序章「アソビノハジマリ」 瀬戸翔一郎編

其ノ壱

肌にジメジメと纏わりつく湿気を帯びた空気。アスファルトから蒸し返す熱気。うだるような暑さがピークを迎える7月下旬。時刻は夜だというのにも関わらず、その熱気が収まることは無い。暑さのせいもあって、重くどす黒い不安が更に体を蝕んでいく。


2週間前、裕子が失踪した。警察の捜査もむなしく、成果は未だ上がっていない。いてもたってもいられなくなった結果、自身で方々を訪ね歩いた帰りだった。勿論その消息は掴めていない。


また明日にしよう、それが導き出した最良の答えだった。明日ならきっと何か分かるはず。そう自分に言い聞かせる。言い聞かさなければどうにかなってしまう。


自宅マンションに戻り一息つく。冷えた清涼飲料を音を立てて飲み干した。


失踪前最後に見た裕子からは、まるで何かに追い立てられているかのような焦りを感じた。一体何があったのかと問いただしても、はぐらかされるばかりだった。しかし今思えば、無理やりにでも話しを聞きだすべきだったと後悔の念が募るばかりだ。


ふと思い出すことがある。1度だけ、裕子が妙な事を尋ねてきた。それはひと月ほど前のことで、裕子が失踪したという事実で頭が一杯だった事もあり、記憶の奥底に沈殿していた。


「ねえ、お兄ちゃん。ツクヨミアソビって知ってる?」


あの言葉は何を意味していたのだろう。好奇心と妙な不安が入り乱れる。今更ながら、念のため調べておくべきなのかもしれない。思い立って、ネットでやたらめったらに検索をかけた結果、ヒットした情報はオカルト掲示板の他愛ないネットロアだった。要点だけまとめると以下の通りだ。


「都市伝説ツクヨミアソビ」

・ツクヨミ様に魅入られた人間は、ツクヨミ様の遊びに参加しなければならない。

・魅入られた人間の体には痛みを伴う真紅の痣が現れ、徐々に身体が蝕まれていく。

・痣の侵食を食い止めるには、ツクヨミ様の遊びに勝たなければならない。


マイナーなオカルト掲示板に目立つことなく投稿されたそれは、くだらない都市伝説の類に違いなかった。そのはずなのに、妙に納得のいく点がある。真紅の痣。それは失踪前の裕子の腕に確かに存在していたのだから。本人は隠していたつもりだったのだろうが、同居している以上気付かない方が難しい。自分の居ない間に火傷でもしたのだろうと思い、すぐに冷やすように言ったのだが、大丈夫の一点張りだったため、それ以上追及はしていなかった。


しかし、都市伝説が実在するなんて有り得るはずもない。こんな噂を鵜呑みにしてしまいそうになるほど自身は疲れているのだ。横になり目を閉じる。明日すべき事は決まっている。少しでも情報を手に入れなければ。希望と不安が同時に胸中に立ち込めながらも、まぶたが重くなり視界は闇に覆われる。


インターホンの無機質な音が意識を呼び起こした。時刻を確認する。午前0時。こんな時間に一体誰が訪ねて来たというのか。


重い体を引きずり、インターホンで外を確認する。しかし、そこには誰も映っていない。気のせいか、そう思いながらベッドに戻ろうとする。


またチャイムが鳴った。


ドアを開けて確認する。やはりそこには誰もいなかった。誰かのイタズラか、それとも機械の故障だろうか。


ふと足元に視線が行く。1枚の紙がそこに置かれていた。4つ折りで丁寧に折られたそれは、そこに落ちているのではなく誰かがそこに置いたことが伺えた。おもむろに紙を広げる。そこには一言こうあった。


イッショニアソボ


ただ一言、文章が書かれているただの紙のはず。しかし、触れただけで、その文字を認識しただけで、悪寒が背中を走った。再度紙に目をやる。


イッショニアソボイッショニアソボイッショニアソボイッショニアソボイッショニアソボイッショニアソボイッショニアソボイッショニアソボイッショニアソボ…………


そこには大量に書きなぐられた文字の羅列があった。自身の目を疑う。こんなことがあるはず無い。あってたまるか。


背後から声がする。


「うふふふ、いっしょにあそぼ」


まるで市松人形を思わせる、和服姿の年端も行かない少女の姿がそこにあった。時代錯誤ではあるものの、一見無邪気な少女のように見える。しかし、その少女からは得体のしれない不気味さと、底知れない悪意を感じた。息が詰まり、声を発することもままならない。


次の瞬間、体に熱を帯びた鈍い痛みを感じた。


右手首に真紅の痣がじわじわと浮き出てくる。熱を帯び、脈動するそれは、その部位のみ自身の意識とは別に意思を持って動いているようにも見えた。


少女が語りかけてくる。


「遊んでくれなきゃ、裕子ちゃん、死んじゃうよ」

「四ノ辻のお地蔵さんでみんな待ってるよ。早く来ないと裕子ちゃん帰ってこないかもね」


聞きたい事が山ほどある。この少女は誰なのか、みんなとは誰を指すのか、裕子は無事なのか…!しかしそれを声として発することが出来ない。


意識が朦朧としていく中、少女の楽し気な笑い声だけが脳内に響き渡った。やがて視界は闇に閉ざされた。

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