第8話

「どんな写真だったの?」

「七五三の写真よ。子供さんが千歳飴の袋持ってて、夫婦も和服だった。さすが豪華な感じだったよ」

「へえ」

 操自身、和義が留美子や子供にDVを働いていたこと自体は間違いなさそうだと思っていた。それが否定されたわけではないが、新しい一面が見える話で、興を引かれる。

「健斗くんが、5歳のときのもの?」

「多分5歳のときね。小さい袴をはいてる、よくあるような記念写真」

「じゃあ、今から3年、いや4年前か」

 少なくともそのころには、まだ家族で記念撮影をするくらいの関係はあったということだ。

「他には?」

「他にももっていたかもしれないけど、じっと長いこと見てたのは、その写真。ねえ、ふつうに喫茶店に来て、そんな記念写真をしげしげと眺めてる人、しかも中年の男がよ、これは訳ありだと思うわよね」

「確かにね。他には、気がついたことはない?」

「大したことじゃないけど」

「何? 些細なことでいいよ」

「ちょっと嫌なこというけど、食べ方が汚かった」

「え」

「食べ散らかすっていうんじゃないけど、べちゃべちゃと口の中で音を鳴らして、うちのランチのピラフを食べてたのよ。私、あれが苦手で、そういうお客さんがいるとつい覚えちゃうの、自然と。口の中にたくさん詰め込んで、はみ出すほどにして食べるの。あれは癖ね。そんなに飢えてるわけでもなかったと思うけど」

  最後の方は美知は冗談交じりに言ったが、思い出したのか、眉根を寄せた。本当に苦手なんだろう。

「犯人に関しては、私が見たのは大体そんな感じよ」

「OK。面白い話だね」

「本当? よかった」

 ほっとしたような笑顔をみせる美知に、操は彼女の緊張を見てとった。

「なに? そんな緊張しなくてもいいのに」

「だって、あの、自分から言い出してなんだけど、やっぱり、気分のいいものじゃないわね。もう亡くなっている人のこと、あれこれ言うのは。死人に口なしじゃないけど、もう何も反論もできない人のことだもの」

 操は口をつぐんだ。

 少し考えてから操は言った。

「嫌な気分になるのは分かる。だけど、君は君なりに、ぼくに話すべきだと思ったんだろう。ぼくにできるのは、その話を聞いて、ぼくなりにこの事件の見解をはっきりさせることだ」

「何が真実かとは言わないのね」

「真実が転がっているわけではない。あくまで君自身の見解だ。そのつもりでぼくは聞いている」

「分かったわ。あと、留美子さんね。彼女のことはとくになんていうのか、かなり私の主観になると思うの。ちょっと言うのははばかれる気持ちもあったけど、話すわ」

「了解。どうぞ」

「犯人の来たあと、2,3日後かな。今度は留美子さんがこの店に来たの。子供さんは連れてなかった。私はあ、あの写真の人だって気づいた。待ち合わせかなって思って、それとなく注意してたの。まあ、野次馬根性だけどね。なんか訳ありに見えたから、好奇心を持ったわけ」

「彼女の印象は?」

「髪を下ろして、赤色系のワンピースを着て、ハンドバッグを持ってた。あとから年齢を知ったけど、それよりも若い印象を受けた。意外に思ったから覚えているの」

「意外に思ったって、どういうこと」 

「私が犯人、いえ、工藤和義さんの持ってた写真を見て、留美子さんに感じたのは、上品でおとなしそうな印象。関口さんも写真は見たわよね。日本的な顔立ちで、ほっそりしたなで肩に和服、似合ってるだけでなく、着慣れている感じ。今から思えば、じっさいそうだったんだろうな、と思う。全体に細い印象の人で、顔も小づくり、いかにも男の人が好きそうなしとやかな感じ、ね。

 ところがね、この店に現れたときの留美子さんは、もっと、なんというか、生き生きしてた。写真だときれいなお人形さんという感じだったけど、現実に現れたその人は、和服でない分ほっそりした体つきがもっとよく分かるし、しかもおとなしい感じでもなくて、しなやかで。正直写真よりずっと魅力的な人だなって思ったの。お化粧も派手ではないけど、明るくて、赤いルージュがとても似合ってた」

