第9話
操は着信をいったん切った後、メールに切り替えた。
『今電車の中。東京に向かっている。工藤留美子の墓に行く』
少したって返信があった。
『OK。合流する。新宿に向かうから、着いたら連絡してくれ』
操は驚いたが、いつもの洋一らしかった。きっと今日は仕事が休みなのだ。が、美知が一緒なのはいささか気まずかった。しかたない。美知がいれば案外ことがうまく運ぶかもしれないのは確かなのだ。
「誰から?」
美知が窓から顔を離して聞いた。
「上司の伊角って人。新宿で合流することになった」
「へえ、やっぱりフットワーク軽いのね、ジャーナリストさんて」
「君も相当なものだよ」
軽く皮肉めいた、からかうような口調で操はいい、美知は満足そうに微笑んだ。
それから、操は簡単に、これから会う洋一について美知に話した。美知はいかにも興味深げに聞いている。
「なんか、いかにも戦場ジャーナリストって感じなのね」
「そう、ぼくとは違って」
「あら、そんなこと言ってないわよ」
否定しながらも言い当てられているといった雰囲気だ。
「彼は、文字通り身体を張って、やってきた誇りがある。話せば分かると思うけど」
「関口さんだってそうじゃないの」
「僕は弱虫だから、ね」
「ふうん、でも細やかなのも大切だと思う」
「え」
「何にせよ、人間を相手にするのだもの」
「そんな大したジャーナリストじゃないよ、ぼくは」
「なんで。そうだ。写真や動画があるんでしょ、見せて」
「え」
「ないの?」
「今はない」
「スマホで見られないの」
「もうだいぶ前だからね」
操が撮った映像は、TV番組で使われたり、週刊誌に載せられたりしている。探せばどこかから出てくるかもしれないが、今わざわざそうする気にもなれなかった。
新宿に着いて洋一に連絡すると、彼はすでに近くで待機しているらしかった。彼のいるという近くのファミリーレストランに行くことにした。
美知がはしゃぐ。
「ああ、東京に来たの久しぶり。人が多いな」
「特に新宿は多いね」
1階にパチンコ店が入っているビルの上の階にあるファミレスだった。店内は混んでいたが、窓際の席に洋一はいた。いつものように、「おう」といって片手をあげて操をよんだが、美知と一緒にそちらに向かうと、眼で操に尋ねた。
「水沢美知さん、〇〇駅近くの喫茶店の人で、あの事件のことで取材させてもらった」
好奇の視線を無視して、操はここ数日の経緯をかいつまんで洋一に説明した。
「面白いじゃないか」
操のノートや写真を見ながら、洋一は言い、もう一度、美知から、彼女の目撃証言を聞き出した。そして、
「やっぱり、取材は面白いだろう」
と操に向き直って言った。操は黙っていた。
「しかし、その若い男のことは、おれも初耳だ」
「伊角さんの資料にも、その話は一切なかった」
「水沢さんの手柄だね」
洋一が美知の方に言うと、美知は得意そうな顔になる。
「それで墓はどうやって探すの」
「まずは留美子さんの実家に行くしかないな」
「吉祥寺か」
「調べたけど、吉祥寺といっても吉祥寺駅の近くではない。吉祥寺からバスという手もあるけど、西武新宿線のほうが近い場所」
「ふんふん」
洋一が車を出すと言い出した。レンタルすることに決めた。
「さっそく行こうか」
「その前にホテルをとっとくか」
美知を見ながら、洋一が言う。
「え」
「彼女の」
美知がうなづくのを見て、操は驚いた。
「帰るつもりじゃなかったの」
「それじゃ意味ないでしょ。今日都合よくその男の人が現れるとは限らないし」
「でも」
「お父さんには言ってあるから」
今初めて、美知がやけに大きなかばんを抱えていた意味が分かった。深く詮索せず、女性はいろいろ荷物がかさばるのだろうとあいまいに考えていた。
「おれたちも同じホテルでとるか。おれたち二人でツイン、彼女はシングルで予約だ」
