第10話
「うん、たまたま。在学中はお互い知らなかったけどね」
操が答えると、美知は首を大きく傾げるようなしぐさをした。それは美知の癖で、とくに何か疑問に思っているというのではなく、本音を言うときにそうするらしいことに、操はすでに気づいていた。
「いいなあ、そういうの。私、憧れるわ、そういう仕事って。私もできるかな」
洋一が大きく笑って答えた。
「やろうと思えばできるんだよ。女性の戦場ジャーナリスト、有名な人がいるだろ?」
「ああ、テレビで見かけたことある」
「知り合いでは、難民キャンプに住み込んで、地道に取材している人もいる。彼女はもともとは普通のOLだった人が転身したんだ。やっぱり、おれたち男の目とは違った映像の切り取り方をするんだな。真似しようとしても、できない。戦場には男も女もいる。女の取材者はやっぱり必要なんだ」
「あんまり煽るなよ」
操がいさめるように言うが、洋一は気にしない。
「おれなんかは、言い方は悪いが、ちょっと派手な場面に行きたがる方なんだ。空爆の跡とかね。でも、こいつはまた少し違ってね」
洋一は操の肩に手をかけた。操は困った表情になる。
「友人を作るのが得意だ。言葉も通じないのに、すぐに話しこむってのも変だけど。通訳がいなくても、何となくボディランゲージで話してる。おれはそういうところで、こいつを気に入ったんだ」
洋一がそんなことを言うのは初めてだった。そうだったのか? と操は素直に驚く。ふだん、そんなことを言ったことはなかったのだが。
洋一は酔いが回ったのか、操の肩に手を置いたまま続けた。
「正直、こいつに逃げられたのは痛いんだ。おれたちは、協力した方が、いい取材ができる。ジャーナリストなんて一匹狼だと気取ってる輩もいるが、おれはこいつと組んだ方がいい絵もとれるし、いい話も聞けるんだ」
操は失笑に似た笑いを漏らした。
「そんなこと、初めて聞きましたね。どうしたんですか、急に」
「おれは本音を言ってるだけだ。本音は恥ずかしくてそうそう言えるわけでもない。きっかけってもんがいる」
そのとき美知が不思議そうに聞いた。
「逃げられたって? 関口さんは、今は戦場に行くのを止めたの? なぜ」
操はいやな気分になったが、洋一はお構いなしだ。
「まあ、事件があってさ、現地で襲われたんだよ、ナイフで切りつけられて。それで、こいつ、すっかりやる気をなくして、会社も辞めちまったんだ」
案の定、洋一は、操にとってあまり言ってほしくないことをぺらぺらと話してしまった。
「あの、もしかして、その腕の傷跡がそのときの、ですか」
「いいじゃないか」
操は少し怒ったように言った。
美知は引き下がらなかった。
「そのときの話を聞かせてほしいな。怖かった? 痛かった?」
美知のあまりの無神経さを感じて、操は珍しく苛立った。自分でも驚くような強い言葉を発していた。
「やめろよ。死なんて、知りもしないだろう、君は。あまり興味本位で無神経なこと言わないで」
美知と洋一が黙るのを見て、操は『しまった』と心の中で舌打ちした。
美知はお酒を口にし、刺身の1枚を箸に挟み、それから、思い直したように操の目を見た。
「確かに、あなたに比べれば、知らないに等しいかもしれないけど、私も人の死を知らない訳じゃない。……私の母よ。事故で亡くなった。暴走した車にはねられて。家の近くの、駅前ロータリーのはずれで」
操は言葉を失った。洋一は少し口を開け、何と答えたらいいか、思案している風になった。美知は操から視線をそらせ、刺身を口に運び、良くかみしめるように咀嚼した。
「ごめん」
操はようやく言った。
美知は少し黙った後、答えた。
「私こそ、無神経だったね。ごめん」
なんとなく沈黙が来た。
「とりあえず、うまい酒を飲もう。あとで、続きだ」
洋一が言うので、操と美知は顔を上げて、それからお互いに顔を見合わせた。
操はいやな予感がしたが、何も言わなかった。洋一は少し強引なところがある。けっして人の気持ちが分からない男ではないのだが。
焼き鳥の盛り合わせが運ばれてきた。洋一は身を分けることはせず、一本を取り上げて歯でしごくようにして食べている。美知も手を伸ばした。操はビールを飲んだ。
案外とすぐ満腹になり、3人はエレベーターで上に上がった。
それぞれの部屋に引き上げたあと、何となく、操と洋一はそれぞれに荷物の整理を始めたが、すぐにブザーが鳴った。
美知だった。
「話に来たわ」
洋一の方が少し慌てたふうで、
「ああ、じゃあ、ラウンジに行こう。そんなに混んでいないだろう、この時間」
3人はまた部屋を出た。
ホテルの2階に小さなラウンジがある。そこへ向かった。
「母が事故にあったのは、私が高校1年のときよ。前はあなたに嘘ついたの。だからって、虚言癖があるなんて思わないで頂戴ね。酒の席で深刻な話はやめたかったし。母のことは、特別。滅多なことで、語りたくなかったの。嘘というより、ごまかしたという方が近いかな。別に、『母は事故で亡くなりました』といえばいいだけだったんだけどね。でも万一あなたに突っ込まれたら、ちょっと嫌だなって」
「ちょっと待って」
操は止めた。
「そんなに話したくないなら、今は止めといた方がいいんじゃないの。無理はしないで」
「ううん、なんか、いつかは話したいと思ってた。だからお願い。今、聞いてくれない?」
美知は懇願するような表情をしていた。
「私は母が嫌いだったから、だから、こんなに嫌いなのに、なんで一方的に死んじゃうのかって、許せなかったのよ。その気持ち、ずっと持ってた。そういう気持ちがありながら、片っぽで、無惨な屍になった、最期の母の姿をこの目で見てしまったのよ」
そういうと、美知の目から不意に涙がこぼれた。
「ああ、初めて。涙が出たのは」
操は動揺しつつも、美知の話をしっかりと、できるだけ受け止めようという気になってきた。美知にとって大事な局面だと悟った。
洋一はさすがに慣れたもので、どっしりと構えているように、操には思えた。
洋一を見て、操は静かに聞いた。
「なんで嫌いだったの」
「母はね、父を心の中でバカにしてたのよ。
幼い私に、いつもじゃないけど、ときどき言った。
……『お父さんのようになるな』とかそういう露骨な言い方なら、はっきり否定して、私も内面にため込まずに済んだはず。でも母は。
……銀行員だったのは本当だけど、かなり偉かったのよ。仕事ばりばりやるタイプで外面もいいし、上司の受けもよかったんだと思う。早くに出世して」
美知はラウンジのテーブルの上にあったボックスティッシュを2、3枚引っぱり出して、鼻をかんだ。
「お父さんのことを『地に足がついてない』って言ってた。最初は子供の私は冗談か愛情の裏返しかと、そんなふうにとらえていたの。でも、そのうちに、私、気づいたの。母が父にそう言っているところを見たことがないって。そのくせに私にはしつこく言う。
確かに父は脱サラして。自分のお店をもって。やりたいことをやった。
会社員でなくなるリスクは今の私は分かるわ。保険のこととかも差がつくし。でも、父は父なりに、自分のやりたいことをやって、自分の夢を実現したかったんだと思う。母は、それに背を向けたの。
……休みの日も、お店を手伝うこともしなかった」
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