「そんなに印象が違ったんだね」

「まあ、髪を結っているのと、下ろしているのとの違いもあったとは思うけどね」

「もしかして、彼女は誰かとの待ち合わせ、その誰かも見たの」

「見たわ」

 美知の頬は紅潮していた。大事な秘密を打ち明ける少女のような真面目な顔つきになった。

 美知はもったいぶってアイスコーヒーを一口飲む。二日酔いもあるのかもしれない。それから、少し声を落として言った。

「あのね、男の人」

「どんな人?」

「茶髪でね、ちょっと線の細い感じ、童顔の、ふつうの男の子って感じで。うーん、歳は、20代だと思うけど」

「どういう関係の人だろう」

「……ふふ、あなた、ジャーナリストなのに、なんかそういうこと、聞きにくそうね。

 あれは、やっぱり恋人だと思うわよ。私だって、弟とか、甥っ子とか、ただの友だちとか、そういう可能性ももちろん考えた。でもね、雰囲気見てれば分かるよね。とくに、眼。彼女は生き生きしてたし、彼氏は優しい目をしていた」

 美知は思い出すように少し斜め上を見やる。

「手を触れあって、ずっと何かささやくように話していた。本当に、あんな事件がなかったら、私も店を訪れた、微笑ましい恋人たちの思い出の一つになっていたと思うわ」

 操は考え込んだ。

 外務官僚の妻、小学生の子どもを連れて逃げた妻、夫のDVに苦しめられていたという妻、お嬢さま育ちだったにも関わらず、夫から逃げた後はパン工場で働き、子を養おうとしていた妻。まるで人形のような小柄な妻。

 かたや、典型的なエリートコースを驀進してきた夫、T大法学部出身、高校も中高一貫校、家柄もいい。そういった表の顔とは別に、DVを働いていた夫、しかし美知によれば、家族写真を大事に眺めていたという夫。

 昨日から、殺人現場を目撃した上山と、逃げた妻の働いていた工場で、彼女の面倒を見ていたという戸川とに取材し、今日はこの喫茶店での一コマを目撃したに過ぎない美知に話を聞いた。

 漠然としたものにだんだんと形はできてきたという段階。しかし、美知の話から、彼女の恋人だったという若い男も浮かび上がってきた。これは、資料を読み込んだ操にも初耳だった。

 彼は何者で、今何をしているのだろう。年上(と思われる)恋人が無惨に刺殺され、それがスキャンダラスに世間の耳目を引いてしまった今、どこかでひっそり息をひそめているのだろうか。嘆き暮らしているのだろうか。

 何とかこの人を探し出したい気持ちになった。しかしどうすればいいのだろう。

「その男の人の手掛かりは何もないの」

「うーん、私もさすがに。あんな事件が起こるとは思わなかったから」

 美知が済まなそうに言う。

 報道もされていないということは、かなり留美子が注意深かったということだろう。そこまでして、守り抜きたいこれからの生活があったのだ。

「決めた」

 少し考えた後、操は言った。

「これから、いったん東京に戻るよ。留美子さんの墓参り」

「え、なんで急に」

 美知は面食らったようだった。

「彼氏の手掛かりが得られるとしたら、多分それが一番ありうる」

「彼氏が現れるのを、お墓でずっと待つの」

「そうそう。ぼくの仕事は地味なんだよ」

 笑って操が席をたとうとすると、美知が慌てたように手で制した。

「そんな急に。ちょっと待って。支度するから」

「は?」

「私も行く。顔を見たことある私がいた方が、見つけやすいでしょ」

 絶句する操を見もせずに、美知は大声で奥の父親に声をかける。

「お父さーん、私、今日はちょっと出かけるから、お店、一人でやってね」

 1時間ののちには、二人は上りの特急に乗っていた。

 美知はいくらなだめすかしても、ついていくといって聞かなかった。

「私が自発的に、お店で会ったことのある工藤留美子さんのお墓参りにいくだけよ」

と言い張る。やはり少し変わった女の子のようだ。

 操は電車の中で、これまでの取材をまとめている。美知はひじをついて窓の外に流れる景色をまぶしそうに見ている。

 やがて操のスマホが振動した。今回の事件取材を操に勧めた、上司の伊角洋一からだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る