美知はさっそくスマホを出して、
「どこら辺がいいかしら」
とつぶやいている。結局、中央線沿線の駅の近くのホテルを二部屋予約した。
留美子の墓のある霊園を探すのは、案外たやすかった。
留美子の実家に電話をし、後日の取材の申し入れと、留美子の墓参りがしたい旨を伝えると、あっけなく教えてくれた。出たのは父親だったので、話もスムーズにいった。
当時の報道は、高級官僚の犯罪というところに飛びついていたので、比較的留美子本人には同情的なトーンのものが多かった。とくに、DVの問題とも重ねあわされたので、その傾向はますます強まった。そのため、遺族もメディア関係者には悪い印象はあまりないようだった。
実はその留美子の男性関係をつかもうとしている取材であることに、後ろめたさは感じるものの、それを抜きにすることはもうできない。
しかたがないと考えるしかなかった。操はまた、戦場で子をなくした親にすぐに取材を申し込んだときの苦さを思い出していたのだが。
墓は、留美子の実家からはあまり離れていない三鷹市内の霊園にあるということだった。車を走らせればすぐだった。
住宅と、小さな雑木林の中にある霊園だった。留美子は実家の先祖代々の墓の一角に葬られている。
3人は、墓地の中に、やや緊張して入っていった。
面白いもので、お墓には住所がある。お墓を街にたとえるならば、街道にあたる広めの道から、細い路地へ。
一つ一つ丁寧に、お墓に刻まれた文字を見ていく。
留美子の旧姓は「田中」。
3人で手分けして探す。
「あ」
美知の声がした。
「あったわ。留美子さんのお墓」
小さな新しい墓石。間違いなく、留美子のお墓だった。
3人は、まず手を合わせた。用意してきた花と、線香を供える。
墓を前にすると、操は改めて人の死ということを考えざるを得ない。かつての仕事柄、死を面前に見る機会は人よりは多かった。洋一もそうだろう。
どんな形であれ、生まれ、育ち、学校に通い、生活し、考え、喜び、悲しみ、怒り、人と心を通わせたり、あるいは傷ついたり、そういう過程を経て、最後の瞬間が来る。留美子の場合は、ふいに、おそらく直前まで悟ることもなく、その命は絶たれた。生涯が終わった。
操は、戦場で襲われた時のことを思いだす。
あのとき、気配で振り向いたおかげで、相手の向けた刃物は心臓を逸れてくれた。ほんの一瞬でも自分に迷いがあったら、自分も同じような墓のなかだった。
誰しも紙一重の経験はあるだろうけれど、それを実感する機会は多くはない。
「墓参り、している人がいるな」
洋一が言う。3人のくる以前にも、花が供えられていたのだ。もう、暑さでぱりぱりに干からびてはいたが、さほど前ではない。
「墓の管理室があったな」
「ああ」
墓地の片隅に、小さい小屋があり、その横に水道があり、水桶や杓子が置かれていた。3人はそちらに向かった。
その夜、レンタカーを返してホテルにチェックインした後、操と洋一は美知を誘って、ホテル1階に入っている居酒屋に行った。
「今日は空振りだったな。墓の管理人からも収穫なし、どうする、ずっと張り込むのか」
洋一が聞く。
「まあ、一番可能性があるのは、留美子さんの月命日だろう」
操が言うと、留美子は、あ、と声を上げ、
「いつだっけ?」
「実は17日。明後日」
「え、ラッキー」
「君、それまで東京にいるつもりなの?」
「うん。ついでに遊びに行こうかな。あ、それは私一人で行くから。東京の友だちと一緒にね」
「なんか、観光気分だね」
美知は笑った。
「久しぶりだから、楽しまないと」
「じゃあ、伊角さんと関口さんは、大学の先輩後輩だったの」
洋一が改めて自己紹介をし、美知は興味深げに聞き返した。
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