。


「早速手詰まりですね…」

自分がそう言いかけたところで、こちらに近づく足音が聞こえた。もう一人、あの少女に選ばれた人間がいたのだろうか。その方向を確認する。


「どうやら、今回は皆さんが選ばれた方々の様ですね」

黒いシャツに黒ぶちの眼鏡をかけた、落ち着きある雰囲気の男性だ。年齢は30~40代位だろうか。男性は続けた。

「誤解の無いよう申し上げますと、私は皆さんのように例の都市伝説に巻き込まれたわけではありません。恐らく皆さんが巻き込まれた事象について、少し知っているという訳です」


「話が見えねえな、兄ちゃん。つまりどういう事だ」

番場が詰め寄るが、男性は手で制して更に続ける。


「私は決して怪しい者ではありません。ただ、仕事上このような事象について調べる機会が多いものでして」

彼は懐から名刺を取り出すと、全員にそれを渡した。


郷土史研究家 朱沢 一誠(あけざわ いっせい)


「こんな場所で立ち話もなんですから、私の家に来ませんか?何故私がここへ来たのか、私が知っていることも含めて全てお話しします」

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